歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

塩原は“文学温泉!?”

2008年01月30日 | 旅の話し
一昨日の続きです。

“塩原温泉シリーズ”9回目になります。

高下駄の板前さんとすれ違い、狭い裏道伝いに歩いていると目の前が開け、何やら“共同温泉施設”と云った趣の建物が出現しました。

塩原温泉“湯っ歩の里”と書かれた大看板がありました。


「足湯回廊・料金200円」と有ります。何となく思い出してきました、以前、テレビで観たような気がしてきました。いろいろな形状の石が底に敷かれ、石を踏み締め、ぐるぐる回って歩く足湯です。 

足湯は各地の温泉で流行っています。たいていは町中、駅前などで「無料」で利用できる施設です。

ここは、足湯を少し規模を大きくして、「有料」の施設にしたようです。どの辺りの客層を狙っているのでしょうか?

旅館の宿泊客が「わざわざ」ここを訪れ、200円払って「ぞろぞろ歩く」ことは無いと思います。



狙いは日帰り客、それも若い層なのでしょう。年寄りは石の上を「ぞろぞろ歩き」ません。この“湯っ歩の里”は、2007年8月にオープンしたそうで、全長60㍍の足湯回廊は日本最大級だそうです。



“お湯”の中を“歩く”施設なので「湯っ歩の里」、真ん中に「っ」を入れることで、それなりの「工夫・拘り・新しさ」を表現しているのでしょう。

わたしとしては、この施設に魅力は感じませんでした。塩原温泉観光協会としては、かなりの決断で、かなり資金を投入したのでしょう。

しかしです。この施設があるからと云って、塩原温泉に行ってみたいと思う人はいるのでしょうか? まぁ、あまり居ないでしょうねェ。

兎に角、塩原温泉を楽しまなければと思いつつ、辺りを眺めると見つけました。室生犀星です。


      塩原道    室生犀星

     秋ふかき塩原道を
     わたしの自動車はひた走りつつ
     いつしか暗みゆき
     はや日暮となりけり

     落葉ふみしき
     山の上に漏るるともし火を見過して
     水のひぴきに縫い込まれてゆく
     わが自動車の肌も夜つゆに湿りたり

     みやこにて夜昼となき
     わがわびしき作のつかれを
     こころゆくまで
     温泉につかり心しづめん


室生犀星さん、仕事に疲れて東京から車に乗って、温泉につかりにきたようです。名前は知っていますが、彼の事はほとんど知りません、むかし学校の教科書で習ったような・・・・・・そんな程度です。

『・・・水のひぴきに縫い込まれてゆく・・・』このあたりの表現が、文学ですねェ。


「龍化の滝」にあった「与謝野晶子の碑」、そして、「室生犀星の碑」、塩原は「文学の温泉」として、「企て」があるようです。



『はや日暮れとなり』ぼんやり灯った明かり、風に漂う秋桜・・・・・・、うーん。この風景、かなり「文学」しています。


「湯っ歩の里」のサイトを見たのですが、温泉だけで「文学」がありません、この施設に、もう少し「文学」があればと思います。


温泉と文学の組み合わせ、面白いと思います。温泉だけではなく、文学があると、「一粒で二度美味しい」気分になります。

おじさん、おばさん達は「得した」気分になるのです。すこしだけ「お利口」になった気分になるのです。

温泉につかって、文学する、いいと思います。

塩原には、まだ文学が有りそうです。

そろそろ宿に戻ることにします。


それでは、また明日。



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塩原温泉を漂い高下駄を鳴らし足早に歩く板前に温泉街の情緒を感じたりして

