歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

食べ物屋のメニュー・サンプル

2006年11月30日 | 東京の風景
値段が「凄い」ですね~。872円とか、893円とか、819円とか、788円とかね。
「キッチリ」と「消費税5%」を頂きます。そんな姿勢がこの端数に込められています。一円玉が増えて大変そうです。




何故か神社に居る「一対の狛犬」が「サンプルケース」の下に置かれています。店主が狛犬好きで、「厄よけ・魔よけ」ついでに「商売繁盛」を願った? 



これは本物です。食べられるのです。ランチタイムに店頭に置かれていまた。
「もったいない」気がします。後で捨てるしかないでしょう。何も被していないのですから、罰が当たりますよこんなことをしていると。 



これは所謂、「定食屋」ですが、明るく「ファミレス風」です。しかし、メニューには、納豆、焼き鮭、みそ汁、シラスおろし、お新香、鯖の味噌煮、ほっけの塩焼き等々、まさしく「定食メニュー」です。
しかし、しかしですね。定食屋には「哀愁」が必要ですなんです・・・・・・・そう、思いませんか?




これも、「ファミレス風」定食屋ですが、「ホッピー」の隣が「エビス」です。
「低級品?から、高級品まで当店はカバーしています」ってことですかね。

最近、焼酎ブームで「ホッピー」が復権しています。昔は「労働者」が「煮込み」突っつきながら飲む、安物のイメージだったけど。最近は近所の大型スーパーでも見かけます。




今日は、体調が最悪です。朝起きたら喉が腫れ、痰が絡み、吐き出そうとすると猛烈に痛くて、このままでは、腫れで「喉が詰まって」しまうのかと思いました。

昨日の晩、喉に違和感があったのです。今日で「峠」を越えたと思います。
「若い?」から治りが早いです 


こんな症状は始めてです。熱は「38度8分」どあり、酒を飲んで酔っぱらっている感じです。体中の間接が痛かった。

うがい薬でうがいをし、風邪薬を飲んで寝ていたら、夕方には熱も「37度5分」に下がり食欲も出ました。

みなさん。風邪に気を付けてください。「早寝・早起き」ですよ。


今日は薬を飲んで、早めに寝よッと  




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銅像のある風景 「何か変だぞ~!」編

2006年11月29日 | 街の風景

常磐線の三河島駅を降り、線路に沿って5分ほど歩いた公園にある「女性」の像です。

あまり接近して、詳細に観察するのを憚るような銅像なんです。写真を撮るのも何か恥ずかしい気持ちになりました。もしかして、それなりに「名の知られた作者」が制作したのかも? 兎に角、近づきにくいのです。 

着るなら着る。脱ぐなら脱ぐ。下半身だけ露出するのは「如何なもんか?」何~て思ってしまう。見る人の「こころ」を「複雑」にする「芸術作品」です。






亀戸天神から業平に向かう途中で見つけました。
銅像に何か着せるのは、浜松町駅にある「小便小僧」が有名ですが・・・・・・。
そう言えば、いつの頃からか季節の話題として「着せ替え」を取り上げなくなりましたね。

銅像の作者として、完成された作品に「衣服を着せる」のは、著作権の侵害にあたる行為と解釈されますね。善意であれ悪意であれ、作者にとって不愉快なものでしょう。
小便小僧もそんな事情があて着せ替えは現在やっていないのかもしれません。

※只今、ネットで調べたところ、いまでも毎月一回、衣装替えをしていました。話題性がなくなったので「報道」しないのですね。

ホント!テレビ・新聞等が取り上げないと、その事実は、世の中に存在しないのも同然となってしまう。怖いですね~ 

※銅像は下記の矢印の場所に建っています。橋の袂の小さな公園です。2017/2/7


話しを「ウサギと遊ぶ少年」の像に戻します。
「赤い帽子に青い上着」、見た目が「ひどく貧乏臭い」のです。善意であっても、作者に対して失礼な行為です。

これでは、安っぽい置物です。楽しくウサギと戯れる少年が、お腹を空かしたストリートチルドレンに見えてきます。作者の制作意図とは乖離してしまいます。



そして、最後はこの「芭蕉さん」です。
深川の清澄通りに面してこの像はあります。毎日、こうして「行き交う」人々を眺めています。


それにしても、この芭蕉が座っている「濡れ縁」、後ろの「ガラス戸」。まるでこれでは、安い建て売り住宅の見学に来て、疲れて休む「爺さん」にしか見えません。

銅像に予算を使い果たし、背景にまでお金が回らなかったのですか?
それにしても、これでは「侘びしい佇まい」ではなく、「情けない佇まい」ですね。
「わび・さび」も何処かへ飛んでいきます   


