学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

五大虚空蔵菩薩

2013-10-03 | 東北にて
投稿日:2013年10月 3日(木)08時59分24秒

神護寺サイトを見ると、寺宝紹介の2番目に五大虚空蔵菩薩像が出てきますね。

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 五大虚空蔵菩薩は金剛界の五智如来の変化身といわれ、富貴成就、天変消除をこの菩薩に祈って秘法を行う。
 わが国での初見は弘仁十二年(821)、空海が両部曼荼羅、祖師像の新写の際に描かせた絵画であるが、本像もあるいはその像にもとづいて彫られたのかもしれない。
 五大虚空蔵菩薩を修する法を金門鳥敏法(かのととりどしのほう)ともいい、変革の年といわれる辛酉の年に除災のため行われた。
 本像は五体とも像高90センチメートルあまり。ほぼ同形の坐像で手の形や持物だけが異なる。
 肉身の色は中尊の法界虚空蔵が白色、東方尊金剛虚空蔵は黄色、南方尊宝光虚空蔵は緑色、西方尊蓮華虚空蔵は赤色、北方尊業用虚空蔵は黒色に塗り分けられている。
 いまは一直線に祀られているが、もとは東寺講堂の五菩薩像などと同様に、中尊を囲んで左右斜め前と、斜め後ろに他の四体が配されていた。
http://www.jingoji.or.jp/treasure02.html

同サイトの写真は不鮮明ですが、YouTubeには綺麗な動画があります。

http://www.youtube.com/watch?v=ykNsCbde8HI

東寺・観智院の五大虚空蔵菩薩は獅子・象・馬・孔雀・迦楼羅の上に鎮座していて、像高も90cmの神護寺のものよりは相当高いようですね。
なかなか迫力があります。

http://www.toji.or.jp/kanchiin.shtml

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二階堂別當僧正親玄

2013-10-03 | 中世・近世史

投稿日:2013年10月 3日(木)00時09分54秒

>筆綾丸さん
1201年の場合、改元決定の直前に城氏の乱が起きているのが気になりますが、まあ、辛酉の年の改元は公家社会のお約束で、一月は色々と忙しいから二月くらいになってしまうような感じもしますね。

金門鳥敏法で検索してみたら、「レファレンス共同データベース」に興味深い記述がありました。

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質問:
「鶴岡八幡宮寺修法」という史料が見たい。そこには、元亨元年に親玄という僧が鎌倉の永福寺の別当であったという記録があるらしい。

回答:(前略)
『鶴岡社務記録』は、建久二年(1191)から文和四年(1355)までの重要な社務(鶴岡八幡宮の別当=長官)の編年記録で、鶴岡八幡宮の行事などを中心に記述されている。元亨元年(1321)の部分を見てみると、「元亨元年辛酉 依辛酉、於當社御修法、正月、二階堂別當僧正親玄金門鳥敏法」という、修法の記述があった。永福寺は、源頼朝が中尊寺の二階大堂・大長寿院を模して創建した大寺院で、「二階堂」とも呼ばれていたので(『鎌倉廃寺事典』 貫達人ほか著 有隣堂 1980年 )、「二階堂別當僧正親玄」とは、永福寺別当親玄のことであるとして、この『鶴岡社務記録』の記述を紹介した。

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000028121

この親玄は醍醐寺の高僧ですが、久我通忠の息で、後深草院二条の従兄弟でもあります。

http://kotobank.jp/word/%E8%A6%AA%E7%8E%84

高橋慎一朗 「『親玄僧正日記』と得宗被官 」
http://web.archive.org/web/20150107053657/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/takahashi-shinichiro-shingen.htm

このあたりの人間関係、色々と面白いですね。
坂口太郎氏が描く後宇多院周辺の宗教関係者も、その出自を見ると西園寺・三条坊門・堀川・久我等、後深草院二条に関係する家が頻出しており、なかなか興味深い世界です。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6932

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