2008年01月28日 | 旅の話し
金曜日の続きです。

夕食まで時間もあります、暗くならないうちに温泉街を歩きます。旅館の前から狭い路地を抜け、部屋から確認していた橋を渡ります。

路地で出会った白猫、「ニャーオ!」といつものように声を掛けたのですが、ゆっくりと立ち上がり、顔を背けて無言で立ち去りました。愛想の無い奴です。


橋の中ほどで振り返ると、宿の最上階だけが見えます。我々の部屋は右から3番目カーテンの開いている処です。

こうして見ると、川側よりも、山側の方が景色としては良いと思われます。但し、部屋に朝日が射し込む事は無くなりますけどね。

それにしても、寂れた病院か校舎の様に見えます。温泉街の隅々に寂れ感が漂います。


対岸には、昔ながらの懐かしい造りの温泉旅館が有ります。ここは、味わいのある寂れ感です。


懐かしい旅館から、視線を右に回すと、こんな景色になります。


渓流を跨ぐ連絡通路。ホテルニュー塩原の新館と旧館を繋いでいます。通路の真ん中で、2~3人がジャンプすると、かなりの揺れそうです。

4~5人でジャンプすれば崩壊? それは無い! 筈?です。

団体旅行が減り、高齢化が進み、大きな温泉ホテルは大変です。これからは、中国、台湾、韓国からの旅行客を狙うのでしょうかね。余計なお世話でした。

下から見上げると、かなり華奢な造りに見えます。多分、業務用の連絡通路かも知れません。新館と旧館を行き来する必要性は、泊まり客には無い筈です。

橋を渡り、懐かしい旅館の前を通ります。ローピーを覗くと照明も明るく、それなりの調度品が飾られ、従業員、泊まり客の姿もあり、温泉旅館らしい華やか雰囲気がありました。

我が宿の寂しさが、寄り華やいだ光景に感じさせたのかも知れません。玄関を通り過ぎた処で、勝手口より現れた白衣の「若い板前さん」とすれ違いました。

温泉旅館街の狭い路地を、高下駄を鳴らして足早に歩く白衣の板前、なかなかの情緒です。

粋です、カッコイイです、絵になります、憧れます、写真を撮るのを忘れていました。



今日はこの辺でお終いです。


それでは、また明日。





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塩原温泉“宿は寂しく暗かった”

2008年01月25日 | 旅の話し
昨日の続きです。

塩原温泉に到着しました。空は雲がかかり、日も暮れかかり、鄙びたと云うか、寂れたと云うか、淋しくて、懐かしい温泉町の風景です。


ここが今晩泊まる宿です。


築30有余年と云った雰囲気です。


自動ドアを通ってロビーに入り、中の様子を見た瞬間思いました。

「まぁ、しょうがないよなぁ、料金が“料金だし”他に空いて無かったのだから」

フロントには誰も居ません。ベルを押すと奥からフリースのジャケットを着た30代の男性が出て来ました。どう見ても「裏方風スタイル」です。

ジャケットは灰色、焦げ茶色のプラスチック枠のメガネ、笑顔もなく、「こちらにお名前をお願いします」と一言。

一見して客商売には不向きなタイプですが、タダ真面目そうには見えます。

記入しょうと思い、カウンターの上を筆記用具を探し視線を動かしたのですが、それらしき物は辺りに見当たらないのです。

ふつうであれば、客のそのような動作に対して、直ぐに気が付き「失礼しました」と云って、ボールペンを差し出すものですが、彼は全く気が付かない様子。

仕方なく「あの・・・・・・。書く物ないの?」と聞くと、「あっ!」と云って、自分のポケットからボールペンを差し出しました。

失敗した! と思いました。

人影もないロビー、仲居さんの姿も有りません。自分達で荷物を持って、自分達で部屋を探すのかも知れません。

宿帳に記入を済ませると、フロントの脇の通路から60代の仲居さんが現れました。これで一安心。

仲居さんに案内され、エレベーターに乗り最上階の5階まで上がります。ドアが開き通路に出ます。

暗いのです、壁も、床も、天上も、部屋のドアにも、過ぎ去った時の流れを感じるのでした。

温泉旅館の雰囲気を感じたのは、このフロントから浴室のある通路付近だけでした。写真は実物より良く見えます。


兎に角、部屋に入ります。まぁ、こんなもんなのでしょう。実はこの宿の料金は「平日一室3名以上 お一人様8千円から」と格安で、朝夕の食事も部屋出しなのです。

格安料金で「部屋出し」が決め手になりました。8千円は不安なので、料理が「ワンランク上」の1万円コースにしました。

ネットで見た、ホテルの外観が「夜間撮影」なので、「これは?」と、思ったのですが、空き室が他に無かったのです。

建物の外観が「夜間撮影」の宿は、「明るい昼間」の撮影に「耐えられない」宿です。これは100%間違いありません。

どうしても、2週間前に云った岳温泉の宿と比較してしまうのです。

窓からの眺めは、・・・・・・特にコレと云って有りません。母からも特にコメントは無し。


あれが塩原一の規模を誇る「ホテルニュー塩原」です。こんなに大きなホテルは稼働率を上げるのは大変でしょう。

大きなホテルは、以前、鬼怒川の「ホテルニュー岡部」で懲りています。ホテル内の移動が大変なのです。年寄りにはムリです。

ホントに外の眺めは寂しいのです。窓の下は駐車場ですが、他に何組か宿泊客は居るようです。



時間があるので、暗くなる前に温泉街の散策をしょうと思います。


それでは、また明日。



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塩原温泉の龍化の滝に“クマ”が出没!

