歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

不動並木の痕跡探し、そして、“傘いらぬ不動並木乃春の雨”

2010年04月30日 | つくば市の風景
本日は、4月22日の続きみたいものです。

あの記事を書いた後で、何故か、どうしても、並木の痕跡を探したくなったのです。和泉屋のおばあちゃんの話でも、並木が消滅したのは“つい、このあいだ”と云ってたからです。

まぁ、ばあちゃんの“このあいだ”は、たぶん“数年から十数年”の間だと思うのです。その程度であれば、切り株の一つや二つ残っている可能性があると思ったのです。

それと、もう一つ、相島勘次郎の句「傘いらぬ 不動並木“に” 春の雨」と記したのですが、“に”のところが自信なかったのです。

まぁ、そういう事で、再度、先日、自転車を走らせたのです。気持ちの良い日でした。


そして、やはり、ハッキリと、並木の“痕跡”はあったのです。見つけました切り株、背景にうっすら見える建物が、つくば工科高校です。


何か、気持ち悪い“キクラゲ”みたいなモノが生えてました。間違いなく松の木肌です。これが一本目。


そして、二本目。


間違いなく松。


そして、三本目、これは何の樹だか不明。でも、並木は松だけではなかったようなので、これも並木の痕跡に加えます。


そして、こちらは“塚”のように飾られた痕跡。


これは、もう、正真正銘、まさに松並木の痕跡です。これで四本目。


そして、こちらは、たぶん並木の痕跡で、五本目。全部でこれだけでした。兎に角、あの有名な、不動並木の貴重な痕跡は、予想した通り、未だ残っていたのです。



そして、「に」でよかったのか不安だった相島勘次郎の句碑です。やっぱり、間違えて記憶していたのです。今回、草をしっかり払い除けハッキリ撮してきました。


「傘いらぬ 不動並木“に” 春の雨」は誤りで、 「傘いらぬ 不動並木“乃” 春の雨」が正しい句でした。「に」ではなく、「乃」でした。

句碑はこんな風景のなかにあります。


そして、不動並木の案内板のある風景です。


今回、並木の痕跡を発見できたし。

俳句も字句も正しく訂正できたし。

天気間も良かったし。

大成功で、パチパチで、ヨカッタ、ヨカッタで終わります。


※来週は、一応、黄金週間なので、更新は6日からを考えています。




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ポタリングは行きはヨイヨイ、帰りはコワイなのです!

2010年04月29日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

アイスクリームを食べつつ、公園の景色を眺めつつ、これからのコースを考えたのです。

それで、考えた結果、ポタリングですから、やはり、その場の気分と云うか、その場の雰囲気と云うか、足の向くまま、気の向くまま、事前に考えないと云う、結論に達したのです。

まぁ、考えた結果が、考えない、と云う、そんな事で、アイスクリームも食べ終わり、万博公園を後にしたのです。

公園近くのレストランです。


この風景ですが、とても、明る過ぎで、爽やか過ぎで、場違い過ぎで 毎日が日曜日みたいで、こんな事でいいのか?と、いつも眺めつつ思うのです。おじさんには恥ずかしくて、とても直視できないのです。

何て云いながらも、以前、二人連れの時“ここで食事でも!”と、駐車場に車を入れ、入り口のドア前に立つと“本日貸し切り”の貼り紙があったのでした。気分次第で風景は違って見えるものなのです。

明るてく、爽やかな表通りから、陰湿な裏道に入ります。はじめて通る道です。左右は雑木林、とても静かで、寂しい、と、思っていたところが、


この“絶対反対”看板の行列が突然現れたのです。


でも、しかし、こちらが絶対反対のクリニックなのです。もう開業しているのでした。


近くに診療所があれば、安心で便利だと思うのですが、何故?と思って診療科目を見ると、“心療内科”が専門のようなのです。ここらが反対同盟が絶対反対の理由だったのでしょう。 


心を患った人の出入りに“不安”を感じたのでしょう。でも、そういう“不安”を治療するのが“心療内科”では、“ナイカ?”と、思うのです。まぁ、そんな駄洒落を云っている場合ではないのです。

でも、真面目な話、反対していた方達には、心の病に対して、誤解と、無理解と、偏見が、あると思います。でも、判っていても、総論は賛成で・・・、でも、しかし、“自分の家の近所には・・・”と云う、各論反対が、世の常なのかも? なかなかムズカシイのです。

こんな静かで、寂しい田舎の裏道で、こんな問題が起きていたのでした。ホント、世の中、知らない所で、知らない問題が、いろいろと起きているのです。そう云えば、普天間の移設先は一体何処に?

