学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「国家」のマトリョーシカ

2013-10-29 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年10月29日(火)23時22分33秒

私も丸島氏が戦国大名を国家と把握すること自体がおかしいと言っている訳ではなくて、感覚的にはそれなりに理解できるけれども、理由付けがきちんと整理されていないのではないかと疑問を呈しているだけですね。
丸島氏が第三の理由として挙げている部分は、ポルトガル人宣教師かく語りき、というだけではなく、前提として国家の要件についての実質的な考察を含んでいるようにも見えるので、国家の実質的な要件を明確にした上で第三の理由だけで説明するのもひとつの手でしょうね。
例えば、16世紀のポルトガル国王はこれこれの要件を満たすので当時、「国王」と認識されていた。戦国大名も同様にこれら全ての要件を満たすので「国王」と認識すべきである、といった具合に。
国家とは何か、という根本的な問題を正面から論じるのは大変なので、誰でも国家と認識しているような組織体との比較で戦国大名も国家でしょう、と攻める論法は、あっさりすっきりした説明にはなりますね。
ま、いささかヨーロッパ中心史観なのではないかと懸念する向きもあるでしょうが。

>筆綾丸さん
丸島氏は第一の理由の前に、

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「地域国家」という表現が、研究者の間で用いられるようになったのは近年のことだが、戦国大名をひとつの「主権的な国家」、日本国に対する「下位国家」として把握する見解は、一九七〇年代にはみられた。
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と書かれているので、基本的には丸島氏もかかる見解を踏襲しており、「室町幕府・鎌倉府をはじめとする伝統的上位権力」が「上位国家」である「日本国」の主体であり、戦国大名はあくまで「下位国家」なんでしょうね。
二重の国家というと、旧ソ連などの連邦国家、あるいは state の集合体であるアメリカ合衆国などを連想しますが、戦国大名の場合、「上位国家」に「下位国家」を纏める統制力・指導力はないので、類似の国家形態は直ぐには思い浮かびません。
更に話が複雑になってくるのは丸島氏の所謂「国衆」の扱いですね。(p11以下)

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そして、戦国大名に従属し、大名から自治支配権を容認された領主権力を「国衆(くにしゅう)」と呼ぶこととしたい。国衆とは、室町時代には「国人(こくじん)」と定義されていた領主である。その国人が、戦国大名に従属することで自己変革を成し遂げ、戦国大名と同様の行政を行うようになっていき、自己の支配領域では(戦国大名を上位者として戴くものの)主権者となる。このような権力は、もはや国人領主という段階とは異なり、戦国大名のあり方に近い。しかしながら、独立性をもっていないという点が、戦国大名とは異なる。
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整理すると、

「日本国」の主体である「室町幕府・鎌倉府をはじめとする伝統的上位権力」
 ↓
戦国大名
 ↓
国衆

というヒエラルヒーがあるんでしょうね。

>「自己の領主権を超えた地域を支配下においた権力」(11頁)
これは丸島氏の所謂「国衆」が自己の領主権の及ぶ地域だけを支配下としていることとの対比なんでしょうね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

定義について 2013/10/29(火) 19:30:52
『戦国大名の「外交」』の序章には、定義矛盾があるように思われますね。

①「戦国大名領国の主権は戦国大名に帰属し、室町幕府・鎌倉府をはじめとする従来の公権力が公認してきた慣習や特権を継続して認めるかどうかは、戦国大名の判断次第であった」(9頁)
②「戦国大名が中央政権によって任命され、その身分を保証された権力ではないからである。つまり戦国大名とは、中央政権たる室町幕府の統制意図から外れた位置に誕生した存在であった」(11頁)

①と②はほぼ同義ですが、この直後に、戦国大名の定義として、
③「室町幕府・鎌倉府をはじめとする伝統的上位権力以外には従属せず」(11頁)
とあり、これは、伝統的上位権力には従属する(こともある)という意味であろうから(「以外には従属せず」には別の解釈があるのだろうか?)、とするならば、①と②に、とりわけ②に矛盾します。戦国大名と伝統的上位権力との関係は、一体、どちらになるのか、まことに曖昧としていて、これでは定義たりえないのではないか。
なお、戦国大名の定義の3番目「自己の領主権を超えた地域を支配下においた権力」(11頁)ですが、これは意味がわかりません。

④「日本の法律と習慣に従い全支配権と命令権を有するから、国王であり」(10頁)は、16世紀末のイエズス会士の西語を現代の日本語にやくせばこうなる、ということであるとは云え、ここでいう「日本の法律」とは何なのか、中央政権や伝統的上位権力のものなのか、戦国大名のものなのか、などなど、いろいろ分析したうえでなければ、定義の一部には使えないのではないか。

以下は、『戦国大名の「外交」』とは関係のないことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AD%E3%82%B9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E6%AF%85%E4%B8%80
アレクサンドロスのスペイン語表記 Alejandro、ポルトガル語表記は Alexandre で、将軍のポルトガル語表記が xogun になるように、Alexandre はアレシャンドルになるから、ポルトガル語が専門の松田氏はアレッシャンドゥロとした、というようなことらしいですね。背景がよくわかりました。
コメント
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