2008年01月24日 | 旅の話し

昨日の続きです。

宿は4時にチェックインの予定です。このまま直行すると3時前に着いてしまいます。途中、「龍化の滝」に寄り道します。

滝の入り口にある駐車場に車を入れ、徒歩で往復一時間弱位だと思います。10年ほど前に、配偶者と二人で滝を見に行ったことがあるのです。

85歳の母には山道は無理な為、車のなかで留守番です。はじめて滝を見る姉と二人で行って来ます。


山道に入って直ぐの「木道」です。この場所を眼にして直ぐに10年前を想い出しました。ここで記念写真を撮ったのです。


これがその時の写真。若いですねぇ~ホント! この時は、塩原温泉の奥の方にある「元湯?」と云う処の、「元泉館」と云う宿に泊まりました。
     
この宿は、周りに旅館が無く山奥の一軒宿と云った趣で、塩原温泉に行くなら奥の方がいいです。今回、元泉館は予約で満室でした。

この元泉館には「混浴風呂」があります。二人で一緒に入ったのですが、入って来るのは、お年寄りの夫婦ばかり「残念」でした。この混浴風呂は本館から離れていて、木造の鄙びた佇まいがなかなかでした。

渓流と紅葉。


“龍化の橋”は新しくなっていました。


ここら辺りが撮影ポイント。


逆光で奥の紅葉が写りませんでした。聞こえてくるのは渓流の音だけです。


最後のキツイ坂を登ると“龍化の滝”です。奥に見える白い構造物が「観瀑台」です。


なかなかの迫力です。マイナスイオンをタップリ浴びます。暫し、頭のなかをカラッポにして、飛沫を巻き上げ落下する水音に耳を澄まします。


往復40分の山道ですが、この滝を眺めると来てよかったと思います。姉も満足していました。

確かに、“白い龍”が天空に舞い上がる姿に見えてきました。


帰りは楽チンな下り坂。


与謝野晶子の歌碑です。最近建てられたようで、前回来た時には有りませんでした。


説明板も新しいです。


この看板には驚きました、行くときに見なくてよかったです。


“注意クマ出没!”って云われても「どのように注意」するのか?

 音を発てて歩くとか、出会ったら「死んだふり」するとか、猟銃を携行して歩けとか、クマとの格闘方法とか、クマの急所は○○だから、ここを狙って攻撃せよとか・・・・・・、兎に角、何らかの具体的な対処方法を明記するべきです。

兎に角、塩原市としては観光客に対して「クマ出没の危険性は伝えたぞ」と、云うことです。

「後はあんたらの責任で市としては一切関知しません」と、云う事になります。それはそう何ですけどね。

遭遇した際は、各自の責任でそれなりに対処せよと云う事です。かなり頻繁に出没するならば入山禁止になる筈・・・・・・と思います。

この程度の注意看板を見て、ホントにクマが出ると思い、引き返す人は千人に一人位でしょう。

兎に角、クマに遭遇せず無事に「龍化の滝」は見物できました。早く戻らないと、母が一人車の中で待っています。


もうすぐ宿に到着です。


それでは、また明日。


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設計通り揺れる“もみじ谷大吊り橋” 

2008年01月23日 | 旅の話し
昨日の続きです。

それで、一人で吊り橋を渡ったのですが、ホントによく揺れるのです。この橋の構造は「無補剛桁方式」です。

‘剛’の‘桁’に‘補’われて‘無い’ので、橋は風が吹いても、人が歩いても、左右によく揺れます。

揺れない吊り橋よりも、揺れる吊り橋の方が、吊り橋らしいのかも知れません。若い男女のグループにとっては、揺れる吊り橋の方が絶対にイイのです。

揺れてこその「純粋観光吊り橋」なのです。横揺れを防止するケーブルが張られていますが橋は揺れます。それでも、兎に角、対岸まで渡る事ができました。



この程度では揺れ防止はムリと思われます。この揺れ防止ケーブルの「揺れ防止」が必要です。

もしかして、いゃ、そうなのかも知れません。きっと若い女性が「キャーキャー」笑って叫ぶ程度の揺れを計算して造られている? 何ってたって「純粋観光用」ですから。

こちらは橋を吊っているメインケーブル、それなりに「しっかり」しています。こうして支柱を見上げ、そのまま直ぐに視線を足元に下ろすと、お腹の辺りが「すーっと」して「こそばゆく」なります。垂直の方向はダメです。


