前回の続きです。
旧岩崎邸を見学中です。
岩崎邸ですが、昭和22年(1947年)財産税として屋敷を物納して、国有財産となっています。それにしても、都心の広大な土地です、財産税はもの凄い額です。
それで、この岩崎邸は1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。”往時”は約1万5,000坪の敷地に、20棟もの建物が並んでいたそうです。
現在の敷地は”往時”の3分の1だそうで、現存するのは 洋館・撞球(ビリヤード)室・和館の3棟だけとなっています。
緑色が現在の敷地で、薄い線が往時の敷地。
それで、敗戦後は占領軍に接収され、情報機関の「参謀第二部(G2)」の秘密情報組織が本部を構えたのです。
懐かしい名前が、いっぱい、いっばい、頭の中を巡るのです。G2のトップが「チャールズ・ウィロビー少将」で、秘密組織のボスが「ジャック・キャノン中佐」で、人呼んで「キャノン機関」。
キャノン機関の本部要員は二十数名で、配下に、柿の木坂機関、矢板機関、日高機関、伊藤機関、等の工作員を組織。
これで、G2ウィロビーで、秘密情報機関で、キャノン機関で、矢板機関で、下山事件と繋がっていき、戦後の三大謀略事件へと繋がっていき、戦後の黒い霧、闇の歴史となるのです。
と、云う事で、旧岩崎邸の見学は、建物への興味よりも、敗戦後の闇の時代への、謀略の時代への、思いを馳せ、空気を、気配を、匂いを、感じる為の見学なのでした。
昭和20年(1945年)に接収され、昭和28年(1953年)に返還される8年間キャノン機関の本部が置かれました。
接収されたのは「洋館」だけで、この間、岩崎家は「和館」の方で暮らしていたのでした。
それで、この岩崎家ですが、どうも、なんとなく、占領軍情報機関と、それなりの関係にあったのでは?と、思われる節があるのです。