でもしかし、普天間問題は、総論も反対、各論も反対です。

それで、裏道をくねくね走っていると、だんだん方向感覚が“狂って”来たのです。“ここは何処???・・・”状態になって来たのです。


何処なのか判らない状態で、ペダルを漕ぐ不安感、


見慣れない風景、


でも、眼に眩しく咲く、色鮮やかな芝桜に見とれたりして・・・・・・。


この先は、何処に?


こんな処に、こんな資材置き場が、


何て思いつつ、見とれたりして、そんな、不安、期待、発見。

ココは何処???・・・、私は誰???・・・、を楽しんだりして・・・・・・。

でも、あまり、いつまでも、足の向くまま、気の向くままでは、日が暮れ、体力的にも問題ですので、そろそろ、いつもの風景を探し始めるたのです。

やっと、開けた場所に出て、遠くに見慣れたビルを発見しました。


ビルを目指して、ペダルを漕ぎます。


漕いでも、漕いでも、風景はあまり変化しません。


お尻が痛くなって来ました。見た目よりも、ビルはかなり遠いようです。行きよりも、帰りは同じ距離でも、遠く感じるのです。


ホントに、“行きはヨイヨイ、帰りはコワイ”なのです。後半の帰路は、だんだん、景色などでは、無くなるのです。もう、写真など撮っては居られないのです。

家に帰って、風呂に入り、一杯飲むことを考え、必死にペダルを漕ぐのです。

それでは、このシリーズ?をこの辺で、終了とします。ホント、お尻が痛くなりました。


それでは、また明日。




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科学万博記念公園で強行突破!

2010年04月28日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

人影疎らな“万博記念公園駅”から、万博記念公園に向かいます。駅前に1.6㎞の表示が立っています。普通の人が普通に歩く速度は、だいたい時速は約4㎞程度でしょうか、そうすると歩いて30分弱と云った距離です。

でも、しかし、以前に、公園から駅まで歩いたことがあるのですが、30分では着かなかったような気がします。駅の周辺は何~にも無いので見通しが良く、駅舎は遠くから見えているのです、歩いても、歩いても、景色の変化は無く、とても、とても、遠~く感じたのでした。

距離的の1.6㎞には、たぶん偽りはないと思いますが、景観的、心理的、には、それ以上の距離感があるようです。


何だかよく判らない、周りの景色とはかなり異質の、デザイン、色使いの建物です。


遠回りになるのですが、道路交通法を遵守して、信号のある横断歩道を渡ります。


この辺りの地名は、島名、福田坪と云うようです。ぱっと見、「島名」、「福田坪一」と読んでしまいました。「一」は、「一体型」の方に繋がっていたのでした。


それにしても、「一体型」で、「特定」の、「土地区画整理事業」ッて、どんな事業なんでしょうか? 「個別で普通」の土地区画整理事業と、何処が? どう? 違うの?

まぁ、それなりに、どこか違うのでしょう。駅前の道路を隔てると、すぐにこんな草原と山林の風景になるのです。ホント、“田園都市島名”には、いつ頃、何処から、どんな人達が移り住んで来るのでしょうか?


