歳をとり、夏が嫌いになりました。
普段でも、頭がボンヤリしているのに、夏は余計にボンヤリするのです。
歳をとると、五感はすべてボンヤリしてしまうのです。
冬は寒さで、身がしまり、頭もしまり、シャッキリ、スッキリで、ボケの進行が停止するのです。
惚けには、刺激を加えると効果があると、聞いたような、見たような、そんな気がします。刺激といえば、手っ取り早く、味覚の刺激で、香辛料で、唐辛子に、ワサビに、ショウガだと思うのです。
そして、夏と云えば、辛いと云えば、誰が何と云おうと、カレーです。大辛のカレールウに、唐辛子を入れて、汗をダラダラ流して食べると、頭スッキリ、身体もスッキリで、気分爽快! で、秀樹感激!
そうでした、西城秀樹も亡くなりました。私としては、あまり好きでは有りませんでした。それでも、まあ、一つの時代を代表する歌い手であったことは認めたいと思います。
以前、たまたま、NHKの趣味の園芸的番組で見かけたのです。西城秀樹が野菜を作っているのです。一回目の脳梗塞から回復した頃?だと。
しばらく画面を見つめ、会話を聞きつつ、動作を見つつ、そうか、そうか、と、思いつつ、あの" ヒデキ "が、と、スイッチを切りました。時が流れたのです。
時が流れたと云えば、この歳になると、遠い過去の方が近くに感じ、近い過去?が遠くに感じたりするのです。
遠くても強く心に刻まれたことは近くに、近くてもその逆の出来事は、遠くに感じるのでしょうね、きっと。
そして、若い時は五感が鋭く、毎日が変化の連続で、すべてが濃密で、同じ繰り返しはありません。
歳をとると、五感は鈍くなり、日々の暮らしは変化に乏しく、すべてが希薄でスカスカで、同じことの繰り返しとなります。
先日、懐かしのあの頃の歌的な番組を見ていたのですが、70年前後の歌を聞きつつ、70年は今から何年前と数えてみると、もう、そろそろ50年になるのでした。
でも、70年の前後は、つい最近の出来事のように思えるのです。青春真っ盛りで、世の中は政治の季節で、街中が催涙ガスの臭いに蔽われていた時代でした。
あれから、もう、50年になるのです。半世紀です。
どうも、50年の時の流れが、長さとして、感覚として、掴めないのです。
それで、考えたのです。1970年の50年前は・・・と、それとの比較で、何となく、時間的な隔たりが、掴めるような気がしたのです。
そこで、調べました。1970年の50年前、1920年と云えば、第二次大戦の戦後を、戦中を、戦前を、遥かに通り越して、第一次大戦の二年後、大正9年となるのです。
1970年の時、私は20歳でした。あの頃の私にとっての50年前、大正9年は、遠い、遠い、遥か彼方、歴史の世界なのでした。
と、云う事は、50年前の70年も、今から振り返れば、遥か彼方の歴史の世界となります。
でも、しかし、1970年から現在までの、世の中の、世界の変化と、1920年から1970年までの変化は、かなり、かなり、異なるように思えるのです。
1920年からの50年は、世界恐慌があり、第二次大戦があり、朝鮮戦争があり、東西対立があり、経済の高度成長があり、戦争から、経済発展の時代。
60年の後半から、ベトナム戦争の激化で、反戦運動で、学園紛争で、経済発展の矛盾で、「公害病」で、世の中、政治の季節となるのでした。
1920年から1970年までの50年は世界的にも、国内的にも激動の50年でした。
それに比べて、1970年からの50年は、どうだったのか?
ニクソンショック(1972年)で、パックスアメリカーナの終わりが始まり、ソビエト連邦が崩壊(1991年)して、共産主義の終わりが始まり。
中国はの改革開放政策として、市場経済化で、資本主義化の全面展開(1980年後半から)で、世界の経済はグローバル化して、資本主義は地球を覆いました。
共産主義の終わりが始まると、資本主義が暴走してと云うか、本来の姿を現してと云うか、資本主義の終わりが始まり、世界は格差と貧困の時代となりました。
いまのところ、現在まで、終わりの始まりばっかりで、新たな時代の始まりの予兆も、欠片すら、まったく見えない、混迷と混乱と停滞と不安の時代の真っただ中。
でも、しかし、ここまで、綴ってきて、朝鮮戦争の終わりが始まると、世の中、もしかして、そろそろ、新しい「何かが」始まる、ような、気がしてきました。
でも、しかし、世界を動かすパワーを持つ国は、あのお隣の中国が、いまのところ有力な候補ですから、何か、とても、新しい世界に、あまり期待できない気がします。
パックスアメリカーナの時代、世界はアメリカ文明に、アメリカ文化に憧れました。
でも、中国が、経済的に、政治的に、世界への影響力が強まっても、中国人になりたいとか、中国に住みたいとか、そんな声は、世界中のどこからも聞こえてきません。
もしかすると、このまま行くと、朝鮮戦争の終わりの始まりと供に、国家資本主義中国の時代は、一時期のあだ花として、資本主義時代の残滓として、終わりが始まるのかも知れません。
兎に角、金正恩とトランプの「シンガポール合意」から、新たな歴史の幕開けとなる、気がしないでも、無いのです。
もしかして、これからの2年で、1920年からの50年に匹敵する、濃密な激動の時代が始まるかも、知れません。
まあ、年寄りの、妄想、願望、そして神頼み?
兎に角、余命幾ばくで、新たな激動を目撃できれば、と、願いつつの、今日この頃。
桂歌丸師匠のご冥福を祈りつつ・・・・・・・。
初めて?夜中?の更新、脳みそに焼酎を染み込ませつつ綴りました。
それでは、また。