台風7号が通過していきました。
トラック横倒しの最大瞬間風速60mとか、とても強力な台風との事前予報で、新幹線も始発から運休しました。
事前予報で、転ばぬ先の杖で、準備万端で、被害は最小限に抑えられたようです。
それにしても、都内でスーパーの棚から食料品が消えたニュースには驚きました。事前予報が効き過ぎた?
それにしても、我が家の周囲は、雨も、風も、大したことは有りませんでした。関東も、東北も、大きな被害はありませんでした。予報はハズレ?
そして、そして、台風が通過するたびに、秋は近づいてきます。早く、危険な暑さから逃れたい。
秋と云えば、読書の季節となります。
わたくし、数日前より、一足お先に読書の秋。
買い求めて、第三章まで読み進めて、その後は、半年から ? 一年前ほど? テーブルの隅で横たわっていた『百万本のバラ物語』を、プロローグから読み直しました。
私の読書時間は、深夜と云うか、早朝と云うか、1~3時の寝床の中。
著者の加藤登紀子氏を知ったのは、確か50年以上前、五代目 "月の家円鏡さん" と二人で、テレビの歌番組? バラエティー番組? の司会をしていたところを、たまたまお見かけしたのが、初めてだったと記憶しています。
昼過ぎの中途半端な時間帯だったような?、落語家とシャンソン歌手の、息が合っているような、無いような、不思議な二人司会の不思議な番組は、いつのまにか終了しました。
そして、そして、加藤登紀子で想い出すのは、日劇ミュージックホールでの『ほろ酔いコンサート』なのです。
"愛のくらし" がヒットしていた頃ですから1971年です。ある女性に誘われて、師走の銀座、二人で日劇ミュージックホールに行ったのです。
その時の記憶は、階段の途中で開場待ちをした事、舞台の上に "大関" の酒樽が置かれていた事の二点のみ。コンサートの内容も、終演後の記憶も、すべて消えているのです。
いま、思い返すと、ほろ苦くも、ちょっとだけ甘く、そして切ない、50数年前の、懐かしい思い出。" 瀬戸さ~~~ん! " お元気ですか ?
因みに、当時、日劇前にあった、宣伝用の車を載せ回転する装置は、一時、私が働いて会社の製造したものでした。今は、もう、隣の朝日新聞の社屋も消え、日劇も建て替えられました。ミュージックホールも再建されたの ?
又しても、因みに、そのころ、回転装置の点検後に、日劇裏のカレー屋さんで、生まれて初めて外食でカレーを食べたのです。
店は "カレーパーラー" と名乗っていました、さすが銀座です。カレーのお味は記憶に残っていません。記憶に残るのは、カウンターテーブルに置かれた、スライスされたラッキョウ、福神漬け、真っ赤な刻み生姜がの三種。
銀色に輝くステンレスの蓋の下、四角い三連のガラスの器に鎮座していました。さすが、銀座のカレーパーラーだと、深く、深く、感心したのでした。
はい、話を『 百万本のバラ物語』に戻ります。
一度は、中断しての再開でしたが、今度は、3日間ほどで読み終わりました。大変面白かったです。
日中戦争、太平洋戦争、米ソ冷戦時代、ソビエト連邦崩壊。著者は翻弄され、百万本のバラも翻弄されます。
満州国とか、五族協和とか、関東軍特務機関とか、満州鉄道とか、満鉄調査部とか、ハルビンとか、新京とか、引き揚げとか、そんな文字に、いつか見た、白黒のニュース映像の世界が、戦争の時代が、頭のなかを巡ります。
登紀子さんは、1943年12月27日、満州国はハルビン生まれで、現在80歳。ハルビンにはロシア革命により、国外に逃れたロシア人が多く住んでいたようです。そして、戦後に分かったそうですが、ロシア人の多くは今のウクライナ人だったようです。
因みに、私は、1950年1月5日の日本国は東京生まれで、現在74歳。
平凡な私、波乱万丈の登紀子さん。
ここで、”百万本のバラ” 関連での歴史のお勉強。
1981年ソビエト連邦下の、ラトビアで「百万本のバラ」の原曲、子守歌「マーラが与えた人生」がヒット。
1982年、米ソ冷戦、東西対立の、ブレジネフ政権下のソ連で「百万本のバラ」として大ヒット。
1985年、ソ連はペレストロイカ(改革)・グラスノスチ(情報公開)を掲げるゴルバチェフ政権誕生。
1987年、「百万本のバラ」が日本で発売。
1989年6月、中国で天安門事件発生。因みに、わたくし、この時、旅行で香港にいたのです。車のアンテナに黒いリボンを掲げた車を多く見かけました。その時、街頭で買い求めた現地の新聞、今でも手元にあります。
戦争は人間を極限状態に置きます。そして、物語が生まれ、歌が生まれ、歴史が生まれ、波乱万丈の人生が生まれる。
これまでも、今も、これからも、ずっと、ずっと、民族の、宗教の、国家の、紛争の、闘いの、戦争の時代は続くの・・・・・・。
争いが無くなり、平和になり、波乱万丈が無くなり、”歴史の終わり”になるの?
話が、かなり、かなり、ヤヤコシイ方向に逸れました。
兎に角、先日、岸田君が9月の総裁選に立候補しない事を表明しました。
次の自民党総裁は、内閣総理大臣は、いったい誰になるのか、皆さん、この総裁選の、マスコミによる、茶番劇に、祭り騒ぎに、乗せられないように、冷たく、横目で、チラ見で、静かに眺めましょう。
それにしても、人気があるからと、小泉の子倅を、担ぐ動きには、主権者を舐めているとしか思えません。
でも、しかし、いや、もしかして、自民党は、それなりに、冷静に分析しての、小泉の子倅を総裁に、総理に担ぐ魂胆?
そう云えば、昔、岩手の政治家が言っていました。『神輿は馬鹿で軽い方が良い!』と、これは、我が日本国の、民主主義の、永遠の真理? 単なる屁理屈?
本日も、アッチ、コッチ、と、話が逸れまくりました。
この辺で、お終い。
それでは、また。