投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月 5日(月)17時15分43秒
3月3日(土)、宮城県伊具郡丸森町の筆甫(ひっぽ)から福島県相馬市玉野を経て飯館村に入り、虎捕の山津見神社に参詣後、臼石から国道399号線を南下して、飯樋・長泥を通り、浪江町の南津島まで行ってみました。
筆甫・玉野は飯舘村に隣接し、放射線量が高いとされている地域ですね。
写真は玉野内の副霊山地区です。
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副霊山開拓記念碑
碑文
戦後の開拓事業は敗戦日本祖国再建の為国策の一環として緊急開拓が叫ばれ開拓事業に着手、民族生存の基となる食糧増産が開始された。
伊達郡霊山村の有志である若者達が先遣隊として、昭和二十一年この地に踏み入りその後外地からの引き揚げ者など入植した同志百二十二名の拓友一同は一心同体 相互扶助の精神で生命の限りをつくして山野に開拓のくわを降ろし風雪五十年の厳しい自然条件と戦いながら幾多の変遷を経て高冷地農業の悪条件を乗り越えて新しい村づくりに努力して今日の繁栄をみるに至りました。
この期にあたり拓友一同の方々と相諮り副霊山開拓事業を記念し、開拓の碑を建立しこの偉業を永く後世につたえるものである。
平成八年九月二十九日
副霊山開拓記念碑建設委員会
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6265
3月3日(土)、宮城県伊具郡丸森町の筆甫(ひっぽ)から福島県相馬市玉野を経て飯館村に入り、虎捕の山津見神社に参詣後、臼石から国道399号線を南下して、飯樋・長泥を通り、浪江町の南津島まで行ってみました。
筆甫・玉野は飯舘村に隣接し、放射線量が高いとされている地域ですね。
写真は玉野内の副霊山地区です。
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副霊山開拓記念碑
碑文
戦後の開拓事業は敗戦日本祖国再建の為国策の一環として緊急開拓が叫ばれ開拓事業に着手、民族生存の基となる食糧増産が開始された。
伊達郡霊山村の有志である若者達が先遣隊として、昭和二十一年この地に踏み入りその後外地からの引き揚げ者など入植した同志百二十二名の拓友一同は一心同体 相互扶助の精神で生命の限りをつくして山野に開拓のくわを降ろし風雪五十年の厳しい自然条件と戦いながら幾多の変遷を経て高冷地農業の悪条件を乗り越えて新しい村づくりに努力して今日の繁栄をみるに至りました。
この期にあたり拓友一同の方々と相諮り副霊山開拓事業を記念し、開拓の碑を建立しこの偉業を永く後世につたえるものである。
平成八年九月二十九日
副霊山開拓記念碑建設委員会
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6265