「情けない」ついでに私も一休みしました。すいません「芭蕉さん」隣に座らせて下さい。お互い「旅人」ですからね。

今日は早めに書けたので、ゆっくり飲~もうッと!  





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平沼さん「計算」が見えますよ!

2006年11月28日 | 世間話し
平沼赳夫さん。「復党問題」で、あなただけ「誓約書」を提出しませんでしたね。
あなた以外は「誓約書」を提出したそうですね。まァ。残りは「ロートル」の「堀内光雄さん」と「雑魚」ばかりですからね。

そう言えば、「日本初の女性総理」なんて「持ち上げられた」お嬢さん議員がいましたね。

「野田聖子」さんでしたっけ?、彼女も「地元の選挙対策」で、無所属で当選した後の国会で、結局、「郵政改革法案」に賛成投票しましたね。国政よりも「選挙対策」ですね。

失礼しました。「無所属」ではなく「自由民主党岐阜県連公認」でした。どうでもいいけどね。

それと、刺客で公認された「佐藤ゆかり」さん。ホントにあなたは「衆議院議員」ですか? 日本の将来が真っ暗になるようで・・・・・・情けない。まともな候補はいなかったのですかね。

総理も総理だし。幹事長も幹事長だし。選挙民も選挙民だし。国民も国民だし。マスコミもマスコミだし・・・・・・・。何のコッチャ?

今日、自民党岐阜県連の内紛を伝えるニュースに出演していた地方議員は、話し方、態度など、単なる田舎の「ゴロツキ」に見えました。地方議員に居るんだよね、この手のタイプが実力者何て呼ばれて。これも日本の現実ですね。


そうでした。平沼赳夫さんの話しでした。
あなたは、誓約書を書いて「復党」したところで、近い将来自民党の「総裁候補」になる可能性は限り無く「ゼロ」に近い・・・・・・と考え。

それに、万が一「総裁」になったとしても、。「変節漢」として野党から格好の攻撃材料にされ「選挙の顔」としては不利だ・・・・・・と考え。

「残された道」は、自民党から「頭を下げて」迎えに来る「起こりえない状況」に賭けるしかない・・・・・・・・と考え。

「限りなくゼロ」に近い、「総理大臣」の「可能性」を求めて、「筋」を通す道を選んだのですよね。

しかしです。
いや。しかしではなく、気が付いていますよね平沼さん。

「郵政改革法案」の成立、反対派の「追い出し」は、「小泉」自民党の意志でもなく、自民党の意志でもなく、官僚の意志でもなく、財界の意志でもないことをね・・・・・・。

過去において、
加藤紘一(この人は生殺し状態)、野中広務、亀井静香、そして、その昔の「田中角栄」。
そして、昔マスコミにおいても、毎日の大森実記者、TBSの田英夫キャスター。

有名な話しですから、知ってますよね? 葬られたことを?
「反体制」の人間が「反対」を叫んでも影響力が少ないが、「体制内」の人間が反対を叫ぶと「葬られる」ことをね。

この際、自民とか、反自民とか、与党とか、野党とか、「つまらない。小さな。目先の問題」を捨て、国家の独立の為、平和の為に、大きな敵と徹底的に闘ったら如何ですか。

あなたが「単なる政治屋」ではなく、「政治家」であるならば、残された選択肢はそれしか無い筈です。

そして、数十年後に評価され、歴史に名前を残しましょうよ。
目先のくだらない地位や名誉など気にせず、過去、現在、未来を考え判断するべきです。

大きな敵は誰でしょう? それなりに判りますよね。具体的に書くと、私も葬られる危険性があるので・・・・・。そんなこと有るわ訳ないか 

先日、ロンドンでロシアから亡命した、情報将校が暗殺された事だしね。
私の「正体」がある国の、元「情報員」だったりして・・・・・・。 

焼酎の季節、飲み過ぎました。私が、平沼先生に余計な事を云う筋合いでは有りませんでした。所詮はコップのなかの嵐でした。 

さーてと、もう一杯飲んで寝よっと! 

