気ままに自転車ツーリング♪

70代になり60代からの散歩が中心となりました。50代は健康維持のため何かスポーツをと、消去法でサイクリングでした。

多民族共生の難しさ・・・ヤマアラシのジレンマ

2016-01-11 19:36:05 | 印象的な世の中の出来事
「ドイツ西部ケルンの警察当局は10日、昨年12月31日に外国人風の男らが女性を取り囲み集団で性犯罪に及んだり金品を強奪したりした事件で、 被害届が10日現在で516件に達したと発表した。」

シリアを主とする中東情勢の悪化による難民がヨーロッパ、とりわけドイツに押し寄せた(受け入れ表明により)ことによる負の結果だろう。
戦火の地域から逃れてくる人々を受け入れるのは人道的配慮として国際的な観点から必要なことかもしれぬ。
でも、こういう結果を見て温かい手を差し伸べるのを無条件にすることはもろ手を挙げて賛成しても良いのだろうか疑問に思う。

難しい・・・

いうなれば人と人との間、つまり人間距離の問題への対策が不十分だったことによる事件だと思う。
タイトルにあげた「ヤマアラシのジレンマ(ハリネズミのジレンマと言ったほうがイメージしやすい)」問題なのだ。
人間距離に関しては最小単位としての家族間からして明確にある。
夫婦間あるいは兄弟姉妹の間にも。
これに多かれ少なからず家族持ちの人たち(でなくとも)には実感としてあるはず。
それが親族、親戚、近隣、地域、地方、国、国際と複雑になるにつれ問題は簡単に対応できないレベルになるのは必然だ。
単なる感情論、同情論では収拾がつかなくなる。
多分、ドイツを含め多くの難民を受け入れている国では今後ますます対応に苦慮していくはずだ。

ドイツでのこの事件を見ても、受け入れ態勢がまったく不十分だと思う。
既存の人々と難民を何らの準備もなしに混在させているからだ。

多分、難民の民族、宗教、政治など同じ難民でも相容れない特徴を考慮して分けて居住場所を用意し自治体制を組ませることが必要だろう。
これが用意できたことで受け入れ難民の数が決まってくる。
難民キャンプでもいい。その条件が嫌なら他をあたってくれでいい。
それが野放しだからこういう事件を誘発してしまう。
ドイツの問題の根底には難民でも人が流入すれば労働力不足を解消できるという下心があり過ぎた。
移民と難民は違う。移民はその国に同化するという「宣誓」を伴うが難民は「保護」を期待する。
期待水準が違うのだ。

だから、言い方は悪いのだが難民は「難民収容所」に囲って一時的避難としての対応(管理統制)をすべきものと思う。安易な労働力を期待しての受け入れは禍根を残すしそれがこの事件に現れていると思う。
人権侵害という反発も予想されるが、そういう団体にはいくばくかの難民を受け入れて「範」を見せてから言えと。

かってドイツは夜警国家と言われるほど治安が良い国であった。
(ドイツ滞在中、仕事で深夜に及んでも一人歩きでホテルに歩いても危険を感じなかった。)
自分の身は銃で武装してでも守れというアメリカとは違う国であった。
(アメリカでオフィスの女性が机の引き出しから拳銃を見せて物騒なんでね、と。
自由の国アメリカというイメージが瓦解した。)
ドイツには諸事情があるにしてもその国の秩序を維持する模範となる難民政策を示して欲しいものと思う。
高齢化社会に向かう我が国の先行きを案じて労働力の確保のために移民政策の推進の論調が時折アドバルーンを上げるように出てくるが、そのことの明暗について国民的コンセンサスを得る議論が先決だろう。
元気な高齢者がいて働く意欲のある失業者がいて、そういう状況を解決しないで移民なんて議論が十分ではない。
一億総活躍社会は働ける人たちに働く場を与えてこそのものだ。
安価な労働力を期待するなら、そういう国に生産なり資本を投下していくことだ。
そのほうがその国の経済発展に貢献寄与し感謝される。
文化も習慣も言語も違う国に労働力として来させるには酷というもので、国の不安定要因にもなる。

話は戻って、ヤマアラシのジレンマは国の為政者こそ心してかからないと将来に禍根を残すと肝に銘じてほしい寓意だ。

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