学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

2008-11-11 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年11月11日(火)23時22分1秒

「スピーチのはじめにアメリカの学者はジョークを言い、日本の学者は謝罪を述べる」という言葉があるので、ここでは謝罪から始める。それは題名についてである。ここで「世界デフレ」というのは、ヴィクトリア朝に発生した一回目のもの(1873-1896)、「大恐慌」として知られる二回目のもの(1929-1936)、そして二一世紀の初めに可能性をいわれ、結局、未遂に終わりそうな三回目のものである。
 題名からすると、本書はデフレだけを扱うようだが、実際にはインフレも扱う。すなわち、一九七〇年代の世界的な「高インフレ」を、起承転結の「転」の部分に盛り込んで、都合、四部構成にしている。こうすると、十九世紀後半から今日までの歴史を中断なく展望できるからである。それは一言でいって、インフレとデフレのあいだの経済変動に焦点を当て、財政、金融政策によってその経済変動を管理するという思想がどのように深まったのかを振り返り、さらにその思想が日本においてどのように受け入れられたのかをテーマにした「歴史物語」ということになる。
 もともとラテン語の「ヒストリア」という言葉は、「歴史」と「物語」を同時に指す。実際、英語でこそ「ヒストリー」と「ストーリー」は別の単語だが、多くの欧州言語では同じ単語が使われる。考えてみれば、われわれが何かを物語る場合、それは過去のエピソードだ。それがいってみれば本書の歴史観である。つまり、ここでは「歴史的なエピソード」が物語の主題となる。
 大学での講義の経験によれば、「エピソード」は教育効果が高い。例をひとつ挙げるなら、本書の第一部の主題、「ヴィクトリア朝デフレ」についてこういうことがある。つまり、日本ではかつて財務官を務めたような教養人でも、それが「構造要因」によるデフレだと誤った解釈をしている。これに対して、高等教育を受けた程度の米国人ならば、そのデフレが「貨幣的要因」によることを誰でも知っている。なぜなら、一八九六年の大統領選におけるジェニングス・ブライアン候補の演説中の「金の十字架」という言葉があまりに有名だからである。それで、この言葉は一体、どういう意味かと問われれば、当時のデフレと金本位制の関係に言及しないわけには行かない。
 本書の題名について、もう一つ謝らなければならないのは、一回目、二回目のデフレが実際に起こったものであるのに対して、三回目が「来(きた)る」というのは不正確だという点だ。つまり、三回目は二一世紀の初めに「来(く)る」と喧伝されたが、実際には来たらず、このまま回避されそうである。だからといって、「来る」というのが、まったく根拠がなかったわけではない。日本のデフレが、一九九五年からほぼ間断なく続いていることは事実であり、二〇〇二年の暮れに、連銀のグリーンスパン議長が、米国のデフレの発生を本気で心配したこともまた事実である。ようするに、三回目はニアミスだった。なぜ、そうなったのか。この疑問から本書は出発した。
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わずか2年前の文章ですが、今読むと、ずいぶん意味深長ですね。


>筆綾丸さん
珍しく長考モードに入っておりまして、レスも遅れ気味ですみませぬ。
実は『世界デフレは三度来る』をきっかけに、本格的に近現代史に主軸を移すことを検討しています。
同書には実に豊富な文献が絶妙の組み合わせで引用されていて、そのひとつひとつにきちんと当たるだけでも、本当に勉強になりそうです。
欧米の文献は竹森氏が分かりやすい日本語に翻訳しているのですが、原文を確認してみたいものも多いですね。
そして、日本語・英語のすべての参考文献を、著作権の切れたものは大量に、切れていないものは適度な分量で集めて、『後深草院二条』程度の情報量があるサイトを作ったら、けっこう世の中の役に立つものができるのではないかと思います。
もっとも、それを一人でやるとしたら多少の負担は覚悟しなければなりませんが。
コメント
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