数日前に来てくれた85歳の従兄、酒飲みながらの話題の多くは昔話、
自然我ら國元家の話になる。
國元家8代の泰一叔父が書籍として書き残した記録、
出版ごとに送ってもらった書籍をほとんど読んだ覚えがない、
しっかり読んだ記憶がない、故に話が噛み合わない。
上越市助役を2期努めた叔父が闘病中に執筆半ばで旅立ってしまってから、
従兄弟たちの努力によって出版にこぎつけた本もある。
そんな私の冷たい態度に従兄は怒りさえ感じたことだろう。
今にして思えば彼が来た目的、國元家のルーツを共有し、話し合いたかったのだろうかと思う。
それに全く答えることなく終わってしまった自身の思慮のなさ、無関心さ、冷酷さ・・・
断捨離を逃れ、倉庫にその本が3冊とも残っていた。
今日さっと目を通しただけ、だが、だが悲しみを通り越し、
人間であることの、生きることの強烈な虚しさを感じ、
読み進む事ができない。
本が出てきたものの複雑な思い出や感情が絡み、もつれ、
これ以上読む勇気、気力がない。
目にしなければよかった、捨てられていたら、とさえ思う。
人間の存在意義はあるのか?宇宙の存在意義は?・・・・
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