学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

Michigan Monograph Series in Japanese Studies

2015-01-03 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月 3日(土)15時53分26秒

は2013年までに(たぶん)発行済みの75冊のうち、71冊が国会図書館に入っているようですが、それを見ると、

津島佑子 Laughing wolf
古井 由吉 White-haired melody
獅子文六 School of freedom
大岡昇平 A Wife in Musashino
遠藤周作 Song of sadness
森鴎外  The wild goose
栗原貞子 Black eggs

といった近現代小説・詩の翻訳がかなりの割合を占めていますね。
学問的な著作は和泉式部・鴨長明などの古典文学や宗教学、映画論、美術史などを日本人ではない学者が論じたものが多く、中には

Poems of the five mountains : an introduction to the literature of the Zen monasteries
A Zen life in nature : Musō Soseki in his gardens
Revealed identity : the noh plays of Komparu Zenchiku

といったものもありますね。
歴史学関係では、

Women and public life in early Meiji Japan : the development of the feminist movement
The bluestockings of Japan : new woman essays and fiction from Seitō, 1911-16

といったものがありますが、日本人学者の翻訳ではなさそうで、結局、日本の歴史学者の翻訳は網野善彦氏のものが唯一みたいですね。

https://ndlopac.ndl.go.jp/F/RLHX6HJCABME34G462UF917QE483JB6DRVCA38KKYI2IYX9QV5-36498?func=short-jump&jump=1
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Rethinking Japanese History

2015-01-03 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月 3日(土)11時23分6秒

去年からの宿題が若干あるのですが、とりあえず『現代思想』網野善彦特集号で気になったことを少しだけ書いておきます。
ウイリアム・ジョンストン氏の「封建漁民から列島の人々へ 網野善彦の歴史叙述の旅路」には、

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(前略)彼の多作さと日本での名声にもかかわらず、これまで英語に翻訳されたのは数えるほどの論文と一冊の著書のみである。ある日本近世史研究の第一人者が述べたように、誰もが網野のもっとも需要な著作のひとつである『無縁・公界・楽』について述べるが、実際にそれを読んだ者は少ない。同じことは彼の他の著作についてもいえる。
-------

とありますが(p233)、私が以前調べたときは英文に翻訳された著書は一冊もなかったので、これは何かなと思って検索したら、2012年に出た"Rethinking Japanese History (Michigan Monograph Series in Japanese Studies, Number 74)"ですね。
タイトルからは一瞬、『中世再考』かなと思ってしまいましたが、カバーに南北を逆転した日本地図が出ているので、講談社版日本の歴史シリーズの「00巻」、『「日本」とは何か』の翻訳みたいですね。

Rethinking Japanese History
http://www.amazon.com/Rethinking-Japanese-History-Michigan-Monograph/dp/B007VR8RKK

網野氏に英文著作が乏しい理由はいくつか考えられますが、肝心のご本人に「日本」を超えて活動する意思が全くなかったことも大きいでしょうね。
網野氏の近くには、例えば東大国史学科の後輩で何回か対談相手にもなった山口昌男氏のような人もいましたから、網野氏が国内で名声を確立した後、自己の研究成果を背景にして海外の歴史学者と交流しようと思えば十分可能だったと思いますが、網野氏はそうした方向には全く興味がなかったみたいですね。
網野氏は大半の日本史研究者のような「スペシャリスト」ではなく、「インテレクチュアル」と分類してよさそうな存在ですが、というか、網野氏を「インテレクチュアル」に分類しなかったら他に「インテレクチュアル」に分類できる日本史研究者はいなくなってしまいますが、その網野氏ですら内弁慶の知識人で終わってしまったのは、ちょっともったいないような感じがします。

ところで、ウイリアム・ジョンストン氏の文章に出てくる「ある日本近世史研究の第一人者」とは誰なんですかね。
近世史に全然詳しくない私には尾藤正英氏の名前くらいしか思い浮かびません。
「網野善彦腫瘍著作10冊を読む」で『「日本」とは何か』を担当されている三ツ松誠氏は網野氏と尾藤氏の関係に触れていますが、もう少し分量が多いとありがたいですね。

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