県民として、開発関連負債の八百数十億円のことを思うと、ホントに心配になります。赤字が確実な茨城空港も、知らない間に完成し、開港後、すぐに県と国とで責任の擦り合いを始めたし・・・・・・。

それは、それとして、暫く田圃道を走ると、遠くに公園の脇に建つ“テキサス・インスツルメンツ”のビルが見えて来ました。あと0.8㎞です。やっぱり自転車はかなり速い。


こちら、標識が落下しています。しかし、地面に落ちても、正しい方向を指し示しています。何方かが正しい方向に置いてくれたのです。


ここは分かれ道ですから、間違っては大変なのです。右手方向が正しい順路です。ここで、皆さん気づきました? 標識に「科学万博記念公園」と「万博記念公園」の二種類あるのを?


地元では、正式名称の「科学万博記念公園」何て、長ったらしい呼び方はしないのです。科学も記念も省略して「万博公園」と呼ぶのです。

茨城県民は、呼称の短縮を好む傾向が「普通より?」強いのです。五浦(いつうら)を「いずら」で、谷和原(やわはら)を「やわら」で、水海道(みつかいどう)を「みつけど」で、泊崎(とまりざき)を「はッつァき」で、田宮(たみや)を「たぐー」と、呼んでいるのです。

そのうち「科学万博記念公園」の標識も、単に「万博公園」になる筈です。「科学」の無い標識が出現したので、これは、もうまもなくです。間違いありません。

それで、この二股の分かれ道を。正しくない「左方向」に進みます。左の方がかなり近道なのです。


アスファルト舗装はここでお終い。白い柵の向こうは公園です。前方をショートカットした方が歩いています。


自転車を小脇に抱え強行突破です。踏み分け道がかなり出来上がっています。この“短縮裏道”も、いつの日か、必ず正式な道として格上げされる筈です。


緩やかな坂を登ると中央広場、平日の公園に人影はありません。


公園の自動販売機で買ったアイスクリームを食べつつ、これからのコースを考えつつ、一休みです。

まだ、まだ、ポタリングは続きます。


それでは、また明日。



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万博公園駅前の“岡本太郎さん” と “もしかして闇”

2010年04月27日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

昨日の記事を読み返してみたら、タイトルが“真昼の蜃気楼”で、本文には“砂漠の蜃気楼”と書いていました。このフレーズは昔むかし“ジュディオング”唯一のヒット曲で唄われているのです。曲名も、砂漠か?真昼か?忘れてしまいました。

まぁ、真夜中に蜃気楼は見えませんけどね、それにしても「ジュディオング」と云えば、思い出すのがNHKの連続スタジオ生ドラマ“アルプス大将”です。

主役の少年が、今をときめく“住宅コメンテーター?”の“渡辺篤史”で、相手役で、腰に“荒縄”を巻いた“山の娘”がジュディオングでした。今では想像できない役柄を演じていたのです。

でも、兎に角、半世紀も前の記憶ですから、かなり危ないかも知れません。渡辺篤史のテレビドラマ出演履歴にも載っていませんでしたから、もしかして、私が観たのは蜃気楼だったかも?

だいぶ話が横っちょに逸れてしまいました。それで、話を戻します、蜃気楼のような景色は、やはり“万博公園駅”でした。


駅から歩いて1分ほどの駐車場が、何と!24時間で300円なのです。それでも、ガラガラなのです。


この写真は5年前に撮ったものです。開通したその年の風景です。が、駅の周りはあぜ道に毛の生えた程度の道しかなかったのです。


周囲は360度、一面の荒野。


それが、今では、


これですから、


岡本太郎さんですから。


荒野もそれなりに、発展しているのです。でも、やっぱり、人影はまばら。


格安チケットの自販機です。これって儲かるの? それなりの方法で仕入れて、この価格で販売して、それなりに利益を出しているみたいです。秋葉原まで曜日限定で850円、正規料金はいくらなの?


気になるので駅に確認しに行きます。


反対側も人影疎ら。


正規料金は1050円です。200円も安いのです。これって、誰が損をしているのでしょうか? チケット業者も、鉄道業者も、お客も得をして、もしかして、回数券を売った人は、購入価格以下で換金しても、それなりに利益になっていたりして・・・・・・。


もしかして、背後には、怪しいマネーロンダリングの深~い闇の世界が・・・・・・。何て、事は、妄想で、いろいろな事情があって、業者に回数券を売っているのでしょう。明るく、正しく、正々堂々の、格安チケット自動販売機なのです。 

ビルだけは、建っています。


“つくばまちつくりセンター”の、“情報ステーション”は、いったい何をしている処なの? 何か、公共の不動産屋さん見たいな事ですか? 


