それでもって、昨日ブログは臨時休業と相成りました。
それでは、先週の続きを始めます。
まぁ、続きと云っても、「有田塾関連」での、いろいろな思い付き話です。兎に角、このところ毎日暑いので、とてもテンションが下がっております。
昨日は、ほぼ1日車内に居たため、エアコンの影響で、鼻の調子が悪く朝食後にクスリを呑み、余計にテンションが下がっております。
それで、有田さんの事ですが、次期衆議院選挙に立候補は確定しているのに、特に立候補宣言はしていない様子です。
彼の住んでいる練馬区で、立候補するのを前提に、毎日、毎日、所謂「朝立ち」を駅頭で続けているようです。
練馬区は小選挙区としては、第9区になります。過去の9区はこんな感じです。あの「ガッツ石松氏」も過去には自民党公認で立候補していたのです。
第44回衆議院議員総選挙
当153,309 菅原一秀 自由民主党 前
87,890 川島智太郎 民主党 新
28,493 望月康子 日本共産党 新
14,952 中川直人 社会民主党 新
第43回衆議院議員総選挙
当112,868 菅原一秀 自由民主党 前
96,662 吉田公一 民主党 新
27,903 望月康子 日本共産党 新
8,841 村田敏 社民党 新
第42回衆議院議員総選挙
当 86,450 吉田公一 民主党 前
81,912 菅原一秀 自由民主党 新
44,057 望月康子 日本共産党 新
31,612 川島智太郎 自由党 新
第41回衆議院議員総選挙 当落 得票数 候補者 党派 議員歴
当 67,657 吉田公一 新進党 前
59,668 小川敏夫 民主党 新
43,766 ガッツ石松 自由民主党 新
31,612 増村耕太郎 日本共産党 新
11,803 坂藤朋夫 社民党 新
最近は菅原一秀氏が二期連続で当選していますが、候補者次第では自民に勝てそうな選挙区です。
【政治家は何故、訓読みから音読みに変えるの?“いっしゅう”の方が偉そう?】
ここでは、共産党、自民党が公認候補を決定しています。民主党は未だに公認候補を決定していないので、新党日本の候補を推薦するのかも知れません。
それにしても、どう見ても、明らかに、有田氏は次期衆議院選に向けて活動をしているにも関わらず、正式発表はしていないのは何故でしょうか。
何か、詰まらない駆け引きをしているようで、何ともスッキリしません。
新党日本は衆議院選挙については、サイトでも一切触れていないのです。“脱しがらみ”、“脱なれあい”を掲げる党としては、何かちょっと“嫌な匂い”を感じます。
どうも、田中康夫氏と小沢一郎氏との関係に何かスッキリしない、何か怪しい臭いを感じてしまうのです。
新党日本が、自民党除名組の受け皿として出発したウラに、小沢氏の“策略”を感じてしまうのです。
政治は数、数は選挙、選挙は金、金は人脈、人脈は利権、利権で人脈、人脈で金、金で選挙、選挙で数、数が政治・・・・・・、そんな田中角栄的発想の、小沢氏と仲がよい康夫ちゃん。
そんな、康夫ちゃんと手を組んだ、有田氏は今一不透明感が漂うのです。
政治の世界は、いろいろと、スッキリ、ハッキリしないのですが、見飽きた自公政権では無い、新しいモノが見たいとは思うのです。
何だか、よく判らない選挙話になってしまいました。暑さとくすりのせいで頭が、ハッキリ、スッキリしません。
と、云うことで、今週は、ブログは夏休みと云う事で、お休みする事を決定しました。
それでは、来週の4日頃に再開を予定しております。
それでは、また来週。
トイレ休憩が終わり、いよ、いよ、後半の対談、質疑応答です。と、ここまで書いて、考えてしまいました。
何が話されたのか、なかなか思い出せないのです・・・・・・。一つだけ覚えているのが質疑応答の場面です。
私の真後ろに座る女性から、
「14歳の子供から人は何の為に生きるのか?と、聞かれた事がありました。もし、お二人が聞かれたとしたらどう答えますか?」
との、質問です。姿は見ていないのですが、話の内容、話し方から、学校の教師のような雰囲気でした。
ここまで書いてきたら、対談場面を思い出してきました。「何の為に生きる」話は後にします。
休憩後、有田氏から話はじめて、森氏の話に対応する内容で、“職質話”に関連して、駅構内でのコインロッカーの使用禁止処置に対する異常さの指摘。
それと、テレビでの報道内容、コメンテーターの発言内容に関して、おかしい、変だ、間違っている、賛成できない、事実誤認だ、一方に偏っている・・・・・・、等々と思った時には、直ぐに局に電話で抗議を入れるべきとの話。
