投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月22日(木)20時47分40秒
都司嘉宣氏のエッセイ(?)に載っている写真、瓦礫がそれなりに整理されているように見えたので、最初に読んだときは現在の写真なのかなと思ってしまいました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/120322/dst12032208070001-p1.htm
しかし、慰霊の祭壇が問題の斜面を背景にしているので、これはずいぶん前の写真ですね。
2011年9月11日の私の写真では同じ方向ですが、現在は祭壇に向かうと背景が校舎になっていて、角度にすると90度変化しています。
http://chingokokka.sblo.jp/article/53278917.html
そこで、この写真はいつ撮影されたのかが気になって少し検索したところ、同じ産経新聞の「パノラマ写真館」に2011年6月11日に撮影したという周囲360度を写した鮮明なパノラマ写真が出ていました。
http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2011/0611ookawa/
これと比較すると、エッセイ添付の写真は都司嘉宣氏自身が昨年6月の訪問時に撮影した可能性が高いですね。
ところで、この写真を見ると、斜面の下の瓦礫は綺麗に排除されてコンクリート壁がはっきりと見えており、都司氏の言う「津波が到達した位置を示す木札」と私が2011年9月11日に撮影した木札が同じものだとすれば(まあ、同じものだと思いますが)、都司氏の文章は一段と謎めいてきます。
木札の真下は登るのが絶対無理なコンクリート壁ですから、都司氏はコンクリート壁の端から横に進んだことになりそうですね。
うーむ。
コンクリート壁の端に行けば、木札とは反対の方向へ自然と向かうように思うのですが、あるいはそちらにはまだ瓦礫があったのでしょうか。
都司氏のエッセイは一読して変なところだらけですが、東京大学地震研究所の准教授という立派な肩書の方なので、私としては、①そもそも都司氏には調査能力がない、②都司氏には調査能力があるが、瓦礫が残っていたために十分な調査ができる環境になかった、の二つの可能性のうち、後者ではないかと思っていたのですが、正解は前者のような感じもしてきました。
都司嘉宣氏のエッセイ(?)に載っている写真、瓦礫がそれなりに整理されているように見えたので、最初に読んだときは現在の写真なのかなと思ってしまいました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/photos/120322/dst12032208070001-p1.htm
しかし、慰霊の祭壇が問題の斜面を背景にしているので、これはずいぶん前の写真ですね。
2011年9月11日の私の写真では同じ方向ですが、現在は祭壇に向かうと背景が校舎になっていて、角度にすると90度変化しています。
http://chingokokka.sblo.jp/article/53278917.html
そこで、この写真はいつ撮影されたのかが気になって少し検索したところ、同じ産経新聞の「パノラマ写真館」に2011年6月11日に撮影したという周囲360度を写した鮮明なパノラマ写真が出ていました。
http://photo.sankei.jp.msn.com/panorama/data/2011/0611ookawa/
これと比較すると、エッセイ添付の写真は都司嘉宣氏自身が昨年6月の訪問時に撮影した可能性が高いですね。
ところで、この写真を見ると、斜面の下の瓦礫は綺麗に排除されてコンクリート壁がはっきりと見えており、都司氏の言う「津波が到達した位置を示す木札」と私が2011年9月11日に撮影した木札が同じものだとすれば(まあ、同じものだと思いますが)、都司氏の文章は一段と謎めいてきます。
木札の真下は登るのが絶対無理なコンクリート壁ですから、都司氏はコンクリート壁の端から横に進んだことになりそうですね。
うーむ。
コンクリート壁の端に行けば、木札とは反対の方向へ自然と向かうように思うのですが、あるいはそちらにはまだ瓦礫があったのでしょうか。
都司氏のエッセイは一読して変なところだらけですが、東京大学地震研究所の准教授という立派な肩書の方なので、私としては、①そもそも都司氏には調査能力がない、②都司氏には調査能力があるが、瓦礫が残っていたために十分な調査ができる環境になかった、の二つの可能性のうち、後者ではないかと思っていたのですが、正解は前者のような感じもしてきました。