裏磐梯 秋元湖にほど近い森の中から・・・

裏磐梯の森の中の家、薪ストーブ、庭、山、酒、音楽を愛する独居老人の日常生活の記録、綴り続ける備忘録。

 

Gruss an Aachen  Irene Watts  Pink Gruss an Aachen

2007年09月15日 | Weblog
イレーヌワッツ、グルース・アン・アーヒェンがそろって咲いている。共にとても美しい。このイレーヌワッツがグルース・アン・アーヒェンの枝変わり、ピンクグルース・アン・アーヒェンだとは到底思えない。数年前、バラ分類の権威の一つARS(American Rose Society アメリカ・バラ協会)が現在流通しているイレーヌワッツは組織検査の結果ピンクグルース・アン・アーヒェン(1925年作出)であると発表した。ことの起こりは1990年代のモンティスフォント・ガーデンでピンク・グルス・アン・アーヘンの花壇に間違ってイレーネ・ワッツの札をかけてしまったところから始まった。そしてそれが訂正されぬまま繁殖され、流通してしまった。何とそはごく最近の事だったのだ。1990年以前はイレーヌワッツとグルース・アン・アーヒェンの混同はなかったということになる。イレーヌワッツはどこに行ってしまったのであろうか。カーティスクリークに咲くイレーヌワッツは本物、ピンクグルース・アン・アーヒェンではないとしておこうと思う。すばらしい名前、イレーヌワッツがかわいそうに思える。ピンクグルース・アン・アーヒェンなどという野暮な名前なら決してこの庭に植えるここはなかったに違いない。(左Gruss an Aachen右Irene Watts)
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毘沙門沼

2007年09月14日 | Weblog
晴れ渡り、気持ちよい秋の一日。夕暮れに行く今日の毘沙門沼は夏の賑わいが嘘のように人影が無い。静かに裏磐梯の代表的な風景を独占する。
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Jayne Austin

2007年09月13日 | Weblog
この時期、ジェーン オースチンが美しく咲くのは珍しい。イングリッシュローズもいい物だと思ってしまう。やはりいいバラだと思ってしまう。だが今もてはやされているイングリッシュローズ、毎年新種が4,5種類加わり、今や200種を超えようとしている。が、果たして数百年の時を経たとき、どれだけ生き残り、アンティークローズの仲間入りができるのだろうか。イングリッシュローズの真の評価はそれからだと思ってしまう。しっかりした審美眼を持たねばならぬ、ファッションに引きずられてはならぬと警戒してしまう・・・それだけ魅力的なバラなのであろう。

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Triomphe de Luxembourg

2007年09月12日 | Roses
朝から雨。あれもこれもと張り切っていた気分も萎えてしまう。雨の庭に咲くトライアンフ・デ・ルクセンブルグ がとても美しい。さらば小雨の庭に出てゆっくり愛でる。1835年、Hardy作出。アルディ、そう、白バラの名花Mme.Hardyを作出したその人である。アルディはこのバラに自身が主席ガーデナーを勤めていたパリのルクサンブール宮殿と更にTriomphe(大成功, 偉業)を組み合わせた名前を与えたのである。いかにアルディがこのバラに自信を持っていたがうかがえるのである。
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駒止湿原初秋

2007年09月11日 | 歩く・登る
天気が良い。急遽駒止湿原に行こう思う。薪割り、庭の手入れ、その他放り出し。訪れた湿原は初秋の気持ちよい風吹き、オヤマリンドウ、ウメバチソウ、アキノキリンソウが咲く。人影のまったくない湿原の木道に座って食べるコンビニで買ったオニギリ、サンドイッチ、そんなランチでも驚くほど美味しい。そして開放された心に満ちるささやかな幸せと満足感。(駒止湿原にて)
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桧原湖

2007年09月10日 | Weblog
喜多方へ行く。通りかかった桧原湖は深い霧。あっという間に湖面の浮かぶ小島を隠してしまう。車を止め、幻想的な湖、流れる霧を眺める。
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ススキ

2007年09月09日 | Weblog
天気が良い。夕暮れ、初秋の風にいっせいに揺れるススキの原。こんな日の銀色に輝くススキは特別美しい。なんでもない風景が極上の瞬間に変わる。
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ツノハシバミ