局では必ず、担当ディレクター、司会者、コメンテーターのところに伝わるようになっており、クレームの多いコメンテーターは降ろされるとの事。
諦めず、電話を入れれば、局としても無視する事は無い、それなりに意見は番組に反映されるし、評判の悪いコメンテーターは消えて行くとの事。
そう云えば、“口汚く柄悪く”を“装って”いた、“勝谷・・・何とか”は見えなくなったような・・・・・、まぁ。最近はテレビをあまり見ないからかも。
それで、有田氏の話です。
街頭で話をしていて、「頑張って下さい!」と声を掛けられる事が良くあるが、その時、物足りない思いがするそうです。
「あなたも一緒に頑張りましょう」と、云いたい気持ちになるそうです。
実際には、選挙で応援する“レベル”として、「頑張って下さい応援します」は「選挙であなたに投票します」が、ふつうです。
「頑張って下さい。選挙活動を手伝います」は、なかなか難しいでしょう。政治への関心はその程度が“ふつう”なのです。
それと、そうでした!思い出しました。「オウム」の話です。有田氏と云ったらオウムです。森達也と云ったら、これも「オウム」なのだそうです。
森達也と云ったら、ドキュメンタリー映画「A」・・・オウム真理教を内部から撮った映画・・・、続編の「A2」なのだそうです。知りませんでした。“二人はオウム繋がり”だったのです。
オウムの話になって、やっと対談的な様相になり、有田氏が、警察幹部から後で聞いた話として、「松本サリン事件前後」前後、彼の「身辺調査」に50人の警察官が専従で張り付いていたと事。
そのことから、「松本サリン事件後」警察は「オウム」が怪しいとして、かなりの捜査員を投入して「内偵捜査」を進めていた筈だと云ってました。
それにも関わらず「地下鉄サリン事件」が発生したことに、大きな疑問を感じるとの事でした。
この「オウム泳がせ説」については、森氏からも「地下鉄サリン事件」で、解体決定の「公安調査庁」が復活した話に関連して、事件発生の知らせに、庁内で“歓声が湧いた噂”が語られました。
この「泳がせ説」は、オウム弁護団からも聞いた覚えがあります。歴史の流れが変わるような大きな事件には“謀略”の匂いが漂うのです。
この様な事をまともに云うと、“謀略史観”として、世間一般の常識を逸脱した“怪しい考えの怪しい人”として、まともな仕事に就けなくなります。
お二人も、「泳がせ説」に対しては、ハッキリとした見解は述べませんでした。まともにそんな事を云ってしまったら、マスコミが相手にしなくなります。
謀略説は、最近では米国の「9・11」、そして、米国占領下の下山、三鷹、松川の国鉄関連の3事件です。
下山事件は・・・・・・長くなるのでやめます。
それで、二人の対談ですが、あまり話のやりとりは有りませんでした。講演はなかなか“濃く”なりません。
対談が何となく終わり、質疑応答です。3~4人が、何となく、たわいも無い質問をして、何となく二人が答えていました。
それで、冒頭の「14歳の何のため生きる」質問の件ですが、
森氏が先に、「そう言う質問は、困るんだよねぇ・・・・・・、ふぅ~ん。私にも、ちょうど、14歳の息子がいるので、何て答えるかなぁ・・・・・・・、それを、考えて行く事が生きることかなぁ・・・・・・と、そういうことかと・・・・・・」
有田氏は「参ったねぇ・・・・・・」と、云って、それから何やらしゃべっていたのですか、あまり記憶に残っていません。
私としては、もっと、キッパリと、
「先ず、何でも、かんでも、他人に質問し答えを求めるな! 世の中には、正解は無いのだぁ! 問題や疑問にすべて正解があると思うな! 自分で考えろ! 人それぞれに、それぞれの、答えは見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない、だから、面白いのだぁ! 敢えて云うならば、答えを見つける過程に答えがあるかもねェ・・・・・・」
と、云ってやるのだぁ・・・・・・・と、なんて考えている内に、有田塾は終了してしまいました。
兎に角、最後まで“濃く”なりませんでしたが、私の勝手な期待感に問題があったのかも知れません。
それなりに、有田塾の雰囲気が判り、それなりの2時間半で、それなりに勉強になりました。
たぶん、次回も、有田塾“関連”の話になるかもしれません。
それでは、また。
それで、森さんの講演が始まりました。
冒頭で彼が云ったのは、「有田氏との対談形式と聞いていたが、会場に着いてから、始めの1時間は一人で何か話せと云う事になり、これから、ネタを考えながら話します」と、発言。
