投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 7月11日(土)12時39分19秒
>筆綾丸さん
私は酒井健氏が訳したバタイユの『ランスの大聖堂』(ちくま学芸文庫)を購入し、少し読んでみました。
冒頭にバタイユが21歳のときの処女作で、カトリック信仰時代の唯一の作品とされている「ランスのノートル・ダム大聖堂」が載っていますが、これは非常に良いですね。
--------------
私もまた、この古い都に住んでいたときに、このような天国の夢のごとき美しい光景を目にしたものだった。当時、新市街の通りは喧騒で満ちていた。喧騒と華やかな光が溢れていたのだ──しかしいつも大聖堂がいてくれた、いつも大聖堂が勝ち誇る石のなかで息づいていた。大聖堂の左右の鐘塔は百合の束のようになって大空に向けまっすぐに伸び、また愛想のよい民衆のイメージが入口(ポーチ)に飾られた一群の聖人たちの表情のなかに忍び入っていた。この聖人たちの彫刻は、聖衣をまとって永遠の身振りを誇り、他方でかつて石がここまで微笑んだことがあろうかと思えるほどに嬉々とした表情を浮かべていた。そして、大きな冠をかぶった中央扉口の聖母マリア像は、王のようでありまた母親のようでもあったので、群れなす信者たちはみな子供や兄弟のごとくに楽しげにならないわけにはいかなかった。要するに大聖堂の石のすべてが母性的で神的な善意に包まれていたのだ。
そして今私はこう考えている。生きてゆくためにはこのような光が輝いているのを見たということが必要なのだ、と。我々の間にはあまりに多くの苦痛と暗闇がある。我々の間ではすべてのことが死の影のなかで大きくなってゆく。自分の声と希望で満ちていたジャンヌ・ダルクも投獄され火あぶりにされてしまった。我々自身も涙の日々を経験することになるだろうし、そもそも我々の死の日は前々から我々のことを盗人のように窺っている。それ故我々は慰めに飢えた者になっている。たしかに神の光は我々すべてのために輝いているのだが、我々は、冷たい部屋の埃に似た、十一月の霧に似た毎日の不幸のなかをさまよっている。ところである日、私はみすぼらしくこの不幸を嘆いていたときに、友人から「ランスの大聖堂を忘れるな」と言われ、すぐさま大聖堂を思い出したのだったが、そのとき追憶のなかの大聖堂はあまりに崇高であったため、私は、自分自身の外へ、永遠の新しい光のなかへ、投げ出されたような気がしたのだった。このとき私は、たとえ廃墟になっても大聖堂は我々のなかで、死にゆく者のための母親として在り続けるだろうと思ったのである。(後略)
http://en.wikipedia.org/wiki/Notre-Dame_de_Reims
>筆綾丸さん
私は酒井健氏が訳したバタイユの『ランスの大聖堂』(ちくま学芸文庫)を購入し、少し読んでみました。
冒頭にバタイユが21歳のときの処女作で、カトリック信仰時代の唯一の作品とされている「ランスのノートル・ダム大聖堂」が載っていますが、これは非常に良いですね。
--------------
私もまた、この古い都に住んでいたときに、このような天国の夢のごとき美しい光景を目にしたものだった。当時、新市街の通りは喧騒で満ちていた。喧騒と華やかな光が溢れていたのだ──しかしいつも大聖堂がいてくれた、いつも大聖堂が勝ち誇る石のなかで息づいていた。大聖堂の左右の鐘塔は百合の束のようになって大空に向けまっすぐに伸び、また愛想のよい民衆のイメージが入口(ポーチ)に飾られた一群の聖人たちの表情のなかに忍び入っていた。この聖人たちの彫刻は、聖衣をまとって永遠の身振りを誇り、他方でかつて石がここまで微笑んだことがあろうかと思えるほどに嬉々とした表情を浮かべていた。そして、大きな冠をかぶった中央扉口の聖母マリア像は、王のようでありまた母親のようでもあったので、群れなす信者たちはみな子供や兄弟のごとくに楽しげにならないわけにはいかなかった。要するに大聖堂の石のすべてが母性的で神的な善意に包まれていたのだ。
そして今私はこう考えている。生きてゆくためにはこのような光が輝いているのを見たということが必要なのだ、と。我々の間にはあまりに多くの苦痛と暗闇がある。我々の間ではすべてのことが死の影のなかで大きくなってゆく。自分の声と希望で満ちていたジャンヌ・ダルクも投獄され火あぶりにされてしまった。我々自身も涙の日々を経験することになるだろうし、そもそも我々の死の日は前々から我々のことを盗人のように窺っている。それ故我々は慰めに飢えた者になっている。たしかに神の光は我々すべてのために輝いているのだが、我々は、冷たい部屋の埃に似た、十一月の霧に似た毎日の不幸のなかをさまよっている。ところである日、私はみすぼらしくこの不幸を嘆いていたときに、友人から「ランスの大聖堂を忘れるな」と言われ、すぐさま大聖堂を思い出したのだったが、そのとき追憶のなかの大聖堂はあまりに崇高であったため、私は、自分自身の外へ、永遠の新しい光のなかへ、投げ出されたような気がしたのだった。このとき私は、たとえ廃墟になっても大聖堂は我々のなかで、死にゆく者のための母親として在り続けるだろうと思ったのである。(後略)
http://en.wikipedia.org/wiki/Notre-Dame_de_Reims