あちらの高層マンション、ざっと見、入居率20~30%と云ったところ、他人事で関係ないのですが、心配してしまいました。


こちらで、3LDKが1400万円で、4LDKで1800万円。人影の無い駅前でこれは、高いのか? 安いのか?


誰も通らない歩道でチラシを配っていたと云うか、チラシを持って佇んでいた業者に“この辺りのマンションを購入するのは、以前何処に住んでいた人達ですか?”と聞いてみたのです。

答えは、以外にもこの近所の、守谷とか、つくばとか、土浦とか、周辺の方だそうです。入居率は大体3割位だそうです。ホントは2割ぐらいかも。この業者は、開発業者から安く購入した“二次販売業者?”でした。

それで、この営業マンなのですが、ダークスーツで身を固めた、かなりの二枚目なのです、30代後半と云ったところで、言葉使いはそれなりに丁寧なのですが、身のこなし、表情、視線の動き、ちょっと・・・・・・でした。

いゃ、よくよく考えると、いろいろと質問をし、最後に私が“自転車であちらの方から一時間ほど走って来ました”告げたら、彼が“地元の住民の方ですかァ・・・”と呟いたのです。

濃いサングラスに口髭の私の方が、ずっと、ずっと、人相が悪く、きっと、きっと、何か怪しげなおっさんが、商売の様子を探っていると、警戒していたのかも知れません。

まぁ、“砂漠”の蜃気楼のような町で、売れ残りマンションを“捌く”には、いろいろな事があるように見えました。

公園側に戻り、


太郎さんに、別れを告げ、雑木林の向こうにある、


万博公園を目指します。駅前からは1.6㎞の案内板があります。


それでは、また明日。





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万博公園駅は真昼の蜃気楼?それにしても要害住宅ですか!?

2010年04月26日 | つくば市の風景

先週の続きです。

谷田部の十字路から、いろいろ走って、いつもは曲がらない道を曲がり、初めての道を走っています。

こんな看板が、こんな処に、誰が立てたのでしょうか、長年の風雨、風雪に耐え、トタン板は赤錆び、ペンキは退色し、周囲の木立に溶け込み、味わい深い風景となっています。


世間の風潮に対して、どうしても、一言云いたかったのでしょう。“好き”はいいけど、“隙”はいけないのです。でもねェ、いつもそんなに緊張ばかりしていては・・・・・・。


それにしても、30~40年の歳月を経過したと思われますが、トタン板製にしては、錆びても、退色しても、何となく、どことなく、毅然とした雰囲気を漂わす看板です。

杉木立を抜けると、今度は、こんな看板。“つくば市営要害住宅”です。「要害」ですよ! 「害」ですよ!害なんて、住宅の名称に付ける言葉なのですか?


知りませんでした。「要害」を辞書で調べたら、「険しい地形で、敵の攻撃を防ぐのに便利なこと。また、その土地」の事を云うのでした。

かの国の、ハンブルクと同じなのです。ブルクは日本語としては、「要害」「要塞」「砦」「城」でを意味するのです。ハンブルクもザルツブルクも要害住宅も仲間なのでした。

この住宅の後ろは、崖になっているので、地形的には確かに「要害の地」で、昔から、この辺の人達は、この地を「要害」と呼んでいたのでしょう。でも、「害」は「ものごとのさまたげとなるような悪いこと」なのです。

「あなた、何処に住んでいるの?」「つくばの要害住宅です」「要害?何それ?」「えぇ・・・、まぁ・・・」何か、気まずい雰囲気が流れそうな・・・・・・。

どうも、気持ちとして、見た目として、「要害住宅」なんて名称を、市営住宅に付けますかねェ~・・・・・・。何か、あまり、住宅には相応しいとは思えないのですが・・・・・・。でも、芝生の庭は広く、明るく、素敵なデザインの住宅です。


要害住宅を横目で眺めつつ暫く走ると、新しく完成した広い道路に出ました。


できたてのホヤホヤです。


何処に繋がっているの?