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十文字が優勝しました!

2006年11月27日 | 相撲の話し

やりました。     
十文字が13勝2敗で十両優勝です。
前に、「このまま消えてしまう予感」何て書きましたが見事復活しました。初場所は幕内返り咲きです。



幕下ではモンゴル出身の「白馬」が優勝して、来場所の十両昇進を決めました。これで、陸奥部屋は今場所二人の優勝者を出しました。


陸奥親方、おめでとう御座います。


それにしても、それにしてもです、ま~た「朝青龍」でした。しかも、「全勝」です。その次にくるのが、幕内二場所目で、東前頭11枚目の「豊真将」の13勝2敗ですからね。

横綱朝青龍と大関・三役陣との「力の差」が開き過ぎています。
毎度お馴染みの「前半好調」、後半「ガタガタ」の大関陣。
琴欧州の大関は早すぎました。相撲になっていませ~ん。

三役「希勢の里」は前に書いたよえに「そこそこ勝って、そこそこ負けて」8勝7敗でした。これでは、「希にみる」「勢い」ではなく、「希にしか」「勢いがない」になってしまう。

「琴光喜」、「雅山」この二人は「精一杯」やって「こんなもん」でしょう。大関は無理です。頂点はもう過ぎていますから。

「黒海」は「心」が弱い。「ゲン担ぎ」で髭を伸ばすのは止めなさい。そんなことだから相手に心を読まれ、仕切前に負けてしまうのです。

そして、把瑠都 です。
あの「めちゃくちゃ」な相撲で10勝5敗です。以前より「めちゃくちゃ」度が酷くなっていますね。来場所は上位ですから、前半に横綱・大関と当たるでしょう。一度大負けして今の「変な自信」が、うち砕かれることを期待します。



 更新が遅れました。
三歳の孫が土曜日に一人で「始めてのお泊まり」をしたのです。もう大変でした。歩き周り、しゃべりまくり、じっとしていません。

何をしても「可愛い」のです。 「じーじ。だーーいシュキ!」何て云われちゃって、もうメロメロでした。 


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私が惹かれるこんな風景

2006年11月26日 | 東京の風景
こんな風景が、気になるのです。
何故か?・・・?。何処か?・・・?。惹かれてしまうのです。


「七色唐がらし」、「木枠のガラス戸」、「こぢんまりとした店」いいです。
「七味唐がらし」と何処が違うのか? 七つの「味」と「色」。香辛料ですから「味」の方が重要です。しかし、色に拠って「香り」を表現しているとも言える?
「七味」か、「七色」か、単に商標登録の問題なのかな?


椿山荘から、脇道を通って護国寺へ向かう途中で見つけました。
建物の外壁の色。窓ガラス。瓦付きの塀。庭木の枝ぶり具合。そして、緩やかな坂道。すべてが調和しています。しかし、坂道に対して直角に立てられた電柱が変です。ミラーが邪魔です。


何気ない、裏通りの階段。
階段って好きなんですよね。登った先に何があるのか? 何てね。それと、登った後に、必ず「振り返って」しまうのです。 
この階段は、歩幅の調整が難しく、歩き辛かったです。登った先には「十条商店街」がありました。振り返ると「京浜東北線、東北・上越新幹線」の線路が見えました。


画面を水平に横切る朱の欄干と、垂直にそそり立つ青の高層アパート。構図が決まってます。佃島の高層アパート群です。


王子駅の裏、線路に沿って建つ「飲み屋街」。
終戦後の混乱を一時過ぎて建てられた建物ですね。ここだけは「完全」に「時間」が止まっています。「グローバルスタンダード」など、全く関係のない別世界です。映画のオープンセットと錯覚します。

いつか、どこかで、なにかに繋がっている。そんな風景でした。

     今晩はこれで   







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NHK「放送事故?」と月齢そして長万部からコマネチへ!