これには、会場全体が一瞬“ポッカ~ン!”でした。私は、“何じゃそりゃ!”と思い、前方の有田氏を見つめたのですが、下を向いたままで反応なし。
また、「あの“三平”も事前準備なしに、しゃべりながら、客の反応をみながら、高座を勤めていた」何て話しをして、「でも、聞かされる方は堪らないよネェ」などと、呟きつつ、話を始めました。
「そりゃ。堪らないぜェ! 千円返せ!」と、心の中呟きました。それでも、「まぁ。千円だし、こんなモンかァ」と、諦めつつ、講師の話に耳を傾け、眼を向けたのです。
そして、また、「話のネタは、そう有る分けではないので、何処かで、いつか、その話聞いた、何て事になりますので、事前に確認して置きますが、“職務質問”の話、聞いた方おりますか?」と、参加者に質問。
後方で2名ほど手を挙げたようで、「スイマセン。お二人の方は、暫く我慢して聞いて下さい」に反応して、失笑?苦笑?冷笑?嘲笑?が静かに会場を包みました。
森田氏の講演は、どちらかと云うと、公演とか、口演とか、そんな感じでのスタートでした。
この日は、前日から「朝まで生テレビ」に出演して、寝ないでそのまま、会場に来られたようなので、だいぶお疲れの様子?
と、まぁ、そんな流れで、彼が職務質問をされた時の話を始めました。
“任意か?強制か?、見せろ!、見せない! 拒否することが怪しい! 交番で取り調べる! 任意か?、強制か?!”
当日(6/28)は、洞爺湖サミットの開催近づき、都内は厳戒体制だったようです。それと、森達也氏の、その風体、その風貌から、“警察官職務執行法”による対象者と判断されたのでしょう。
1.何らかの犯罪を犯した者
2.何らかの犯罪を犯そうとしていると疑うに足りる相当な理由のある者
3.既に行われた犯罪について知っていると認められる者
4.犯罪が行われようとしていることについて知っていると認められる者
5.その他警察官側が特に必要であると判断した者
“強制的”な“身体検査”を伴う“職質”に抗議する事は、正しい行動だと思うのですが、“無差別的凶悪犯罪”が“くり返し報道”される現在、一般的には理解が得られ難くなってきました。
だからと云って、警察官の云う事に黙って従うのも、納得がいかず、腹立たしいと思うのです。
何故か、私はこれまで“職質”を受けた事はありません。もし、そんな場面に遭遇したら、多少の嫌みを云って持ち物を見せてしまうかも知れません。
そんな、“職質”への抵抗話の顛末は、月刊誌「創」の8月号、連載コラム「極私的メディア論〝警察官に職質された」に、職質した警察官の写真入りで載るので、詳しく知りたい方は、そちらをお読み下さいとの事でした。
と、まぁ、そんな、“枕”で話は始まったのです。
後の話は、講談社新書『視点をずらす思考術』で書かれた中から、“メディア”関連を抜粋した話でした。
ここ迄での話では、暑い中、約2時間かけて、大泉学園“くんだり”までノコノコやって来て、千円払った“元”が取れません。
これでは、700円の新書本を、家で寝転んで読んでいた方が、ずっと、ずっと、良かったかも?と、思いつつ、昼飯代に、往復の交通費を考えると・・・・・・、何て微妙な計算をしながら、森氏の話を聞いておりました。
いゃ! でも、しかし、これは前半、これから、有田氏との対談があり、質疑応答があり、次第に内容は充実してくるのだと、思いつつ、前半が終わりました。
5分程度のトイレ休憩があり、真っ先にトイレに向かいました。
これから、いよ、いよ、内容が“濃い”であろう、後半が始まります。
それでは、また明日。
北野神社を後に駅前に向かいます。時間は1時、これから昼飯を食べ、勤労福祉会館には、予定通り1時半に入れそうです。
北口駅前の「吉野家」を覗くと、カウンターはほぼ満席、他を当たることにして、南口に行ってみました。
南口にの「松屋」を覗くと、店内には5~6人の客しか居りません。ここに決定。“牛飯野菜セット並 490円 907kcal”の食券を購入し、入り口近くの席に付きます。
それにしても、この松屋の、自動販売機での食券購入方式は“とても寂しい”です。
おじさんとしては、言葉を発しない機械的注文は、食事まで機械的になり、味気ないものになるのです。
この日は、何故か写真を撮るのを忘れ、松屋のHPから拝借しました。左が野菜セット、右が焼き肉定食。
カウンターの斜め向かいでは、20代の女性が一人、豚焼き肉定食550円 709Kcalを食べていました。