車も、人も、だ~れも居ません。


遙か彼方に高層ビル群が見えて来ました。ペダルを漕ぎつつ、頭にメロディーが流れて来ました。

♪砂漠の蜃気楼ウゥ~~ ♪ウゥ~ ♪ウゥゥ~~・・・・・・。


信号機の取り付け準備はできています。でも、まだ、当分は信号機の必要性は無さそうです。


こちら、ブルドーザーで造成中。


駅が見えて来ました。人里離れたこの駅は、どうも、“万博公園駅”のようです。数年前には、ホントに、ホントに、何~~にも無い陸の孤島のようなところでした。


駅の周囲の変化を、探って来ようと思います。


それでは、また明日。


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谷田部十字路 “こだわり”の蕎麦屋さんは長閑でした

2010年04月23日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

“不動並木(跡)”の位置は、“つくば工科高校”の裏手で、初めて通る道でした。工科高校の表の道は何度も自転車や車で通っていました。一つ裏の道に入っただけで、こんな新しい発見があったのです。

いつもと違う角を曲がり、いつもと違う道を走る、いつもと違う風景に出会う。これぞポタリングの楽しみ。

それで、ここからは、いつもの道を走るのです。ここらあたりが、谷田部の中心街で、遠くに信号が見えるのが、谷田部十字路です。

街道筋の風景です。左側の茅葺き屋根が、


五角堂です。


五角堂の隣、明超寺のこの風景が好きです。


緑と古びた木造外壁・・・・・・、この鄙びた佇まいが、とても寂しげでイイのです。


“自由の敵はわがまま”ですか・・・・・・、ウ~ン、わがままですかァ。まァ、そうかもしれない。そうすると、味方は“責任”ですかねェ・・・・・・。


こんなところに“谷川俊太郎”です。小さな魚は、大きな魚の死骸を食べる訳です。食物連鎖です、輪廻転生です。


朽ち果てつつある土壁、諸行無常を感じたりして・・・・・・・。


それにしても、腹が空いてきました。この店です、前を通り過ぎる度に、いつの日にか、きっと、必ずと、想い続けていた蕎麦屋さんです。


丁度12時、しかし、店内には誰も居ません。“スイマセ~ン”と叫ぶと、少し間を置いて暖簾の奥から、“いらっしゃいませ”とお年寄りのご婦人が現れ、お茶が運ばれてて来ました。


それで、“もりそば”を注文したのです。


それから、古い写真を眺めたり、

【ばあちゃんの話では、敗戦直後の写真だそうです。そうだとすると占領軍が撮影した航空写真?】

おばあちゃんと、建物は180年ほど前に建ったとか、不動並木は枯れてしまったとか、最近のお天気は変だとか、そんなお話をしていたのですが、もりそばの注文を誰かに伝えた、でもなく、自分で作る、でもなく、何か様子が変なのです。


と、不安を抱きはじめたその時、暖簾をくぐって白い帽子に白衣を着た老人が現れたのです。そうなんです、調理人は外出中だったのです。書き入れ時にこれですから、とても、とても、長閑なお蕎麦屋さんです。

やっと運ばれてきたソバ、汁は甘め、ソバ太めの硬め、良く噛んで食べたのですが、歯の裏側にソバが張り付いて、かなり苦労しました。それに、ソバが生暖かいのには、もう・・・・・・・でした。


帰り際に、こんな写真を発見。2005年の記事です。


1953年の創業で、最初の十年がラーメン屋さんやっていて、その後、日本蕎麦屋に転身したそうで、なんと、調理方法には“こだわってない”と正直な発言し、記事になっているのです。

取材記者は“ジャーナリスト”の“こだわり”として、真実を伝えたのです。この記事は、常陽新聞とか、茨城新聞とか、地方紙では? と思います。全国紙の地方版ではなさそうです。