2006年11月25日 | 世間話し

・・・・・・「放送事故?」その2・・・・・・

それは、私が以前、東京に通勤していた頃の話です。
駅から家に帰る途中で、カーラジオでNHKの気象情報を聞いていたときのことです。

女性のアナウンサーでした。
『それでは次に、明日の「月経」です・・・・・・・・。失礼しました「月齢」です』
言い間違いの後、訂正までの沈黙が数秒ありました。

私は一瞬「うん? 何だいまの?」思いましたが、その云い間違いの意味を直ぐに理解しました。

その後です、次の言葉がいけませんでした。

『次に、「満潮」・・・・・・時間は・・・・・・○○○です。「干潮」・・・・・・時間は・・・・・・○○○です』

読み上げる速度が極端に落ちました。特に「満潮」と「干潮」の箇所は、言葉を一つ、一つ区切って確認するように読んでいました。

きっと、彼女の頭の中は、こんな風だったのでしょう。

『この「満潮」という字は「まんちょう」って読んでいいのよねェ?「干潮」という字は「かんちょう」って読んでいいのよねェ?・・・・・・いや? ちょっと待った!。変かも、エッ!。もしかして? エッ、また私、トンデモナイことしゃべったのかしら、イヤ、そんなことナイッ! 絶対ナイッ! これでいいのよ! 間違いないわ、絶対に間違いないわ・・・・・』

そんな心の動揺が伝わってくる読み方と声でした。確かに、「月経」で躓いた後の言葉が、「満潮」と「干潮」ですからね、下半身を連想する言葉が3回も続いた訳ですから、彼女の頭のなかは相当に混乱した筈です。


「言い間違い」「聞き間違い」には、それなりに理由があると、あの「偉大なフロイト大先生」が云っていましたから(たぶん云ってました)、きっと彼女はその時・・・・・・そうだったのでしょう。

放送終了後、スタッフに笑いなから『あーあ。やっちゃった。もーうショック』等と言えればいいのですが、気まずい沈黙があったとしたら、彼女立ち直れないかもね。

もしかして、今頃は、地方の放送局、そう。北海道の「長万部放送局」に飛ばされていたりして・・・・・・。そんな放送局はないか。

「オシャ・マンベ!」って「ギャグ」知らないよね? 「マンベ」の所を強調します。「由利徹」のギャグです。「ビートたけし」のギャグ「コマネチ!」の起源はこれだろうね多分。

膝を曲げ、股を広げながら言うところはほとんど同じです。「コマネチ」と同じくらい流行りました。

「脱線トリオ」のメンバーでした。南利明、八波むと志、みんな死にました。
脱線の後は「転覆」なので「てんぷくトリオ」が誕生。
現在、生存者は伊藤四朗ただ一人です。

本日は、軽い下ネタでした。


     さぁーてと。テレビでも観てから寝よっと!  


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落とした15円 と コッペパン

2006年11月24日 | 昔の思い出
先日、配偶者と一緒に、私が生まれてから小学校4年生まで住んでいた町に行って来ました。

その時に、ある「出来事」を思い出したのです。


 
昔、私が住んでいた家は、東京の外れの町で、木造二階建ての集合住宅です。
当時「引き上げ者住宅」と呼ばれた公営住宅でした。木造二階建て、十所帯が一棟に暮らしていました。

そのような建物が十棟あり、私の住んでいたのは「六寮」(寮という呼称でした)の一階でした。六畳と四畳半の二間で、炊事場、洗濯場、トイレは共同です。もちろん風呂は無く、近所の銭湯でした。

両親は「引き揚げ者」ではなかったのですが、結婚したけれど二人で暮らす家が無く、知り合いの紹介で何とか入居できたのだと、後年母から聞いた憶えがあります。

その頃は日本中が貧乏でした。子供のケンカで、いじめられていた子が「オマエんところの家になァー! 米。貸してんだぞォー」と叫んで形勢が逆転する、そんな時代でした。
 
家を出て2時間ほどで到着しました。

昔の記憶を頼りに、暫く辺りを歩いてみました。少しずつ当時の風景が甦ってきました。消防署、お豆腐屋さん、駄菓子屋さん、酒屋さん、建て変えられてはいましたが、元の場所にあったのです。
消防署の「火の見櫓」は昔のままです。

