半谷範一の「オレは大したことない奴」日記

B級自動車ライターのカオスな日常

前装銃世界選手権参戦記 2002年イタリア大会

2020-06-19 21:43:51 | 前装銃射撃、古式銃
ふと気付いたら、 “次は前装銃世界選手権、イタリア大会の時のことを書く” と予告しておきながら、8年も経ってしまいました!。ゴメンナサイ。というわけで、今回は8年振りに続きを書かせて頂くことにしましょう。

2001年の環太平洋選手権で銀メダルを4個ゲットできたこともあってか?、ヘッポコ射手の私もその翌年の世界選手権に参加できることになりました。2002年の会場はイタリアのルッカ。トスカーナ州にある城塞都市で、ご覧のように大変美しいところでした。






射撃場は城塞の外だったものの、設備の整った素晴らしい射撃場でしたよ。






ところが私が持っていったのはコレ、コミナッツォ競技用の短筒が一挺だけでした。理由はたった一つ。これだけなら荷物が格段に少なくて済むから (笑) 。2000年の世界選手権に参加して自分のレベルが世界に遠く及ばないという悲しい現実を思い知らされたので、競技よりも外国の選手との交流をメインにしようと考えたのです。




しかしやはり一種目だけでは寂しいので、K選手(実は学生時代からのライフル射撃仲間)と私は現地でレプリカの銃を購入して、クーヘンルーター競技(単発のパーカッション・ピストル種目)にも参加することにしました。銃はペデルソーリ社にファクトリーチューンの銃を2挺用意していただき、このピエランジェロ・ペデルソーリ社長から直接受け取りました。




作っていただいたのはコレ、 “Mang in Graz” 。一見市販品と変わらないものの、ロックプレートの内側はピカピカに研磨されていましたし、頂いたセッティングデータを見たら、K選手の銃と私の銃では使用火薬の種類すら異なっていたのでビックリ!。さすがにぶっつけ本番というわけには行かないので、コーチ付きでコソ練までさせて下さいました(笑)。




で、肝心の成績は?というと・・・・・・コミナッツォが22位、クーヘンルーターが64位。まぁ当時の私の実力からすれば当然の結果でしたね。残念ながら持って帰れたのはこのゼッケンと参加証明だけ。国際大会に参加するようになって4戦目で、初めて本当に手ぶらで帰ることになりました。



もちろん最初からメダルどころか入賞すら絶対無理だということは分かっていたけれど・・・・・・でもやっぱり15歳の頃からすっと競技選手としてやって来た身としては、正直悔しい、というか情けない。そこで次の世界選手権ではメダルは無理にしても、何とか入賞に絡める位のレベルになりたいと思ったのでした。

(つづく)

■本日のオマケ
皆さん、コレは何をしているところか分かりますか?。



答えはフリントロック銃用のフリント(火打ち石)を作っているところ。天然の石を上手に割るには大変な技術が必要で、フリントロックの銃が使われていた時代には専門の職人さんがいたそうです。


■参考
1999年 環太平洋選手権 アメリカ ハワイ州 ヒロ

2000年 世界選手権 オーストラリア 南オーストラリア州 アデレード

2001年 環太平洋選手権 アメリカ オハイオ州 キャンプペリー

2009年 環太平洋選手権 カナダ オンタリオ州 バリー その0、 その1、 その2、 その3、 その4、 その5

2011年 環太平洋選手権 アメリカ バージニア州 ウィンチェスター その1、 その2、 その3、 その4、 その5、 その6、 その7、 その8
コメント
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