“わが街の老舗”と云う企画なので、何とか、老舗らしい、それなりの“こだわり”を引き出そうと、苦労して取材する記者の様子が想像できる内容です。

“国内産そば粉にこだわり”は、いろいろ苦労して、記者が聞き出し、探し出し、見つけ出した、こだわりなのです。とても楽しい記事でした。



5年前の記事で“お客さんがいるうちは、健康のためにやっていきたい”と語っていたご主人は、当時78歳ですから、今年で83歳です。

のんびりした田舎の、のんびりしたお蕎麦屋さんでした。ご主人の様子からは、あと未だ5年は大丈夫だと、頑張って下さい。

ポタリングは、まだ、もう少し、続きます。


それでは、また来週。


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つくば市の不動並木“跡” と “相島勘次郎”

2010年04月22日 | つくば市の風景
昨日は、天気に誘われてポタリングして来ました。

青い空に、黄色い菜の花


色とりどりのチューリップ


花には紋白蝶


青葉若葉


鄙びた水門、この風景は、とても沁みます。


気持ちよさそうな鉄塔


眼に滲みる芝桜


田舎の、住宅地の、スナック?の、“せせらぎ&MARI” しみじみ沁みます。


と、そんなとき、ふと、足下を見ると、雑草の中に何やら文字の彫られた石板が、


“傘いらぬ 不動並木乃 春の雨” 俳句が彫ってあります。かなりの並木が生い茂り、多少の雨では傘が要らなかったようです。



詠んだのは“勘次郎さん”と云う方です。

この方、調べてみたら、「相島勘次郎-あいじま-かんじろう」と云って、大阪毎日新聞社政治部長,東京日日新聞社副主幹をへて明治45年衆議院議員(当選2回,国民党)。

茨城県出身の方で、俳句を正岡子規や高浜虚子に学び、昭和10年4月4日69歳で亡くなられています。号は虚吼(きょこう)と云い、その筋では、それなりに知られた方のようです。

そんな句碑があったり、“谷田部の不動並木”と彫られた、こんな石塔があったり、


こんな案内板があるのですが、


肝心の松並木は、辺りを見回しても、どこにも、そんなモノは見当たらないのです。


もう、消えてしまったようです。案内板も「不動並木“跡”」と書き換えた方が・・・と思いました。


地名“不動前”の由来の不動尊です。


屋根のトタンを錆止め色に塗るのは、とても、とても、情けなく、風情も、趣も、ありがたみも、何処か、彼方に消えて行きます。


間違えて、二礼二拍手一礼をしてしまいました。


不動前を過ぎて暫く行くと、庭先の松越しに火の見櫓が。


そろそろ、谷田部の中心街に入って来たようです。

お腹も空いてきました。何か、何処かで、ランチを・・・・・・。


それでは、また明日。


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また“笹”でトンカツを食べました

2010年04月21日 | 食事の話し
昨日は、また「笹」に行って来ました。

今回は、写真を見、話を聞き、私も食べたいとのリクエストに応え、母との二人連れです。

12時ちょっと前に到着。店内には1組3人の客のみ、60代の夫婦にその父親らしきご老人。話の様子から、近所の方で店のご主人とは知り合いの様子。


こちらも空席。


こちらも空席。前回はこの左手の席でした。


カレンダーには、水曜日が半丸印し、木曜日には全丸印しが、たぶん定休日です。


母は“ねぎ巻き定食980円”


思ったよりボリュームがあります。全部で9個、


2個は私が頂きました。それにしても、手が掛かっていて980円。1000円でもいいのにと思います。お釣りの20円は半端です。


私は迷った末に、結局はトンカツ定食1000円を注文。9日ぶりのトンカツです。気のせいなのか、心なしかキャベツの量が少ないような?