住んでいた建物は、鉄筋コンクリート四階建てのアパートに変わっていましたが、建物の配置は当時のままのように思われました。

野球場があった向かいの公園に行ってみると、外野には芝生が張られ、夜間照明、ダックアウト、外周にはフェンスがあり、立派な設備の野球場になっていました。バックネットの土台部分のコンクリートだけは当時のままです。

バックネットの前で、バットを構えている当時の写真が、今もアルバムにあり、その写真の情景を思い浮かべながら、ぼんやりと辺りを眺めている時に「ある出来事」を思い出したのです・・・・・・・。

 
あの頃、母は縫い物をして生活費の足しにしていました。母が縫い終わった着物を届ける為、ひとり留守番する私に、昼食の「コッペパン代」として十五円を渡して出かけた日のことでした。

当時、児童数に対して教室数が不足し「二部授業」が行われ、その日は給食のない午後の授業の日でした。

私は、四寮に住んでいる同じクラスの「トモキ」と二人、公園のバックネットの前で昼になるまで遊んでいました。

昼近くなり、母に貰った十五円でマーガリンをつけた「コッペパン」を買おうと、ポケットを探ったのですが、十円玉も五円玉もいくら探しても見つかりません、トモキと二人でバックネットの前を散々探したのですが、見つかりませんでした。

トモキが呼んで来たのか、たまたま通りかかったのか、記憶は定かではないのですが、トモキの「お母さん」も加わり一緒に探し始めました。少し時間が経って、トモキのお母さんが「しんちゃんあったよ!」と叫び、十五円を渡してくれたのです。

その思い出話しを妻にしているとき、ハッとしたのです。

『もしかして。あの「十五円」はトモキのお母さんが……』

二人で土を手ではらい除けたりして、散々探しても見つからなかったのに、何であんなに簡単に見つける事が出来たのか。

あの十五円は、私が落とした十五円ではなく、トモキのお母さんが、見つけたふりをして私にくれたのでは・・・・・・。
 
『お昼を食べずに、お腹を空かして学校に行かせるのは可哀想だし。でも、あげると受け取りにくいだろから・・・・・・』

トモキのお母さんは、気遣って「お芝居」をしたのではないか。


その事を妻に話すと、
「そうかもしれないねェ」と云ってくれました。

私は「そうに違いない」との思いを強くしました。

今日ここに来て、トモキの「お母さん」の優しさを「45年後」に受け取り、温かい気持ちになりました。

『トモキのお母さん、ありがとう』 心の中で呟きました。


「久ぶりにコッペパンにマーガリンを付けて食べたいネェ」と、妻と話しながら公園を後にしたのです・・・・・・。


トモキは、その年の夏休みに千葉県に引っ越して行き、私も翌年の春に少し離れた所にできた、新しい団地に引っ越しました。

「トモキ」の「お母さん」はきっと、いまでも元気に暮らしていると想います。

 
 い~い話しです。    


     今夜はきっといい夢が見られそう・・・・・・ 
   
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理事長 「貴乃花審判」の挙動が変です!

2006年11月23日 | 相撲の話し
今場所の2日目と、10日目の中入り後に、貴乃花親方が「審判員」として土俵下にいました。

2日目は「向正面」、「控え行司」の左側に座って、親方は常に土俵中央に顔を向けていました。



何番か取り組みが進うちに、おかしな事に気付いたのです。

それは、他の審判は、土俵上の力士の動きを追って、上体を動かし「勝負」の行方を確認しているのですが、貴乃花親方だけは、常に姿勢を崩さず土俵上の動きを「眼だけ」で追っているのです。

一番不自然に見えたのは、親方から見て右側の土俵際で勝負が決まったにも関わらず、親方の顔は、反対の左側土俵中央を向いたままだったなのです。

土俵上で力士が四方八方動き回っても、親方の態勢は微動だにせず、「眼」だけで動きを追っているのです。

これは絶対に変です。  ある意味「可笑しい」です。

そこで、私は考えたのです。『何故なんだろう?・どーうして何だろう?』

話しは突然、ぶっ飛び  ますが、上の「フレーズ」覚えてますか?
知る人ぞ知る、あの「タモリ」が昔やっていた物真似のネタです。

それは、NHKで「成人の日」に放送していた「青年の主張」全国大会の出場者の物真似です。

当時、出場者の話にかなりの確率でこの「フレーズ」がでてきました。
辛く、厳しい状況のなかで「何故ナンダロー?どうしてナンダロー?」と考え、苦境を乗り越えてきた体験談ばかりでしたからね。

