40年ぶりに八方尾根を歩く。ゴンドラ、リフトを乗り継ぎ、八方池までのランブリングを楽しむ。右に白馬三山、左に鹿島槍、五竜、振り返れば妙高、戸隠の連山。残念ながらこの雄大な風景を今私の住む東北に求める事はできない。足元のロックガーデンにはタカネマツムシソウ、ヒメシャジン、カライトソウ・・・咲き乱れる秋の高嶺の花々。またまた昔話に・・・夏になると各駅には花の八方尾根というタイトルをつけたポスターが貼られたものだった・・・就職が決まり学生生活最後の夏休み。テント、2週間分の食料、うなりながら登った八方尾根。唐松岳、南越、黒部祖母谷、そして百貫下りを登り返し、清水岳、白馬岳、雪倉、朝日の長い最後の白馬岳を巡る山旅だった・・・それは今でも鮮烈な記憶として残る一人旅だった。(八方尾根より白馬三山 9月1日撮影)
久しぶりに黒部ダムに行く。残念ながらそそり立つ北アルプスの山々は雲に隠れ、雄姿を見ることはできない。昭和39年8月1日、後立山を縦走するため、降り立った信濃大町は大町ルート開通式典で大賑わいだった。この日から一般人もトロリーバスに揺られてトンネルを抜け、容易に秘境黒部に行けるようになった。そんな遠い昔を思い出しながら雄大なくろよんの風景を眺める。(8月31日撮影)
昭和38年~40年頃でかあろうか。信濃四谷まで一枚ください。ハクバですね。いやシナノヨツヤです。駅名が変わったのです。エー・・・ハクバという言葉に嫌悪感さえ抱いていた私は強いショックを受ける。信濃四谷、なんと美しい駅名だろうか。それがハクバとは。当時すでに信濃森上行き白馬(ハクバ)という急行は運行されていたのであるが。シロウマ→ハクバの仕掛人は八方尾根にゴンドラを架けた大資本、東急のコマーシャリズムの為せる悪行と信じていた。東急白馬(ハクバ)ホテル→ハクバムラ→急行ハクバ→ハクバ駅。が、時は流れ・・・いまや遠い昔、憎んでいたそのホテルの部屋のバルコニーの椅子に座って暮れ行く森を眺めながら満足げにアルコールを啜ている私・・・
帰宅後なんとなく気になり調べる。事実は昭和29年新宿、松本間の準急白馬(ハクバ)運行開始→昭和31年北城村、神城村合併、白馬村(ハクバムラ)誕生→昭和34年東急白馬ホテル完成。私の浅薄な知識からの誤解とわかる。犯人は国鉄だった?・・・今は少なくともシロウマダケがハクバダケにならぬ事を心より祈る。