200万人が読む、ウェブ上の論壇誌 というキャッチの
BLOGOSという評論HPがある。
オピニオンリーダーを自認する人たちの意見を知るのに適当な
HPである。
今日は年金関連の記事が目についた。
政府が年金の支給年齢を引き上げることを検討するとの
ニュースに接しての記事と思われる。
その中に、
「年金の支給年齢を引き上げるのはすばらしいアイデア」という
藤沢数希氏の記事がある。
この人のことは全く知らないのだが、一読して全く没論理、無茶苦茶としか
言いようのない物言いをしている。
飽きれて反論する気も起きない。よくもまぁ恥知らず、無知な文言を
書き連ねる「評論家」がいるものだと。
文章全体が噴飯ものなのだが、たとえば、
「年金支給年齢を引き上げれば、それまでお金がなければ野垂れ死ぬより
他ないのだから、十分な蓄えのな人たちは働くことになるだろう。
彼ら、彼女たち一人ひとりが、年金支給年齢を引き上げることにより、
より長く働かざるをえない状況になる。これはいうまでもなくGDPを引き上げ、
日本、そして世界をより豊かにしていくはずだ。」である。
GDPを引き上げるということは働く場がまだあるということだ。
仕事があれば働くが、高齢者にその場があるのだろうか。なぜに、ハローワークに
人があふれているのか?なぜ失業率が5%前後もあるのか。
氏はGDPをさらに引き上げる仕事について例示すらしていない。
あげればきりがないが、要は筆者は机上の空論、筆者の偏見を
書き散らしているだけなのだ。
働かないこと、すなわち怠け者と断罪している筆者のメンタリティを
云々しても詮無いことである。
筆者にとって年金制度の設計の不備に言及していない。
後だしジャンケンの制度改悪を批判することなく制度が破たんしそうだから
支給開始を先延ばしすることを是としている。
国民の真面目な生活設計を混乱におとしめていることへの一片の
思慮もない。若い人すら仕事からあぶれているのに高齢者に
働け、働かないのは怠け者だと言っている。
私は60歳になったら年金を満額もらえるものと思っていた。
ところが、何年か前に基礎年金部分の支給が60歳から65歳に
繰り下げるということになった。ある意味、棄民政策だろう。
その間に年金事務の不祥事が表ざたになった。
さんざん叩かれながら、今、原資が不足しそうなので支給開始年齢を
見直したい、だと。
そうして、そのような国民愚弄政策を後押しするような提灯記事だ。
行政の失敗、政策の失敗は国民が等しく甘受すべきというのが
近代政治の原則である。政治は国民の負託を受けてなされるのだから
そうなのだろう。
であれば政治の失敗は国民の側から責任を問うことも可能であり
そのように制度設計されているが機能していない。
少なくとも朝令暮改するような愚策を為政者がとらない矜恃くらいは
持って欲しいものだ。
BLOGOSという評論HPがある。
オピニオンリーダーを自認する人たちの意見を知るのに適当な
HPである。
今日は年金関連の記事が目についた。
政府が年金の支給年齢を引き上げることを検討するとの
ニュースに接しての記事と思われる。
その中に、
「年金の支給年齢を引き上げるのはすばらしいアイデア」という
藤沢数希氏の記事がある。
この人のことは全く知らないのだが、一読して全く没論理、無茶苦茶としか
言いようのない物言いをしている。
飽きれて反論する気も起きない。よくもまぁ恥知らず、無知な文言を
書き連ねる「評論家」がいるものだと。
文章全体が噴飯ものなのだが、たとえば、
「年金支給年齢を引き上げれば、それまでお金がなければ野垂れ死ぬより
他ないのだから、十分な蓄えのな人たちは働くことになるだろう。
彼ら、彼女たち一人ひとりが、年金支給年齢を引き上げることにより、
より長く働かざるをえない状況になる。これはいうまでもなくGDPを引き上げ、
日本、そして世界をより豊かにしていくはずだ。」である。
GDPを引き上げるということは働く場がまだあるということだ。
仕事があれば働くが、高齢者にその場があるのだろうか。なぜに、ハローワークに
人があふれているのか?なぜ失業率が5%前後もあるのか。
氏はGDPをさらに引き上げる仕事について例示すらしていない。
あげればきりがないが、要は筆者は机上の空論、筆者の偏見を
書き散らしているだけなのだ。
働かないこと、すなわち怠け者と断罪している筆者のメンタリティを
云々しても詮無いことである。
筆者にとって年金制度の設計の不備に言及していない。
後だしジャンケンの制度改悪を批判することなく制度が破たんしそうだから
支給開始を先延ばしすることを是としている。
国民の真面目な生活設計を混乱におとしめていることへの一片の
思慮もない。若い人すら仕事からあぶれているのに高齢者に
働け、働かないのは怠け者だと言っている。
私は60歳になったら年金を満額もらえるものと思っていた。
ところが、何年か前に基礎年金部分の支給が60歳から65歳に
繰り下げるということになった。ある意味、棄民政策だろう。
その間に年金事務の不祥事が表ざたになった。
さんざん叩かれながら、今、原資が不足しそうなので支給開始年齢を
見直したい、だと。
そうして、そのような国民愚弄政策を後押しするような提灯記事だ。
行政の失敗、政策の失敗は国民が等しく甘受すべきというのが
近代政治の原則である。政治は国民の負託を受けてなされるのだから
そうなのだろう。
であれば政治の失敗は国民の側から責任を問うことも可能であり
そのように制度設計されているが機能していない。
少なくとも朝令暮改するような愚策を為政者がとらない矜恃くらいは
持って欲しいものだ。
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