それをタモリが「お笑い」にしてしまったのです。それと前後して、この「青年の主張」は終わりました。高度成長が終わった時期と重なっていたような気がします。  笑いが世の中を変える  


あっ。話しがそれ過ぎました。それで貴乃花親方の問題何です。何故彼があのような不自然な挙動をとるようになったか、その原因の「スルドイ分析」です。

 それは、ある出来事がキッカケでした。
彼が、大関に昇進して間もなくの頃です。勝負が終わり土俵下に下りて、柄杓の水を口に含み、強く吐き出したのです。かなり興奮した状態で、周りが見えなくなっていたようです。

この行為は、マスコミでも取り上げられ、当時協会からも注意を受けたと記憶しています。それまで、貴乃花は「闘志」を剥きだしにしていました。

その事件後、土俵態度が変わりました。親方から指導があったのでしょう。終始、一点を見つめ「無心の境地」を「演じる」ようになりました。それが「品格」と教わったのでしょう。

まさしくしく「演じ」ていたのです。しかし、演じ切ることはできなかったのです。一点を見つめる「表情」は、誰の眼にも「無心」ではなく、単なる「無表情」にしか見えませんでした。ときどき「放心状態」にみえました。

これは、彼の性格?、資質?、の現れでしょうか。兎に角「生真面目」で、一度信じた相手の助言は「盲目的」に信じてしまうのです。

そのことの、ひとつとして、兄の「若乃花」との現役時代の対立、そして、二子山親子の亡くなった時の「遺産相続」事件がありました。

そうなんです。
あの微動だにしない「姿勢」は、「審判の権威」を表現しているつもりなのでしょう。きっと信じている「誰か」の助言を、「盲目的」信じたのか、あるいわ「表面的」に理解した現れではないか・・・・・・と思います。

もしかして、すべて「女将さん」に「操られて」いるのかも・・・・・・、何かそんな気がしてきました。

彼が大関以降、一度だけ本当の姿を見せた時がありました。それは引退間際、膝の痛みに堪えて、千秋楽の決定戦で勝って優勝した時です。

あの「コイズミ君」が「カンバッタ! 感動シタ!」と叫んだ時でした。

あの「闘志」剥きだしの、あの「土俵態度」で良かったのです。
二子山親方を含め、取り巻きが悪かったのでしょう、残念ですね。

眼だけを動かすのは「変」です。町中であれば、挙動不審で警察官に職務尋問されますよ。ホントに!!

北の湖理事長! 正しい指導をお願いします。

10日目もそうでした。、昨日も幕内前半戦の審判席にいましたが、土俵上の動きを全く見ていないようにみえます。眼だけは動かしていたのでしょうが。

 絶対に可笑しい    絶対に変です 

       理事長頼みますねッ! ホントに!


              ああ。疲れた、寝よっと  



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「膳場貴子さん」と「放送事故」

2006年11月22日 | 世間話し
先日「YouTube」で、NHK時代の膳場さんの、放送事故場面を見ました。

ニュース番組で、気象情報のコーナーだったのですが、途中で突然、膳場さんを撮しているカメラに切り替わったのです。

膳場さんは「ペットボトル」の水を飲もうとした瞬間で、ボトルに口を付けたタイミングでした。善場さんは「モニター」を見て気が付いたのでしょう、直ぐにボトルから口を離しました。目は泳ぎ、呆然とした表情でした。

それでも、そんな状況に於いても、膳場さんの表情は「素敵」でした。どんな状況でも、どんな表情でも、不思議なオーラを感じます。 



NHKを退職して、TBSの「ニュース23」に出演している彼女を、先日、一度だけ観ました。(普段この時間は寝ています)

