学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

主権=国家の最高独立性

2013-10-31 | 丸島和洋『戦国大名の「外交」』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2013年10月31日(木)08時29分42秒

>筆綾丸さん
憲法を真面目に学ぼうとする人の多くが最初に躓くのはおそらく「主権」概念で、歴史的展開も非常に複雑ですね。
基本的には憲法(と国際法)の世界では主権は国家の最高独立性を意味するので、丸島氏の「戦国大名をひとつの「主権的な国家」、日本国に対する「下位国家」として把握する」といった表現は、法学部出身者にはものすごく抵抗があります。

主権
主権国家体制

上記のウィキペディアの記述には独自研究の部分もありそうですが、一応の理解には役立ちます。

戦国大名の研究者も、国家とは何かを考える上で憲法と国際法の議論は参考にしているものと思いますが、一般書という制約のためか、丸島氏の著書には言及はなく、黒田基樹氏の『百姓から見た戦国大名』にもなさそうですね。未読ですが。
いっそのこと戦国期には上位国家の「日本国」はなかった、最高独立性を持つ「地域国家」が分立していただけ、とすれば目茶目茶すっきりする話ですが、そのように言っている研究者はいないんですかね。

それと、丸島氏の議論では、

国家→外交

が自明の前提になっているような感じもしますが、これは決して自明ではないですね。
例えばシリアでは反体制派を集めてアサド政権に対抗できるだけの組織を作り、それを諸外国が「国家」として承認してアサド政権をつぶそうという動きがありましたが、これなどは

外交→国家

ですね。
外交を担えるだけの組織体だから国家だ、という見方は別に近代になって突然生まれたものではなく、むしろ歴史的にはそれが当たり前ではないかと思います。
東アジアだと中国の王朝が、周辺からやってくる有象無象の集団の代表者から事情聴取して、おまえのところはなかなかしっかりしているから外交相手として認めてあげよう、「国家」として承認してあげよう、みたいな感じじゃないですかね。
戦国期だとヨーロッパから来た宣教師は日本のいろんな集団を観察した上で、天皇を相手にしても無駄、室町幕府の将軍を相手にしても埒があかない、「外交」の相手として意味があるのは戦国大名だけ、だからこれが「国家」でしょう、と判断したのではないか。
丸島氏の挙げる第三の理由、「ポルトガル宣教師の視点」は非常に重要であり、当時はもちろん国際法と呼ぶに値する法体系はありませんが、

外交を担えるだけの組織体→国家

という理由だけで戦国大名を「国家」と認めてもよいのではないかという感じもします。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Venn diagram 2013/10/30(水) 23:28:35
小太郎さん
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480063137
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E5%9B%B3
黒田基樹氏『百姓から見た戦国大名』の「第三章 地域国家の展開」には、次のような記述があり、戦国期の研究者の間では、戦国大名の領国を「国家」とする考えは広く受容されているようですね。
日本国なる国家と戦国大名の国家という異質の国家が同時的に存在したこと、あるいは、日本国の国王と領国の最高権力者である戦国大名の関係など、どのように考えればいいのか・・・ヴェン図のようなものを描いて、いろいろ考えてみましたが、よけいわからなくなりました。

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戦国大名の領国は、「国家」と称された。領国とそれを主導する大名家が一体のものであり、それによって生じた用語である。国家という用語は、それまでもあったが、そこでは日本国を指して用いられてきた。しかし戦国大名の国家は、日本国という国家と同時的に用いられていた。そのことはすなわち、日本国という国家と、戦国大名の国家とは、異なる性格の国家であった、ということであった。戦国大名の国家の性格については、第六章で述べることにしたいが、あらかじめ結論的なことを述べておけば、現代の国民国家が持つ、人々が帰属する政治共同体であるという性質の系譜を考えた場合、その前身にあたるのは、日本国という国家ではなく、戦国大名の国家であった。
戦国大名の領国は、実質的にも、さらに名目的にも、一個の自立した国家として存在していた。これを日本国の国家と対比し、区別するため、地域国家と位置付けられている。戦国大名の領国に限らず、国衆の領国も、本質的にはそれと同様とみていいから、そうすると戦国時代というのは、列島各地にそうした地域国家が乱立して存在していた時代、ということになる。(101頁)

・・・戦国大名・国衆という地域権力は、一定の領域を支配する権力として存在していた。そのためこのような地域権力を、領域権力と呼んでいる。支配がおよぶ地域が面的に展開していた。それは当時、「国」と称されていた。そのため戦国大名・国衆の支配領域を、領国と呼んでいる。領国は、線引きできるような、いわゆる国境で囲われた面として存在していた。
その領国においては、戦国大名・国衆が最高権力者であり、他者の支配権は及ばない、排他的・一円的なものであった。それまで日本国の国王として存在していた、天皇や室町幕府将軍などの支配も、領国には及ばなかった。そこに戦国時代が、室町幕府が存在していたとしても、室町時代とは本質的に異なる、時代の特徴をみることができる。さらに政治権力が領域的に存在する、ということも、それまでの列島社会の歴史にはなかった。排他的・一円的な支配と、領域性は一体のものであった。(99頁)
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コメント
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