ここで、メインケーブルを支えている訳です。鉄筋コンクリートブロックとケーブルはアンカーボルトでガッチリ固定されているようです。

しかし、このケーブルの固定方法が不安です。スッポリと抜けないのでしょうか?何故そんなことを?と、思われるでしょうが、実はこのワィヤーの「端末処理」を見た事があるのです。

30数年前の話です、東京の某有名デパートの屋上にあるクレーンのワイヤーロープの交換を見たことがあるのです。

それは、亜鉛鋳込法と云うやり方です。ワイヤロープの端末を「ほぐし」て、ソケットに差し込み、ソケットの中に合金を鋳込み固めるのです。



ほぐしたワイヤーを「洗浄」して亜鉛を流し込むのですが、洗浄が不完全で表面に油が残っていると、時間の経過によりワイヤーと亜鉛の間に隙間が生じて、ある時、「スッポン」と抜ける危険性を感じたのです。

そして、なによりも、この方法は作業者の「熟練度」に依存しています、強度にバラツキが出やすいと思いました。

何たって最近は、こういう技能者の「技能」が以前より低下傾向にあると思われるのです。まさか、派遣で日雇いの作業者と云う事はないでしょうが。

何たって、加工後に引き抜いて強度試験をする訳にいかないですからね。そんなこんなを考えていると、帰りが怖くなってきました。

それでも、吊り橋を渡って戻らなければなりません。姉と母が私の無事を祈って待っているのです。

脇目も振らず吊り橋を渡り引き返します。が、しかし、見てしまったのです。この細いケーブル。

メインケーブルは「太い」のですが、最終的には、この「細い」ケーブルで橋は吊り下げられていたのです。この細さが気になります。

これも「亜鉛鋳込法」で固定されています。亜鉛とワイヤーの表面に隙間が発生し、引っぱると「スッポリ」抜けたりして・・・・・・。

妄想を振り払い、無事吊り橋を渡りきり二人を捜すと、お土産屋さんを覗いていました。

この「お地蔵さん」とても可愛い表情をしています。でも高いので買いませんでした。

後から思うと、吊り橋からの景色はほとんど見て来ませんでした。吊り橋、それもワイヤーロープばかり見ていました。900円は高かった?

塩原温泉はもう直ぐです。


それでは、また明日。




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“純粋観光吊り橋”の“もみじ谷大吊り橋”