若い女性がひとり牛丼屋で食事をする、今ではもうふつうの風景になりました。何にしても、男でも、女でも、一人の食事は単なる栄養摂取です。
そこほこで、見ず知らずの、赤の他人が、カウンターに向かって、ひとり黙々と、栄養摂取する風景・・・・・・とても奇妙で、とても不思議です。
兎に角、ひとり、黙々と、栄養摂取を完了し、店を出て「勤労福祉会館」に向かいました。
裸婦像のお出迎えです。
横目でチラット眺め館内に入ります。
時間はピッタリの一時半です。2階の会議室に上がると、係の人に未だ準備中で、もう少しお待ち下さいと云われ、一階に降り、掲示板前のソファーに腰掛けました。
ソファーに腰掛け、ボンヤリと辺りを眺めていると、長髪で、色黒で、灰色の地に黒の細かい格子模様のシャツにGパン、背中に黒のバックを背負い、足元はゴッツイ編み上げ靴の中年男が、掲示板を暫く眺め、2階に上がって行きました。
本日の目的、“ある会合”の講師、「森達也氏」です。ホントに怪しげな男です。
それで“ある会合”ですが、あの“有田芳生氏”の、“有田塾”を覗きにきたのです。
有田氏と云えば、いまでは“新党日本”の“副代表”なのです。代表はあの“田中康夫チャン”です。
前回の参議院選挙で、有田氏が“新党日本”から出馬した時は、“どうして?何で?”と、思いました。
あの当時の“新党日本”は、“郵政民営化反対自民党追い出され組”が中心でした。政治的主張の異なる“選挙対策用その場限り集団”にしか見えませんでした。
その後は、自民党追い出され組が出て行った為に、それなりに政治的立場はスッキリしたのですが、田中康夫と有田芳生のイメージはなかなか結びつき難いのです。
だからと云って、二人の仲をいろいろ調べ、新党日本の政策をいろいろ調べ、結びつきの何故?を、日夜解明に勤しむ訳でもなく、何となく眺める程度でした。
そんな中で、有田氏のブログで有田塾を知り、講師が「森達也」とあったので、“いっぺん覗いてみるか”となり、大泉学園まで、暑い中、2時間近くも掛けて、のこのこやって来た次第です。
それで、森さんですが、それとなく名前は聞いていました。確か、死刑廃止関連だったような気がします。
今回のテーマが“視点をずらす思考術”で、今年の2月に出た本のタイトルからそうなったのだと思うのですが、一応、その本も購入しました。
で、本はネットで購入したのですが、その時に、彼が、何と、「下山事件」を書いたのを知り、しっかり「下山事件」も購入しました。
下山事件に触れると、話が長くなり、話が“思いっきり”逸れてしまうので、この件に関しては、“現地調査”を行い、近いうちにその報告を含め書きたいと思っております。
それで、講演会(2時開始)の話ですが、2時10分前となったところで2階に上がりました。定員は60名で参加費は千円です。
会議室の前には5~6人が並んで受付の順番待ちをしています。見たところ参加者の年齢は中高年男女が6割、30代前後が4割程度で、女性の方が若干多い感じでした。
私も千円を払い、中央部窓側の席に着きました。机の上にはA4サイズが入る封筒が置かれ、中味を取り出すと“新党日本”のパンフレットが数冊入っていました。
パンフにざっと目を通し、机の下に仕舞い、辺りの様子を眺めていると、政党宣伝用のビデオが撮しだされました。
内容は、有田氏が「週刊朝日」に医療制度に関する記事を書いた時の、取材ビデオです。
その記事は、たまたま「週刊朝日」を買って読んでいたので、横目で何となく眺めるだけでした。
2時ちょっと前に、有田氏と森氏が会議室に入って来ました。有田氏が簡単に森氏を紹介し、これから、講演の始まります。
講演の話は、また次回。
それでは、また明日。
“北野神社”にお詣りします。「北野」と云えば、天神さまで、菅原道真で、学問の神様です。
奥に見える鳥居の手前で、微妙に「正中線」から参道をずらしています。知らない人は、本殿から真っ直ぐに石畳の参道が伸びて居るようにみえます。
この小学生、ここが西武池袋線の大泉学園駅であること、そして、その服装の様子から推察して、たぶん“立教小学校”の生徒でしょう。
この少年、しっかりと、参拝の前にお浄めを行い、本殿では“二礼二拍手一礼”で参拝していました。
かなり、慣れた様子です。登下校の際は必ずお詣りをしている雰囲気でした。でも、しかし、この少年の通っている学校は“立教”です。
立教と云えば、キリスト教を建学の精神とした学校です。厳しい受験競争を勝ち残る為には、イエスキリスト様だけでは、不安なのでしょうか?
