学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

大船渡市三陸町吉浜

2011-04-12 | 東日本大震災と研究者
大船渡市三陸町吉浜 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月12日(火)08時07分4秒

余震が続きますね。
先週末の岩手県訪問ですが、8日(金)の夜、会津若松まで移動してビジネスホテルに一泊。
翌9日(土)、東北自動車道を宮城県栗原市の築館ICで降り、国道398号線(登米街道)・国道346号線(西郡街道)を通って、気仙沼市本吉町津谷まで行きました。
先週、南三陸町歌津に行く道を思案したセブンイレブンのある場所です。
栗原市は地震の度に高い震度を記録して、石塀が倒れたり、道路に亀裂が入ったりしている様子が報道されており、私も実際にそのような光景を目にしたのですが、市街地を離れると、すぐに普通の状態になってしまいますね。
栗原市は単に局所的に地盤が弱いだけなのに、そこでの様子が映像で報道されて、内陸部ですらあんな状態なのだから、より震源地に近い方ではもっとひどい状況なのでは、といったイメージが作られているのではないかと思います。
本吉町津谷からは国道45号線を北上し、気仙沼バイパスで市街地を迂回し、更に北上して陸前高田市に入りました。
廃墟となった街の西側、気仙地区を移動し、少し迷って元来た道を引き返したりしながら竹駒まで行くと、中心部へ行く道が渋滞していたので、いったん国道340号線を北上し、世田米で国道107号線(盛街道)に入って、大船渡市に向かいました。
大船渡市街の様子を少し見た後、三陸自動車道に入り、再び国道45号線に戻って大船渡市三陸町吉浜(よしはま)まで行きました。
ここは過去2回の大津波を経験して、家を建てる場所を高台に移していたために、今回の津波では被害を最小限にとどめることができた場所だそうです。
『河北新報』によれば、

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◎大船渡・吉浜湾/「明治三陸」で被害、高台に集団移住

 大船渡市の吉浜湾は、ほかの三陸海岸の湾とは風景が異なる。中心集落があるはずの湾奥部の低地には家屋がなく、水田が広がる。中心となる集落の家屋約100世帯は海抜20~30メートル前後の県道沿いに並ぶ。
 「吉浜では海辺の低地に家を建てないことが常識。親から言い伝えられて守った教訓というよりも常識なんだ」
(中略)
 当時の吉浜村の柏崎丑太郎(うしたろう)村長は私財に加え、銀行から調達した資金で下通り周辺の土地を購入。村が移住先を用意すると、数年間で高台への集団移住が完了した。
 柏崎村長の孫のナカさん(97)は今でも、祖父の話を覚えている。
 「おじいさんは『ただ呼び掛けるだけでは移住しない住民が必ずいて、また同じことが起きる。村が強引にでも移住させる方法を考えた』と、昔話を聞かせてくれた」
 道沿いには高さ2.5メートルの巨大な石碑が立ち、明治三陸大津波の犠牲者の全氏名が彫られている。津波の恐ろしさが住民の心に刻まれ続け、ほとんどの住民は今でも下通り周辺の高台に住む。
 「おじいさんも苦労が少しは報われたと思っているはず」。ナカさんはそう語った。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110410t73039.htm

下の写真はこの記事に出ている石碑です。
また、石碑の近くの場所で撮った写真も載せておきます。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5799
コメント
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