前回の続きになります。
生まれ故郷の板橋区蓮根町に到着しました。
こちらが、前回の「エノケン」のCMソング「お餅も入ってベタベタと二人で食べても50円」で有名な「渡辺製菓」とは、異なる「渡辺製菓」の跡地に建てられた民間マンションです。
しかし、まあ、ホント!変われば変わるものです。灰色のコンクリート塀と、煙突と、砂利道の風景は何処にいってしまったの?
大通りから入ったこの道が、この両側の風景が、幼い頃の私の世界だったのです。この空間がすべてだったのです。
消防署に、駄菓子屋さんに、お豆腐屋さんに、酒屋の松木屋に、空き地に、原っぱに、小学校の校門前の公園に、朝が来て、昼が来て、夜が来て、ここですべてが完結していたのです。
右側の角が酒屋の松木屋さん、道の向かいの奥に「渡辺製菓」と云うか、「コビト製菓」の煙突が立っていました。渡辺とコビトと両方の記憶があると云う事は、社名が変わった時期と、ここでの幼少期が重なっていたのでしょう。
そうでした!この渡辺製菓の裏手の先に貸し自転車屋さんがあったのです。オンボロの自転車を青いペンキでお色直し、1時間が10円だったと思います。
1時間が10円と云えば。この当時は5円か10円が子供の使うお金の相場でした。この店仕舞いした商店の辺りが、駄菓子屋の「本田さん」でした。5円だったか?10円だったか、店の奥の片隅でもんじゃ焼きをやっていました。
ここの店主のオバサンと云うか、オバアサン?と云うか、いま思うと60代位だと思われますが、身体に彫り物を入れていたそうです。母が近所の人が銭湯で見たと、そんな話を脇で聞いていた記憶があるのです。
優しそうでしたが、ホントは怖い人だったの?と、驚いた記憶があります。メガネを懸けて優しそうな笑顔が蘇ります。
この景色を眺め、昔の記憶を辿り、何故か夢で見た風景を思い出し、現実と記憶と夢が重なり合い、とても、とても、不思議な感覚でした。
都営三田線高島平からここまで、ずっと、ずっと、不思議な感覚で歩いているのです。現実の風景と記憶と夢が混ざり合う、不思議と云うか、ここち良いと云うか、時間が止まったり、戻ったり、もう、何とも云えない快感です。
こちらは、消防署、昔はこの奥に火の見櫓が在ったのです。一度櫓の上に昇ったような記憶?が、その時の消防士さんの笑顔が何だかうっすらと蘇りました。たぶん昇ったのだと思います。
こちらが、私が生まれた「都営引き揚げ者住宅」の跡地。私が住んで居た頃は、木造二階建て、共同炊事、共同便所でした。一階と二階に5世帯ずつで一棟に10世帯。それが2列に計10棟建っていました。私が住んでいたのはほぼ真ん中の6寮でした。
いまは建て替え工事で更地になっていました。
こちらのアパートと同じ建物が建っていました。木造2階建て10棟の建物が、鉄筋コンクリート4階建て2棟に建て替えられたのでした。その建て替え工事にあたって我が一家はここから北区の別の団地に引っ越したのです。
幼い頃から小学校の3・4年頃まで、この一画の、この空間で、泣いたり、笑ったり、怒ったり、ひっくり返ったり、走ったり、飛んだり、跳ねたり、していたのです。
ホントに、ホントに、懐かしい空間です。思い出します、あの頃の事を・・・・・・。兎に角、歳をとると、昔が懐かしくなるのです。
これって、やっぱり、「帰巣本能」・・・でしょうかねぇ?
本日は、これまで。
それでは、また。