ここは、一つ、学問の神様“菅原道真公”のお力も、お借りして・・・・・・、なのでしょうか?
何やら、故事来歴が記されています。「三十番神」何て初めて聞きました。昔は兎に角、神も仏も一緒だったのです。
明治に入って、神も仏もゴチャゴチャの“習合・混淆”を政府が許さなかったのです。神も仏も政府の“命令”で、スッキリ、クッキリ離されたのです。
そんな、こんなの渦中で、三十人の神々より、天神様を選択されたようです。
とても、ふつうな「阿」と、
とても、ふつうな「吽」です。
玉石が敷かれ、きれいに掃き清められています。
参拝は先ず、お浄めから、
この、和やかな少年?の顔、いつか、何処かで、見たような?
学問とはご縁が有りませんが、一応お詣りします。
ふつうの鈴。
ふつうの木鼻の彫り物。
棕櫚は植えたのでしょうか、自然に生えたのでしょうか。
回廊に囲まれています。
これで、北野神社の参拝、見学は、終わります。
それにしても、昨日から、とても暑いです。このところ毎日、10時と3時に、手動式かき氷製造器で、かき氷を食べています。
携帯からの写真添付をテストした“テスト2”に写っていたヤツです。ホームセンターで780円で買ってきました。もう、充分、元が取れました。
それでは、また明日。
本日は、休日のため“シリー”ズはお休みします。
テレビの話です。
一昨日、“NHKアーカイブス”で1986年に放送された向田邦子の「父の詫び状」を見ました。
彼女の脚本かと思っていたら、エッセーのドラマ化で、脚本はジェームス三木でした。
リアルタイムでは見ていません。1986年と云うことは、今から22年前ですから30代の半ば頃です。
テレビで何を見ていたのかと、思い出そうとしても、何にも手掛かりが掴めず、まったく何も浮かんできません。
その頃の事、ちょこっと調べてみると、
前年の85年は、ソ連でゴルバチョフが書記長に就任、 男女雇用機会均等法が成立、ロス疑惑の三浦和義氏が逮捕、女優の夏目雅子が死去、つくば科学万博'85開催。
歌の流行は、チェッカーズの「ジュリアに傷心」・・・少し記憶あり。 小林明子の「恋におちて」。中森明菜の「ミ・アモーレ」だそうで、知らない曲が多い。
86年は、たけし軍団によるフライデー襲撃事件、チェルノブイリ原発事故、日航機の御巣鷹山墜落事故、社会党の党首に土井たか子が選ばれる。
歌は、石井明美 の「CHA-CHA-CHA」、中森明菜 の「DESIRE」、少年隊の「仮面舞踏会 」、 渡辺美里 の「My Revolution」、CMソングとしての記憶あり。
87年は、ブラックマンデー、株価大暴落 、竹下内閣発足、大韓航空機爆破事件、小錦の大関昇進、石原裕次郎が死去。
歌は、やっと演歌で、 瀬川瑛子の「命くれない」、吉幾三の「雪國」。この年は演歌がヒットしたのです。
86年前後はざっとこんな感じでした。何となく少しだけ、時代の気分を思い出してきました。
それと、86年は所謂“パブル”が始まった年でした。私としては、バブルの恩恵に浴した記憶は・・・・・・、余りありませんねェ。
そういう事で、こんな時代に放送されたのが、「父の詫び状」です。たぶん視聴率も良かったのでしょう。
86年当時、戦前の家父長制は、単なる懐かしさだったのでしょうか? 父親の復権を願う気持ちが、何処かに、少しだけ、あったのでしょうか。
それで、86年から22年経って、今回の再放送を観ての感想ですが、確かに、それなりに面白いドラマでした。
戦前、昭和15年当時の、サラリーマン家庭の、日々の暮らし、時代の雰囲気、当時の家族の繋がり、父親の権威、その辺を垣間見る・・・・・・そんな面白さです。
先日、川口市で15歳の娘に父親が刺され死亡した事件が起きました。もしかして、放送当日?
