前回の続きです。
氷川神社の先、幼き日の面影を痕跡を探し求めて、どぶ川を覆った?緑地帯を辿り、中山道に出ました。
この「中山道」と云うと、必ず頭に浮かぶのが「1日中山道・・・いちにちじゅうやまみち」のフレーズです。
フジテレビの女性アナウンサーが、原稿に「旧中山道」と書いてあったのを「1日じゅう山道」と読んでしまったのです。
たぶん、フジサンケイグループの御曹司と結婚された方と記憶しています。読み間違いの最高傑作だと思います。
それは、さておき、話しは戻して、中山道に架かる歩道橋を渡ります。昔は、ここを都電が走っていたのです。お祖母ちゃんと二人で、都電に乗って巣鴨のお地蔵さんに行った記憶があります。
都電と云えば花電車です。たぶん、都民の日にだったか走っていた記憶があります。「見るだけで“人は乗せない”花電車」何て、“別口”もあります。
まあ、判るヒトは分かり、判らないヒトには判らないお話。過去の事と思っていたら、いまでも、現役のようです。
話しが、それとなく、卑猥系男性向け大衆娯楽に逸れてしまいました。先ほどより逸れっぱなしで失礼しました。
兎に角、高島通りが中山道に突き当たった辺りに都電の停留所がありました。その先、埼玉方向、一つか、二つ先の停留所が終点だったような気がします。
歩道橋を渡った先にも、どぶ川の痕跡がありました。
こちら側にも緑地帯が続いているのです。帰宅して調べたら、この先で隅田川に流れ込んでいました。
緑地帯の入り口の看板には、板橋区立蓮根川緑地と記されていました。これまで、どぶ川、ドブガワと呼んでいたのですが、「蓮根川」と云う正式な名称があったのです。
そろそろ蓮根川を後にして、高島通りと交わる地点で横断歩道を渡ります。
中山道を巣鴨・坂下方面に向かいます。目指すのは、懐かしい「ヘビ屋」と「和菓子屋」です。
ヘビ屋は、まさしく「蛇」を売っていたのです。そして、想い出とは、ヘビ屋に「まむし」を持ち込み500円で買ってもらった事があるのです。
このマムシは、現在、「大東文化大学」の少し先にあった、「ドングリ山」に近所の悪ガキと連れだって遠征した時に捕まえたのです。
その中に、苗字が前島で、あだ名が「土手カボチャ・・・頭の形から」と云う2~3歳年上の子がいて、彼の指揮の下で捕獲したのですが、マムシ捕獲を目的としての遠征だったのか、たまたま発見して捕獲したのかは思い出せません。
前島君は、いろいろ知っていて、それなりにマムシの危険性も、捕獲方法も知っている様子でした。でも、今考えたら、捕獲したマムシを「袋」に入れてヘビ屋に持って行ったのですから、予め袋を容易していた? やはり、捕獲目的の遠征だったのでしょう。
500円は2~3人で分けたと思います、でも何に使ったのかは覚えていません。一ヶ月のお小遣いが300円ぐらいだった頃ですから、それなりに使い道があった筈です。
いま、書いていて思い出しました。ヘビ屋のオジサンが持って行ったマムシをカゴに入れるとき、ヘビの頭を持って口を開き、牙にハサミを押し当て毒液を出して見せたのです。
そして、『前達、もしも噛まれたら、この毒で死んでいたぞ』と、ヘビ屋のオジサンに警告を受けたのでした。それなりに危険なことは知っていたのですが、マムシを眼の前にしての警告は効き目がありました。
それで、捕獲場所からヘビ屋までは歩いて1時間ほどの距離です。坂を下った辺りにあり、まさに坂下でした。ヘビ屋は十数年前に車で通り掛かった時には現役でした。
中山道の坂下辺りをキョロキョロしながら歩いたのですが、結局、ヘビ屋も和菓子屋もありませんでした。和菓子屋は“三木屋”と云う店で、酒が飲めない甘党のオヤジが時々おみやげで買って来てくれたのです。
和菓子と云うか、餅菓子と云うか、きんつば、あんこ玉、だんご、大福、鹿の子、スアマ、吹雪、そして、シベリアも、いろいろ思い出します。
残念ながら、いまは、もう、食べられないのです。食後高血糖なのです。
そうでした、土手カボチャの前島君は、数年前、風の便りで、亡くなったと聞きました。
今日は、これまで。
坂下、志村、蓮根歩きは未だ続きそうです。
それでは、また。