2008年01月22日 | 旅の話し
昨日の続きです。

醤油ラーメンを食べ終わり4号線を走り、西那須野市街で左折す、後は塩原温泉へは一本道です。



左折した左角に、あの「幸楽苑」が、こんな処にも出店していました。290円ラーメンの威力はかなりなものです。

以前(たぶん2年前)、390円ラーメンは「高い!」と思いました。リンガーハットの「チャンポン、皿うどん」も390円でした。

チャンポン・皿うどんは「具沢山」で、炒めと茹での2工程があり、調理時間が数倍かかるのです。

それに対して、ラーメンは茹でのみで、調理済みの具を数点のせるだけです。客の回転率が違います。それが同じ390円では、変です! 納得できません。

結局、チャンポン・皿うどんは「60円」値上げして450円に、ラーメンは「100円」値下げして290円になりました。両者は互いに意識しています。

こうなってみると、幸楽苑の290円ラーメンは安く感じ、リンガーハットの450円は高く感じます。リンガーハットは上げ過ぎの感があります。

値上げ後、両方とも未だ食べていないのです。早急に、味、ボリュームの比較調査を実施しなければと思う所存であります。

話が逸れてしまいました。塩原温泉に向かっているのです。4号線を左折すると、緩い、緩い登りの直線が山道の入り口まで暫く続きます。

山道に入って少し行き、案内板に従い400号を左折し下って行くと、「もみじ谷大吊り橋」です。平日ですが駐車場は満車に近く数分待ちました。


この吊り橋は、単に渡って眺めを楽しむだけの「純粋観光吊り橋」です。以前行った、茨城県の水府村の吊り橋も、渡った先は行き止まりの「純粋観光吊り橋」でした。

最近、この手の「純粋観光吊り橋」が各地に出来て、互いに「日本一」を争っています。いろいろな理屈を捏ねて「日本一」を掲げています。

渡った先には「何も無い」、ただ、ただ、眺めるだけの吊り橋、こんな吊り橋を造って、そしてただ眺めて、いいのでしょうか? まぁ、兎に角、いいことにします。

以前、来た時は下から眺めるだけでしたが、今回はやはり、「橋からの眺め」を確認してみなければと、3人で渡る事にしました。料金300円です。

ところが、10㍍も行かない処で、横揺れの為に母が「こりゃ、ダメダ!眼が廻る」と言い出して、姉が母を連れて引き返しました。

3人分の料金の元を取るべく、断固として、徹底的に、堅い決意で、吊り橋観察を私一人で決行します。

それにしても、揺れます柵に掴まらないと、直進するのが困難で、カメラのシャッターを切るタイミングが難しい状況です。

私は、垂直の建造物は全くダメなのですが、高い位置にあっても、水平の建造物にはそこそこ耐えられるのです。

以前、NHKの「ためしてガッテン」で、「高所恐怖症」の克服法として、恐怖の場に居続ける方法を説明していました。

恐怖心はいつまでも続くのではなく、ある一定の時間(10分程度)を過ぎると下がり始めるため、その場に居続ければその状況に慣れ、恐怖心が消え「高所恐怖症」は克服できるとのことでした。

しかし、高所恐怖症者としては異議を唱えたい、確かに「特定の同じ場所」に居続ければ恐怖心は和らぎます。

しかし、「別の高所」に行けば、「恐怖心」はまた起きるのです。「その場居続け高所恐怖克服法」は、その場限りの「限定的克服」です。

特に私の場合は、高い建造物、高所移動運搬機、等に対する「設計的、保守管理的」要因まで考え、恐怖心が増幅されてしまうのです。

去年の11月7日のブログで、「安達太良山エクスプレス」の話をした際に、技術的要因で、支柱前後の急降下、急上昇が怖いと書きました。

それから、1ヶ月を経過した12月に、長野県のスキー場で「同じ型」のゴンドラで事故が起きました。支柱付近で滑車からロープが外れて緊急停止したのです。

乗客100人が乗っいて、最後に救出されたのが11時間後でした。これだから怖いのです。これだから信頼できないのです。機械は故障するものなのです。

それなら「乗るな!」と云われますが、それでも、また乗ります!ゴンドラ!、渡ります! 吊り橋! 「人間」、ここが面白いところです。



話がラーメン、チャンポン、ゴンドラ事故と、飛びまくってしまいました。吊り橋の話は、明日、じっくりしたいと思います。



それでは、また明日。





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氏家 “レストランらーめん” 彩遊は?

2008年01月19日 | 旅の話し
昨日の続きです。

昼食は、いつも「麺類」となっています。そして、いつも12時になったら直ぐに食べることになっています。

「麺類を早い時間に」が鉄則です、それは宿での夕食に挑む態勢づくりなのです。「重い食事を遅く」では、「夕食勝負」に負けるのです。

それで麺類なのですが、いつもは「日本そば」です、この日は偶には「中華そば」と云うことになりました。

“中華そば”となれば、味、そして、価格的に、何と云っても「幸楽苑」の「中華そば」です。390円のその下に、290円ができたのです。

290円の中華そばを一度食べてみたかったのです。4号線「氏家」の市街で以前に幸楽苑の看板を見かけたような記憶があったのです。

氏家はいつもの昼食場所より少し先です、「夕食勝負」に負けないように12時前到着を目指し車を走らせます。

氏家の手前、いつも気になる、鬼怒川に向かって伸びる「高架」です。道路に見えるのですが、地図には無いのです。


鉄道でもなく? 道路でもなく? もしかして、ガスとか、水道とか、電気とかの「ライフライン専用」の高架? それにしては立派過ぎます。


氏家の市街に入り、全員で前方左側を注意しながら走ったのですが、幸楽苑は発見できませんでした。下館の市街と勘違いしていたようです。

幹線道路沿い市街の風景は何処も似ているのです。

氏家の市街を抜け、東北線の跨線橋を下って直ぐ、左側に「赤字に白」の「ラーメン」の幟を発見。

が、しかし、どう見ても「ラーメン屋」「中華そば屋」に見えないのです。“ラーメン幟”さえ立っていなければ、お洒落な「郊外レストラン」の様なのです。

建物は新しく、もしかして? これは!新しいスタイルの「郊外型高級ラーメンレストラン」かも?

