学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

山口政二と山口啓二

2014-08-31 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月31日(日)23時05分30秒

今日、中澤俊輔氏の『治安維持法』(中公新書、2012)を読んでいたら、同法成立時の議会審議に関連して山口政二の名前が出ていました。(p55以下)

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国体とは何か

 その後の運用を考えると、治安維持法案の最も重要な争点は国体の定義である。この二文字は、治安維持法に「悪法」のイメージをまとわせてきた。
 そもそも、国体とは何だろうか。まず思い浮かぶのは、万世一系の皇統(天皇の血統)が継承され、天皇が政(まつりごと)を統(す)べるという、皇国史観的な国体論である。
(中略)
 それでは、治安維持法案における国体とは何を意味したのだろうか。
 内務省も司法省も起草段階では、万世一系の皇統という歴史的意味を強調していた。ただし議会の政府答弁は、あくまで憲法第一条にもとづく統治権の所在として国体を論じた。議員と政府の双方に、国体をタブー視する空気があったことは否めない。
 そんななか、山口政二(まさじ、政友会)は、「国体変革」を企図するような国民は一人としていないのではないか、という鋭い質問を放った。山岡万之助はこれに対し、国民は「国体変革」を想像することさえできないし、政府も現実に「国体変革」が起こると予想するわけではない、と回答している。
 山口が質問したように、当時の日本には果たして「国体変革」が起こる可能性はあったのか。たとえば小川法相は、二月革命から十月革命に至ったロシア革命のように、君主制の廃止から労農独裁政権の樹立への移行を警戒した。内務省もこの「無政府共産主義」を想定していた。しかし、当時は無政府主義の退潮が著しく、日本共産党は再建の途についたばかりであった。国体変革を目的とする結社は皆無であったといわざるをえない。(後略)

『治安維持法』
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2012/06/102171.html

著者の中澤俊輔氏は1979年生まれのまだ若い人だそうで、微妙に文章に甘さ、というか違和感を感じる部分があります。
上記引用でも山口政二は特に「鋭い質問を放った」とも言えないように思いますが、ま、それはともかくとして、山口政二とは何者かというと、この人は去年亡くなった東大史料編纂所元教授・山口啓二氏の父親です。
父子ともウィキペディアに立項されていますが、いずれも親子関係には触れていませんね。

山口政二
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E6%94%BF%E4%BA%8C
山口啓二
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%95%93%E4%BA%8C

山口政二(1887-1927)は旧制一高では応援団長で、「独眼流将軍」と呼ばれた名物男だったそうですが、思想的には大正デモクラシーを体現するリベラル派だったみたいですね。
山口啓二氏(1920-2013)は少壮代議士のお坊ちゃんとして幼少期は極めて裕福な暮らしをしていたのに、父親が40歳の若さで急死してしまった後、一家は銀行の厳しい貸付金取立てに苦労し、結局、母方の祖父のもとで暮らすことになったそうです。
この母方の祖父が一高教授の斎藤阿具(1868-1942)で、今では夏目漱石・正岡子規の友人として知っている人は知っているという存在ですね。
夏目漱石は斎藤阿具から借りていた千駄木の家で『我輩は猫である』を執筆したそうで、『山口啓二著作集』第5巻の「聞き書き-山口啓二の人と学問」には、この家の思い出が詳細に描かれていますね。

斎藤阿具
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E9%98%BF%E5%85%B7

山口啓二氏は歴史科学協議会設立の中心となり、また史料編纂所職員組合委員長・東大職員組合委員長として労働運動・社会運動にも熱心だった人ですから、正直、硬直的な運動家タイプの人なのだろうと思って「聞き書き-山口啓二の人と学問」にも全然期待していなかったのですが、実際に読んでみたら非常に良質の面白い読み物でした。
特に戦前の思い出が良いですね。