前回は、数年ぶりの“外トンカツ”で、それなりに興奮したのですが、9日ぶりの“外トンカツ”は、まあ、まあ、の、お味でした。

母は“ねぎ巻き”が気に入ったようで、いろいろ付いて980円は、とても、とても、お安いと云っていました。1980円だと思って食べていたそうです。

食事が終わる頃には、二組4人と、一人客が二人で、店内は合計11人の入り、平日の昼客はこの程度のようです。

ボリュームがあり、値段にしては“そこそこの味”、気楽な田舎の“トンカツ屋さん”です。帰り際に聞いたところ、水曜日は昼食のみ営業で夜は休み、木曜日は全休との事でした。

それで、厨房の“お兄さん”の、“ありがとうございました”の声、表情、とても感じが良かったです。お父さんと二人で厨房、お母さんは料理を運ぶ、そんな感じがしました。

食後の腹ごなしに、福岡堰に寄って来ました。この場所からが、桜並木に一番近いのです。


満開を過ぎた、こんな感じも、


こんな感じも、とても、とても、好きです。風情です。


この日は暖かかったのですが、風が強く、髪が乱れると母が云うので、早々に引き上げることにしました。

美味しい昼食に満足し、福岡堰の桜に満足し、帰りにホームセンターで買い物をして帰宅しました。


それでは、また明日。


※今日はとても良い天気で、これから近所をポタリングです。


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カガミクリスタルは宮内庁御用達で日板の子会社

2010年04月20日 | 龍ヶ崎の風景
暫くぶりの“カガミクリスタル”です。

3月24日、一日おいて、3月26日、そして、約1ヶ月の時が流れての再開で、最終回です。やはり、中途半端は気持ちが悪いので、今日、キッパリと締めたいと思います。

それで、田舎のガラス屋さんと思っていたところ、とんでもない、大変に由緒正しい、クリスタル業界の、草分け、先駆者、第一人者、“各務鑛三”が創業した会社だったのでした。

記念館があるくらいですから、“徒者ではない”とは思っていたのですが、まさか、こんな田舎の工業団地の片隅に、そんな会社があるとは、ホントに思っても見なかったのです。

工業団地の片隅と云えば、案内板にはカガミクリスタルは載っていないのです。何故なんだろう?どうして何だろう?と考えていたら、答えが見つかりました。

カガミクリスタルの場所は、何故か、あの業界ナンバーワン“日本板硝子”の敷地になっているのです。


それで、“カガクリ”のHPを偶々見ていたら、“日板”が株式の100%を所有する子会社だったのです。知りませんでした。

それにしても、“日板”の敷地内に括弧付けで、“カガクリ”とか、“各務鑛三記念館”の表示ぐらいは載せたらどうか、と思うのです。日板の見学に来る人はいませんが、カガミクリスタルには、見学に訪れる人はそれなりに居る筈です。

現在は、そんな、業界内の位置にあるのでした。まぁ、そんな、こんなは置いといて、兎に角、作品を鑑賞致します。

これは、一番、手間と暇をかけた作品では、と、思ったのです。器の内側に女性の裸像を彫ったのです。これって、頭の中を逆さまにしないと彫れないのです。


でも、もしかして、平らな板に彫った後、その板を加熱して筒状に成形したのでしょうか? その辺の加工技術が業界的に評価されているような気もします。裸像それ自体は、特に造形的に優れているとは思えませんから、もしかして正解だったりして?

こちらは、ポッテリとした肉厚に模様を刻んでいます。どの辺がムズカシイのでしょうかね。


こちらもポッテリ系です。落としても割れそうにはありません。


宮中晩餐会の写真です。お相手はたぶん“フォード米大統領”だったような? 