書き入れ時の昼食時間に、広い駐車場には車は三台、かなり不安ですが、もうこれ以上、昼食時間を遅らせると「夕食勝負」に負ける為、店に入ることに決定。

入り口付近も洒落ています。


店内は色調も落ち着いていて、それなりのデザインのイス、テーブルが並んでいます。テーブルに置かれた「割り箸立て」が無ければ、レストランの雰囲気です。


運ばれて来た、お水、そしてメニューを開いて「安心」しました。ラーメンは「ふつうの値段」でした。しかし、まだ安心はできません、店内には我々以外の客は居ないのです。


メニューの配列から推測すると、「味噌」が売りのようです。しかし、ここは、オーソドックスに「ふつうの中華そば」でいきます。


それにしても、この「彩遊旨味醤油麺」と云うネーミングなんですが、これが困るのです。注文するときに「こっ恥ずかしくて」こんなことは到底云えません。

ラーメンに店の名前を「冠」に付けるなと云いたい! こんな名前をいちいち客に云わすな! と云いたい!

私は、毅然とした態度で「ふつうの醤油ラーメンを3つ」と、云いました。すると店員は、

「ハィ! 注文確認します!“彩遊旨味醤油ラーメン”3つで宜しいですか?」

「うん。醤油ラーメンを三つ」と私は答えました。

「判りました」と云って彼女は立ち去りました。

中には、真面目で、几帳面で、気の弱い客は注文の際に「彩遊旨味醤油ラーメンを一つください」何て、恥ずかしそうに小声で注文したりするのです、同情します。


話の途中ですが、長くなったのでこの続きは次回にします。


それでは、月曜日にお会いしましょう。


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“微妙”に“リーズナブル”だった塩原温泉!

2008年01月18日 | 旅の話し
塩原温泉の話しです。

それで、行って来たのは去年の11月の9日、10日、もう2ヶ月ほど前のことです。

その前の、10月19日、20日と福島の岳温泉に行った直ぐ後のことです。岳温泉は配偶者と行ったのですが、塩原は母親と姉の三人でした。

母親、姉と3人で6月に鬼怒川温泉に行って来たので、次回は暖かくなった4月頃にでもと、考えていたのですが、岳温泉の土産話しに刺激されたのです。

「暖かい季節になってから」、「いゃ、紅葉が見たい」と、母の気持ちが二転三転したのですが、結局、何処か近くで、紅葉を眺め、温泉に浸かり、美味しい物を食べたいと・・・・・・・、そんなことになったのが、旅行の一週間前です。

そこで、急遽宿探しです。近くて、手頃な価格で、紅葉に、温泉となれば、もう場所は決まってしまいます。鬼怒川、川治、塩原の何れかです。

鬼怒川は6月に行ったので、川治か塩原です。宿の空き室状況を確認すると、紅葉シーズンのため川治は満室で、空いていたのは塩原でした。

塩原は鬼怒川・川治に比べて鉄道が通っていない分不利なのです。料金も人気も鬼怒川→川治→塩原となります。庶民的でリーズナブルな温泉地なのです。

いつもの時間に家を出発。294号線から、408号線、4号線、そして西那須野で左に曲がって400号線に入り、少し行けば塩原温泉です。通い慣れたるいつもの道です。



294号で、茨城から栃木に入って直ぐの、毎度お馴染みの「道の駅二宮」です。


広さは充分なトイレです。しかし、いつも「臭い」が気になるのです。管理者は気にならないようです。

農村地帯では昔から「畑の香水」と云って、この手の臭いには寛容なようです。


恒例、イチゴの名産地、二宮の「イチゴソフト」を頂きます。季節柄あまり売れていませんでした。しかし、我々は、ここで、これを食べないと、気持ちが治まらないのです。


「紅葉狩り温泉旅行」、最初に眼にしたプラタナスの紅葉です。黄色に輝いても紅葉?


こちらも、黄色に紅葉?した銀杏です。プラタナスよりも銀杏の方が綺麗です。銀杏は黄金色です。背景は青空に白い雲。


少しずつ、旅行気分になって来ました。

お昼も近くなりました。昼食は何を食べるか? 相談が始まりました。


この先は、明日に続きます。


それでは、また明日。


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不思議です!「阿武隈洞」は地底人の遺跡か?