やっぱり、思った通り、まったくダメでした。普通の「女子アナ」でした。可哀想 

「草野満代」さんと同じです。NHKではそれなりに「輝いて」みえるのですが、民放に来ると、何故か「ただの女子アナ」になってしまうのです。

何故か?
  それは、NHKの「放送全体が地味」なのです。民放はCMが入る為に「音と映像」が派手なのです。
民放の中ではNHKで育った女性アナは「埋没」してしまうのです。民放の女子アナは派手です。  スルドイ!分析だ

貴子さんのように、清楚で、お淑やかで、物静かで、控えめで、上品で、優雅で、こころ優しく、そして「貴い」あなたは「民放向き」ではありません。

その点、NHK出身の男性アナは成功している人が沢山います。やはり、男は中味で評価されますが、女性アナは何と云ってもやっぱり「外見勝負」なんですね。

私も、まさに「外見」でしか膳場さんを「評価」していませんでした。 
「東京大学医学部・保健学科?(そんなのあるんだ)卒業ですから、それなりに中味はあるのでしょうが、世間の評価も「外見」でしたからね、NHK時代についても。 

外見も中味も、やっぱっり「NHK」という「枠」のなかで「輝いて」見えたのだとと思います。

あーあ。やめなければ良かったのにねェ。  残念!!

    
      さぁーもう寝よッ。  


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「山門不幸」と広辞苑? 

2006年11月21日 | 東京の風景
以前、谷中界隈を歩いているときに、目に付いた「看板」というより「高札」と云うんでしょうねこれは。「山門不幸」と書いてあります。


お寺の入り口、「山門」ですね、その傍らに立っていたのです。この日、これと同じものを、3回ほど見かけて気になって撮したのです。

私の母は、天台宗の寺の娘(84歳ですけど、こういう時はこういう表現でよかったですよね)なので、帰って来てから聞いてみたのですが、まったく判らないとのことでした。

そこで、焼酎を飲みながら、じっくりと「5分ほど」考えたのです。
「山門不幸」を先ず、二つの言葉に分けて考えたのです。
我ながら「スルドイ 」  

「山門」は寺を指しますし、「不幸」は、人が亡くなった時に使う表現なので、併せて考えれば「寺で人が亡くなりました」と云う事であろうと想像できます。寺の人は「住職」を指すのでしょう。

そこで、岩波書店の「広辞苑」で調べたのですが、

「三文絵」ヱ安物のつまらない絵。

「さんもんオペラ」 ブレヒトが台本を書き、Kワイルが作曲した音楽劇。

「三門峡」中国、山西・河南省境にある黄河中流部の峡谷。二つの岩山により、黄河の河流が3本の急流に分れることから名づけられた。

「三問三答」中世、幕府の訴訟手続の一。

「三問状」三問三答において、訴人の第3回目に提出する訴状。

「三文小説」低級な小説。つまらない小説を軽蔑して呼ぶ言い方。

「山門造り」寺の楼門の2階造り。

「三門徒」越前国に行われた浄土真宗の一派。

「三門徒派」浄土真宗十派の一。如導を派祖とし、福井市の専照寺を本山とする。

「山門派」比叡山延暦寺を本山とする天台宗の一派。

「三文花」仏壇や墓前に供える安い切花。

「三文判」できあいの粗末な印形。

「山門奉行」室町幕府の職名。延暦寺の訴訟などをつかさどった。

「三文文士」つまらない作品しか書けない文士。また、文士の蔑称。

などが載っていましたが、「山門不幸」はありませんでした。「さんもんぶぎょう」はかなり近かったのですが・・・・・・。

そして、インターネットで調べたところ、私の推理は正しかったようです。
調べる前に「考える」、必要ですね。

「ブログ名」が、「歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・」ですからね。
本日は「ブログ名」に対して「忠実」に書かれております。 

あっ!。抜けていました。そう「食べる」です。
この日は、日暮里で降りて谷中界隈を歩き、11時少し過ぎに谷中のそば屋で「もり」を食べました。ごく普通の店の、ごく普通のモリソバでした。


その後。尾久、熊野前、町屋から北千住まで歩きました。それでですね、町屋の「松屋」で「牛丼」を食べてしまいました。この日、2回目の昼食でした。


「町屋」の「松屋」で牛丼は語呂が「良い」けど身体に「悪い」。

カロリーオーバーは  になる。皆さん気を付けましょうね!

    それでは、おやすみ  



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