2007年09月08日 | Weblog
庭の片隅の木に見慣れぬ実が付いている。どこかで見たことがある、読んだ事がある気がする。何であろうか?早速図鑑で調べる。その木はツノハシバミ、そしてこの実は食べられる。セイヨウハシバミがへーゼルナッツ、思い出した。ハシバミ、ツノハシバミはヘーゼルナッツの近縁種であったのだ。成熟したら早速食べてみよう。
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台風9号東北縦断

2007年09月07日 | Weblog
大きな被害をもたらした台風9号、裏磐梯では記録的な大雨。秋元湖は満水、初めて数年前に作られた巨大な非常放水ゲートが開放されているのを見た。轟々と流れる水に恐怖さえ感じる。庭に立てば長瀬川の川音が聞こえる。これもめったにないことだ。
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今日も雨明日もまた

2007年09月06日 | Weblog
台風9号の影響で朝から雨が降ったり止んだり。明日は更に荒れることだろう。バラを切り、せいぜい室内で楽しむことにしよう。
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Souvenir d'Elise Vardon

2007年09月05日 | Weblog
秋バラがポツポツと咲き出した。手入れが悪いのだろうか、秋バラは花がとりわけ美しいけれど、みずみずしい葉、樹形を期待できず、全体バランスがとても悪い。せめて花色、花形、一輪、一輪の美しさを愛でよう。スヴェニール・デリゼ・バルドン、花色、形、共にとても素敵なティーローズ。チャイナの香粉蓮と同じバラという説と違うという説。香粉蓮が庭にないので比較しようがないが国色天香=グルス・アン・テプリッツのように中国に渡ったSouvenir d'Elise Vardonが中国人によって香粉蓮という名前をつけられた、とする説が正しいように思えるのだが。
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花の八方尾根

2007年09月04日 | 若き日の思い出

40年ぶりに八方尾根を歩く。ゴンドラ、リフトを乗り継ぎ、八方池までのランブリングを楽しむ。右に白馬三山、左に鹿島槍、五竜、振り返れば妙高、戸隠の連山。残念ながらこの雄大な風景を今私の住む東北に求める事はできない。足元のロックガーデンにはタカネマツムシソウ、ヒメシャジン、カライトソウ・・・咲き乱れる秋の高嶺の花々。またまた昔話に・・・夏になると各駅には花の八方尾根というタイトルをつけたポスターが貼られたものだった・・・就職が決まり学生生活最後の夏休み。テント、2週間分の食料、うなりながら登った八方尾根。唐松岳、南越、黒部祖母谷、そして百貫下りを登り返し、清水岳、白馬岳、雪倉、朝日の長い最後の白馬岳を巡る山旅だった・・・それは今でも鮮烈な記憶として残る一人旅だった。(八方尾根より白馬三山 9月1日撮影)

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黒部ダム

2007年09月03日 | 若き日の思い出

久しぶりに黒部ダムに行く。残念ながらそそり立つ北アルプスの山々は雲に隠れ、雄姿を見ることはできない。昭和39年8月1日、後立山を縦走するため、降り立った信濃大町は大町ルート開通式典で大賑わいだった。この日から一般人もトロリーバスに揺られてトンネルを抜け、容易に秘境黒部に行けるようになった。そんな遠い昔を思い出しながら雄大なくろよんの風景を眺める。(8月31日撮影)

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白馬岳・・・しろうまだけ

2007年09月02日 | 若き日の思い出

昭和38年~40年頃でかあろうか。信濃四谷まで一枚ください。ハクバですね。いやシナノヨツヤです。駅名が変わったのです。エー・・・ハクバという言葉に嫌悪感さえ抱いていた私は強いショックを受ける。信濃四谷、なんと美しい駅名だろうか。それがハクバとは。当時すでに信濃森上行き白馬(ハクバ)という急行は運行されていたのであるが。シロウマ→ハクバの仕掛人は八方尾根にゴンドラを架けた大資本、東急のコマーシャリズムの為せる悪行と信じていた。東急白馬(ハクバ)ホテル→ハクバムラ→急行ハクバ→ハクバ駅。が、時は流れ・・・いまや遠い昔、憎んでいたそのホテルの部屋のバルコニーの椅子に座って暮れ行く森を眺めながら満足げにアルコールを啜ている私・・・
帰宅後なんとなく気になり調べる。事実は昭和29年新宿、松本間の準急白馬(ハクバ)運行開始→昭和31年北城村、神城村合併、白馬村(ハクバムラ)誕生→昭和34年東急白馬ホテル完成。私の浅薄な知識からの誤解とわかる。犯人は国鉄だった?・・・今は少なくともシロウマダケがハクバダケにならぬ事を心より祈る。

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