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歴研番付

2014-08-31 | 歴史学研究会と歴史科学協議会

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月31日(日)21時28分28秒

「在野」の謎、今日も少し考えてみたのですが、「大学院の専攻課程を経て」いるのが「専門的研究者」であって、そうでない人は「非アカデミズム」研究者=市民的研究者=「在野」と定義すると、石母田正氏や永原慶二氏も「非アカデミズム」=「在野」になってしまって、さすがにまずいですね。
とすると、羽仁五郎・林基・藤間生大の三氏がそれぞれ社会的に最も活躍していた時期には大学の教員ではなかった、だから「非アカデミズム」=「在野」だ、というあたりが適切かなと思います。

「在野」かどうかは別として、学問的レベルに基づき歴史学研究会の会員番付を作ったら、石母田正氏や永原慶二氏は理論・実証のいずれにおいても横綱クラスでしょうね。
羽仁五郎・林基・藤間生大氏の業績には詳しくありませんが、若干の理論倒れの面があったとしても、三人とも少なくとも大関クラスじゃないですかね。
このクラスに比べたら、失礼ながら深谷克己氏なんてせいぜい前頭十枚目くらいじゃないですかね。
よく知らないですけど。

>筆綾丸さん
"Hello Kitty is not a cat"で検索すると筆頭がBBCで、ワシントンポストやCNNなど主要メディアが軒並み出てきますね。
もっともワシントンポストはニュースとしてではなく、Alexandra Petri という冗談好きの女性作家?のエッセイですが。

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Hello Kitty is not a cat. Everything is a lie.

If you were wondering whether everything is a lie, the answer is: yes. Everything is a lie.
Hello Kitty is not a kitty. I repeat: Hello Kitty is not a kitty. According to Sanrio, Hello Kitty - whom you have seen on literally every consumer product at an increasing rate over the past 40 years - is in fact a human child.

http://www.washingtonpost.com/blogs/compost/wp/2014/08/27/hello-kitty-is-not-a-cat-everything-is-a-lie/

ハローキティはロンドン郊外に住む女の子という設定はともかく、ハローキティ自身がチャーミー・キティという名の猫の飼い主である点は個人的にはなかなか衝撃的でした。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

スヌーピーのツイート 2014/08/30(土) 18:35:28
http://www3.nhk.or.jp/nhkworld/english/news/20140829_41.html
どうでもいいような記事で恐縮ですが、
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Popular US cartoon character Snoopy tweeted that he is definitely a dog.
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は笑えますね。

「序章 信長の政治理念」に関する素朴な疑問
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将軍という立場とは無関係に天下静謐を号令しても容易に服そうとせず、逆に敵対行動をとる大名が多かった。信長は天下静謐維持のため彼らを服従させようとして、それが軍事行動(戦争)となるばあいもあった。その結果勝利して相手を滅ぼせば、信長の支配領域につながる。あえて言うなら、信長の勢力拡大は、天下静謐に刃向かう敵と戦った結果生じたのである。「天下」の領域が静謐となり、それを脅かす敵対勢力がいなくなれば、みずからの役割が果たされる、そう信長は考えていたにちがいない。(「織田信長<天下人>の実像17頁)
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神田千里氏の規定によれば、「天下布武」という目標は、永禄11年(1568)、義昭を擁して上洛した時点で達成されたのであり、上洛後(「天下布武」後)の信長の政治理念は「天下静謐」であった(14頁)、として上記のように続きますが、強大な軍事力を前提にしなければ「天下静謐」などあろうはずがなく、永禄11年は「天下布武」の達成ではなく一過程にすぎず、以後もずっと「天下布武」の状態は続いたろう、「天下布武」という目的が突然消えて新たに「天下静謐」という目的になったのではあるまい、「天下布武」と「天下静謐」を別物のように概念操作しても無意味ではないか、と思われます。
「信長公天下十五年仰せ付けられ候」や「信長京師鎮護十五年」は(19頁)、「天下布武」後の「天下静謐」を指すのではなく、「天下布武」かつ「天下静謐」、と解すれば済むことではないか。「天下布武」後、信長は「天下布武」の印を何故15年間も使い続けたのであろうか。「天下静謐」⊆「天下布武」で充分だろう、という気がしますね。
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