2007年11月13日 | 旅の話し
昨日の続きです。

とうとうと云うが、念願のと云うか、初めての「鍾乳洞」です。

4、5年前、北茨城に一泊旅行に行った時、「阿武隈洞」の見学を予定したことがありました。しかし、チョットしたトラブルで中止したのです。丁度「スギ花粉」が舞い始めた時期でした。

2日目、阿武隈洞に向かう為、北茨城インターから常磐道に入りました。料金所で通行券を受け取り、「水戸方面」と「いわき方面」の本線に入る分かれ道で、ぼんやりしていて「逆方向」の「水戸方面」に入ってしまったのです。

間違いに直ぐ気が付いたのですが、数日前より配偶者が「鼻炎」で鼻を赤くしていたのですが、この日は特に症状が酷くなり、旅行気分もそがれ、引き返すのは止めて、真っ直ぐそのまま帰路に着いたのです。

そんなこんながあっての「阿武隈洞」です。昼食は高速の休憩所でカレーを食べました。私の方は「豚カツ」入りです。

この「豚カツ」には夕方まで悩まされたのです、油が最悪でした。きっと「創業当時」より、ウン十年「継ぎ足し」をくり返した「秘伝の油」じゃなくて「ヒデー油」のようです。

しかし、揚げ物で「胸焼け、げっぷ」何て症状は「老化現象」の一つなのでしょう。昔は「怪しい食堂」の「怪しい揚げ物」を食べても、何の問題も起こりませんでした。

それで、阿武隈洞ですが、磐越道の小野インターで降り、30分ほどで到着しました。

これが、予想外の「大規模な施設」なのです。

私は、小さな「こぢんまり」とした所だと思っていました。小さな駐車場で、その先には小さな入場券売場、その先の小さなドアを開けると鍾乳洞の入り口が・・・・・・。

入場券を売っているのは「お婆ちゃん」で、入場券を買った客に、

「その先の扉を開けてお入り下さい。中は暗くて、足元は濡れていて滑り易いですから・・・・・・」何て声をかける。

そんなイメージだったのです。

でも、しかし、この広大な駐車場。


いろいろな施設があるのです。


この銅像、裸足の可愛い足、小さな指で「一生懸命」お星様を差しています。側に居るママに何かお話をしているようです。

可愛いので、頭と足を撫で撫でしてしまいました。

見学時間は40分もかかるのです。


さぁ、立派なゲートから中に入ります。入場券は「お婆ちゃん」ではなく、自動販売機で買いました。1200円だったけ?


階段を下ります。


始めは暗いのですが、奥に進む連れて目が慣れてきます。スゴイです。初めてみる不思議な眺め。


ヌメットした「怪獣」の皮膚のような表面です。触ると濡れています。あれ!もしかして、触ってはいけなかった?


こんな階段が何ヶ所かあります。鍾乳石もスゴイのですが、階段を登ったり降りたり、腰を屈めたり、身体をよじったり、かなりスゴイコースです。

入り口の注意書きに「心臓を患っている方はご遠慮下さい」とありました。見学可能年齢は60歳代迄でしょう。



鍾乳石らしい鍾乳石です。


階段を登り終わり広いホールに出ました。仏像が林立している様に見えたのです。思わず「あっ! 仏像がイッパイ!」と云ってしまいました。

傍らのイスに「案内係」のおじさんが腰掛けて居たのです、急に立ち上がり、

「あれは鍾乳石で、自然のままです。8千万年かかって自然が造りだしたものです。鍾乳石は石灰岩が・・・・・・」と、説明をはじめました。

おじさんの説明に時折頷きながら、立ち並ぶ「仏像」の群を見つめていました。ホントに不思議です! 神秘的です! 観ているだけで「講釈」はいりません。


こちらは妖怪?


配偶者も、驚き、感動し、黙って見つめていました。


不思議です。8千萬年の造形。


石のタケノコ、石筍です。1㎝伸びるのに百年近くかかるのです。


銀河系の果てにある「謎の惑星」、SF映画のセット?