宮中、迎賓館、海外の大使館、すべてクリスタルの器は、カガミクリスタルの製品が使われているようです。ガラスの器は、やはり薄く、落とすとすぐに割れる、そんな繊細な処がいいような気がするのです。


かなり芸術に走ったポッテリ系の作品。きっと、加工技術としてはかなりの難易度なのでしょう。


左側の作品が好きです。


記念館は、こんな処です。


隣の、事務所兼、ショールームを覗いてみました。


ちょっとしたこの置物で15万円で、


それなりに、気に入ったこの器は、50万円でした。


こちらの色の方が、と、思ったのですが、50万円ですから、


確かに、それなりに価値のある作品だと思うのです、でも、しかし、この作品を飾るには、家から造り直さないと、ダメなのです。

お土産に、何か、手頃なモノをと思ったのですが、最低でも、数千円からなので、見るだけにして、諦めました。

在庫処分セールが狙い目かも、7月の17・18日に開催されますので、50万円のモノも2~3割引で買えるかも知れません。


カガミクリスタルの“各務鑛三記念館” 一度、覗いても、損はないと思います。


それでは、また明日。


※今日は、どうしても、笹のトンカツが食べたくなり、これから、行って来ま~す。

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“牛久自然観察の森”でタチツボスミレが“群生”ですか?

2010年04月19日 | 季節の風景
先日、新聞に載った「タチスボスミレ」の“群生”の文字を見て、「牛久自然観察の森」に行って来ました。

“群生”の文字に、視界一面を埋め尽くタチツボスミレの薄紫の花、花、花・・・を想像し、大いなる期待に胸膨らませ、弾ませ、踊らせて、ペダルを漕いだのです。

観察の森に到着です。ゲートをくぐり、左手の駐車場脇にあるトイレで用を足し、いよいよ、群生を目指します。


ここから園内になります。広い原っぱでは一組の家族が遊んでいました。


木立の間から“ネイチャーセンター”の屋根が見えます。あの辺りに“群生”がある筈です。


説明板もあります。


タチツボスミレは、確かに咲いています。


でも、これって、群生? これは、場所が違うの? 群生は別の場所?


園長の特製看板もありますし・・・・・・。


記事ではネイチャーセンター脇の斜面と書いてありましたから、ここで間違いなさそうだし・・・・・・。


でも、これを“群生”と云うの? もしかして、盛りを過ぎたの? でも、新聞掲載は2日前だし・・・・・・・。


これは、もう、関係者に確かめる必要があります。ネイチャーセンターに向かいます。入り口でスリッパに履き替え、中に入ります。カウンターには誰も居ません。

カウンター奥の事務所では20代の男性が机に座り、パソコンに向かっています。「すいませ~ん」と声を掛け、

「そこの脇がタチスボスミレの“群生”場所ですか?」群生にちからを込めて聞いたのでした。
「はぃ。そうですけど」
「そうすると、もう、盛りを過ぎってしまったとか?」
「いぇ、そういう、わけでもないですけど・・・・・・」
「はぁ~、そうなんですか・・・・・・」
「園内には、他にも何カ所か咲いている場所がありますから、見つけてみて下さい」
「はぁ~、そうですが、他にも群生している訳ですね・・・・・・、ふ~ん、判りました」

どうも、群生の解釈に、かなり開きがあったようです。あの疎ら咲きも、それなりに群生と云うようなのです。

先ほどの群生地に戻り、特製園長看板をもう一度、しみじみ眺めます。


芭蕉の詠んだ句、「山路来て 何やら ゆかし すみれ草」を眺めつつ、スミレに“ゆかしさ”を感じるには、やはり、群生よりも、ひっそり、寂しく、ポツリ、ポツリと咲く方が“スミレらしい”と思ったり・・・・・・。

夏目漱石の「菫程 小さき人とに 生まれたし」を眺めつつ、やはり、スミレは隅っこで、ひっそり、静かに、真面目に、けなげに、咲いてこそスミレだと思ったり・・・・・・。

派手で、賑やかな、“群生”は、スミレには向いていないのだと、ひとり、納得しつつネイチャーセンター脇の、群生地を後にしました。

それでェ、それがァ、帰り際に入り口の駐車場の反対側にある林を見たら、なんと、なんと、一面を被う薄紫。


これは、もう、群生です! 間違いなく、正しい群生です。


タチツボスミレです!


ひっそり、ポツリ、ポツリも、ゆかしくて良いのですが、派手で賑やかな群生もまた、タチツボスミレには似合います。



“牛久観察の森”いろいろな、タチスボスミレ、ヨカッタ!です。


それでは、また明日。




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