まだ、まだ、「だから荒野」をやっています。
初っ端から、何ですが、話しは逸れまして、「だから荒野」の、“だから”と云う言葉の話しなんです。
この「だから」と聞くと、むかし、むかしの上司に、この言葉が口癖の人が居たのです。性格は、どちらかと云えば短気でした。
“だから~!さっきも云っただろう!”同じ事を何遍も云わせるな的意味が込められ、いつも言葉の頭に“だから~!”付くので、あだ名が「だから」でした。
そして、これに連なって思い出されるのが、あの“剛腕”の“小沢一郎先生”です。あの方も、かなり、だからを連発される方だと聞いたことがありました。あの無愛想な顔から、然もありなんと頷いたものでした。
それにしても、小沢先生、政治の表舞台から消えてしまいました。きっと、今頃は、毎晩、酒を飲む度に、だァかァらァ~!を連発しているような?そんな気がするのです。一緒に一杯やってみたいです。
だから話しはこの辺にして、本題の「だから~!荒野」のお話です。
それで、何ですが、亀田の告白の舞台ですが、昔は炭鉱のあった島で、現在は無人島のようなのです。この設定は、あの有名な“軍艦島”のようですが、それとはまた別の島でした。長崎には、そんな島が幾つもあるの?
それで、亀田章吾の告白ですが、山岡に「あなたが自己開示をする番だと云われ」養護施設の出身であること、5歳の時に施設に入り、父親の顔を知らず、母の温もりからも遠く、独り寂しい生い立ちを語るのです。
私は、以前、亀田章吾の“悲劇”は、年齢的に「被爆三世」かと考えていたのですが、ハズレでした。やはり、山岡も亀田も、2人とも“戦争と被爆”を背負わせると、話しとして重すぎる、そんな判断だったのでしょう。
山岡の“妹殺し”悲劇に対して、亀田の養護施設出身を、“小さな悲劇”とするのは、ちょっと、ちょっと無理があるような・・・。
それで、何ですが、大きな?いゃ、中位な疑問なのですが、この島でのシーンが、カメラを固定せず、手持ちで撮影されていて、画面が小刻みに揺れて、とても、とても、見難いのです。
演出として、登場人物の誰かの視点として、一人称的な表現として、ドキュメンタリー的表現として、そんな撮影方法はあると思いますが、一人称でもなく、だからと云って、このシーンだけを、ドキュメンタリー的に表現する理由もなく、よく判らない撮影方法です。
もしかして、資材搬入的に、三脚、クレーン、レールを引いての撮影は無理なので、やむを得ず手持ち撮影になった?
でも、しかし、それにしては、画面のブレが酷すぎるのです。プロは手持ちでもあれほどブレません。あのブレた映像は被写体との距離をとって、望遠レンズを使用しての撮影と思われます。
もしかして、あれは、テスト撮影で、本番は天候不順で撮影続行が不能となり、そして、後日、再度のロケは、予算的に、放送日程的に、スタッフの、各役者の、スケジュール調整的に、不可能だった為、やむを得ずテスト映像をそのまま本放送に使った?
兎に角です。あのブレまくる映像の意図が分からん!
と、まあ、どうでもイイことを、ここまで綴ってきました。と、云う、事は、そんな事ぐらいしか中味に興味が無くなったからです。
最終回への大いなる期待は、大いなる故に、大いに裏切られたのです。やっぱり、50分の八話は、長すぎました。2時間の単発であれば、もしくは、三話完結程度の方がヨカッタと思います。亀田クンの謎で引っ張り過ぎました。
原作は知りませんが、兎に角、NHK的に、無難な終わり方で、ヨカッタ!ヨカッタ!なのです。視聴対象は朋美の年齢層を中心に狙っているのでしょう。
このところNHKBSではドラマを乱発しています。衛星放送への加入を、受信料の増収を狙った、販売促進政策のようです。高齢者はほったらかしてもOKですが、“朋美年齢層”はテレビ離れが、かなり、かなり、なようです。
また、また、ツマランことを綴ってしまった。
兎に角、制作統括の“銭谷雅義さん”の、
『私も長くこの仕事に携わっていますが、今ままでに経験したことのない、奇跡の瞬間でした。これまで誰もみたことない深い人間ドラマが生まれたと思っています』
の言葉に期待していたのですが、とても、とても、残念でした。“銭谷雅義さん”は経験が足りない?
でも、このシーンはヨカッタです。亀田クンを抱きしめ、背中を叩く仕草は、男としてではなく、息子に接する母の姿。
亀田クンも、朋美に母をみていた事に気付かされるのです。これまでは、それなりに女として見てみていたと、そう思い込んでいたのです。
今日は、何か、どうでもイイことを長くつづってしまった。
優太の話も、記憶に留めるため、それなりに考えたいと思います。
それでは、また。