兎に角、凄かったです! 感動と云うよりも、不思議な体験でした。まさに、謎の地底王国です。もしかして、地底人の遺跡か? そんな気持ちにさせるのです。

案内にあった通り、丁度40分の体験でした。私達は「トテモ平均的」なのです。

阿武隈洞は「人類」として、一度は自分の眼で確かめるべき「自然遺産」です、そして「観光施設」です。

今回の旅もここで終わりです。

白河関で芭蕉を思い、陸奥への漂泊に誘われ、白河ラーメンを食べ、

岳温泉で貸し切り展望風呂に浸かり手足を伸ばし、美味しい会席料理を食べ、

安達太良山のゴンドラに揺られて、恐怖を味わい、

浄土平で硫黄の臭いを嗅ぎ、つばくろ谷で紅葉と絶景を眺め、

そして、阿武隈洞・・・・・・。

今回の一泊二日福島の旅は大成功でした。配偶者もトテモ喜んでくれました。

19回にわたる「福島の旅」は今回で終了です。

最後迄お付き合い下さり、誠にありがとう御座いました。


それでは、また次回、お会いしましょう。


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つばくろ谷の「二等橋」は絶景です!

2007年11月12日 | 旅の話し
昨日の続きです。

磐梯吾妻スカイライン中間点(後で判ったのですけど)、浄土平で絶景に感動し、“ツキ”が尽きていない事も確認し、次なる絶景ポイントを求めて車を走らせました。

このまま走って何があるのか? 兎に角、何だか判らないで走っていました。高度は少しずつ下がっているようです。

ガスの切れ間から顔を出す紅葉が綺麗です。でも、ホントのところ、そろそろ「ただの紅葉」には飽きてきました。


先ほどの浄土平で、今日の“メインビュースポット”はお終いかも?との気持ちになり、昼飯は何を食べるか?何て考え始めていると、深い谷を越えるアーチ橋に差し掛かりました。

歩道にはゾロゾロと人が歩き、谷底を覗いています。橋を渡って左折した先に駐車場が見えました。

係員が一人居て、誘導しているのですが、道路の片側を駐車スペースにした狭くて、長い、収容台数が十数台の狭い駐車場です。


これはダメかと思いつつ、空きを待つ車の後ろに並んだら、直ぐに列は動き出しすんなりと駐車。やっぱり“ついて”いるのです。

これまた、絶景です! 紅葉の谷にかかるアーチ橋。 傍らの石柱に“つばくろ谷”と刻まれていました。


スゴイです。プロ仕様?の大判のカメラが三脚を立てて何台も並んでいます。こうして、陽射しの変化を見ながらシャッターチャンスを待っているのでしょう。


ここは、「ただの紅葉」ではありません。深い谷にアーチ橋が架かっているのです。景色に高さがあり、奥行きがあります。

深い谷が、アーチ橋が、色とりどりの紅葉が、互いを引き立て合っているのです。


私も、ここは一つ、イイ写真を狙いました。如何でしょうか?


それで、「つばくろ谷」の“つばくろ”なのですが、この言葉を聞くと、想い出すのが、

 ♪旅の‘つばくろ’ 淋しかないか

 ♪おれもさみしい サーカス暮らし

 ♪とんぼがえりで 今年もくれて

 ♪知らぬ他国の 花を見た   

「サーカスの唄」です。作詞が西條八十、作曲が古賀政男です。いまから74年も前の歌です。

そんな古い歌をこの私が知っているのですから、当時、大ヒットした曲なのでしょう。戦前の歌なのですよ。

歌い出しの「旅のつばくろ」がイイです。哀愁がいっぱいです。兎に角「サーカス」の唄ですから、哀愁がいっぱい、哀愁だらけです。

この谷にも、春になると「つばくろ」が沢山飛んで来るのでしょうね。

念の為に一応説明しておきますが、「つばくろ」は「燕」で、「ツバメ」のことです。

つばくろ【燕】(ツバクラの転) ツバメの異称。

ツバクラ【燕】「つばくらめ」の略。

つばくら‐め【燕】ツバメの古称。〈和名抄18〉

[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]


それと、橋は不動沢橋と云い、今見ているのが「新不動沢橋」で、駐車場は「旧不動沢橋」への道路だったのです。展望台は橋の一部を利用したものでした。


この銘板は「橋業界」では、正式名称を「橋歴板」と云うようです。


橋歴板に「二等橋」とありますが、この等級は何をもって分けるのでしょうか?

調べてみたら「荷重」でした。


1939年(昭和14年)の基準では、

一等橋 - 13t (国道橋)
二等橋 -  9t (府県道橋)

1956年(昭和31年)の基準改正で、

一等橋 - 20t (TL-20)
二等橋 - 14t (TL-14)

と、いうような事でした。


「つばくろ谷」も絶景!でした。感動!しました。

これで、磐梯吾妻スカイラインは終わりのようです。


さぁ。次は、いよいよ、今回の「メインイベント」初めての「鍾乳洞」です。

それでは、また明日。 






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