“父の詫び状”は、同じく15歳の娘の視点で、父親へに対する思いが描かれています。
ドラマの父親は、兎に角、すべてにおいて、絶対で、家族全員が服従させられるのです、そんな父親に15歳の長女は内心、反発するのです。
しかし、だからと云って、父親に面と向かって口答えをする訳ではありません。納得できなくても、兎に角、従うのです、そう言う世の中だったのです。
父親も、そう言う振る舞いが当然で、父親とはそう言うものだと、誰もがそう思い込んでいた、たぶん、そう云う世の中だったのです。
父親と云う立場が絶対であった世の中と、父親の云う事に対し、反発し不満を言い、最悪は殺してしまう世の中。
昔の父親が“立派”で、現在の父親が“立派”でない?
父親が立派でなくとも、時代が父親に権威を与える事により、家庭が治まり、国家が治まる。ある意味、治まりの良い仕組みだった?
権威、権力に理不尽に押さえつけられ、踏みつけられる事での、反発、反抗をうちに秘め、何かが生まれ、何かが成長する?
そして、祖母の通夜の夜、家庭内での絶対的な権力者の、別な姿を娘は見てしまうのです。
通夜に訪れた、社長と専務に対して、家庭内絶対権力者が、平身低頭して出迎えるのです。頭を下げる父を、はじめて目の前で見てしまうのです。
厳しく、辛い世の中の現実、それに耐え、家族を守る父。家庭内権力者の世の中での姿。
反発するほど、父親には、権威も権力も無かったのでした。情け無く、哀しく、みっともなく、滑稽な姿に、これまで事を許す気持ちになって行く・・・・・・。
家庭内で、偉そうに振る舞っていた父親の存在が無ければ、単調で、平凡で、詰まらない日常だった? 切なく、哀しく、懐かし父の想い出。
もしかして、今、また、あの理不尽な、父親の権威権力で、家庭を治め、国を治めたほうが、治まりがつく・・・・・・何て、空気が漂いはじめているような・・・・・・。
人間、自由奔放にさせていると、「ろくなモン」にならない。誰かが、兎に角、理屈抜きに押さえつける、そして、それなりの工夫をして、そこから逃れて行く。
そんなプロセスが、それなりに人間を成長させる?
そんな、プロセスは別の形で置き換えられるのでしょうか?
あの父親の存在があって、作家としての向田邦子が誕生した?
何かに押さえつけられ、それを自分の力ではね除ける、押さえつける力が大きいほど、はね除ける“力”もより大きくなる。
“作用反作用”の法則です。
今の時代、権威権力が、かなり意識しないと、存在しないように見える世の中、誰が敵で、誰が味方か判りずらい世の中、反発も、反抗も、起き難い?
兎に角、人間でも、植物でも、成長期は、何かに押さえつけられた方が、成長するのかも知れません。
“とんでもないモノ”に押さえつけられる可能性がありますが、それは、それで、それなりに、勉強になるのかも知れません。
まぁ、何だか判らないですが、「父の詫び状」の感想でした。
それでは、また明日。
羽化の真っ最中です。
それにしても、セミの羽化は夜に行われる筈ですが、太陽が昇り始めたこんな時間に、のんびり羽化するセミもいるのです。
何か、とても、親しみを感じる“セミくん”です。種類はまったく判りません。色からすると、アブラゼミでは無さそうです。
エドゼミ、クマゼミ、ニィニィゼミ、ヒグラシ、その内のどれか?
昨日、関東地方も梅雨明けしましたが、これまで、セミの鳴き声をまったく聞こえてきませんでした。
梅雨明けを待っていたのでしょうか?
セミは何と云っても、ヒグラシの「鳴き声?」が一番です。
5年ほど土の中で暮らし、地上に現れ、空を飛び回り、3週間ほどで命が終わります。
セミはそんな自分の一生など、まったく考えず、生きているのです。まぁ、人間が思うほど、土の中も、それなりに、悪く無いのかも知れません。
それでは。