学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

成田龍一氏に学ぶ司会術

2015-01-21 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月21日(水)16時36分53秒

『現代思想』の桜井英治・保立道久・山本幸司・成田龍一氏による共同討議「網野善彦は歴史学をどう書きかえたか」は素晴らしい内容ですね。
中でも見事なのが成田龍一氏の水際立った司会振りです。
冒頭を少し引用すると、

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成田 私は先週までアメリカに行っており、「What History Is, Knows, Does.」というシンポジウムに参加してきました。歴史学者のキャロル・グラックさんとハリー・ハルトゥーニアンさんが主軸になって、毎回ゲストを招いて連続シリーズをつくるということで、一回目に私が呼ばれていったのですが、韓国でもイム・ジヒョンさんを中心に、歴史学の総括が企図されており、世界的に歴史学のあり方を見直そうという機運が出てきているように感じます。それは人文学が落ち目になってきていることに対して、歴史学の側からなにか反論していこうという動きであるでしょう。そういう手がかりが日本の中にどういう形であるのかということを考えた時に、真っ先に思い当たるのが、網野善彦さんの歴史学です。
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といった具合です。
Carol Gluck女史(1941-、コロンビア大学教授)とHarry Harootunian氏(1929-、ニューヨーク大学名誉教授)はアメリカの歴史学界ではマイナーな分野である日本研究の専門家ですね。

Carol Gluck
http://www.columbia.edu/cu/weai/faculty/gluck.html
Harry Harootunian
http://history.fas.nyu.edu/object/harryharootunian

イム・ジヒョン(林志弦、漢陽大学校比較歴史文化研究所所長)氏には、

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日本語による主要な業績として「六八年革命と朝鮮半島」(『環』33号、2008)、「『世襲的犠牲者』意識と脱植民地主義の歴史学」(三谷博・金泰昌編『東アジア歴史対話 国境と世代を超えて』東京大学出版会、2007)、「国民国家の内と外」(『現代思想』2005、6)、編著として『植民地近代の視座ー朝鮮と日本ー』(岩波書店、2004)等がある。
http://d.hatena.ne.jp/hibi2007/20100626/1277642508

そうですが、ネットで見る限り、韓国でもあくまで少数派的存在みたいですね。

http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/236c58189ca4a910c629c7392958d2af

まあ、これらの方々の動向から「世界的に歴史学のあり方を見直そうという機運が出てきているように感じ」られるかは若干微妙ですが、共同討議の冒頭挨拶としては非常に格調が高くてよいですね。
『網野善彦対談集「日本」をめぐって』においても、成田龍一氏は殆どイヤミの一歩手前くらいのおべんちゃらを駆使して円滑に対談を進行させており、本当に司会者としての才能に恵まれた方ですね。
歴史学界の綾小路きみまろみたいな人、と言ったら誉めすぎでしょうか。
コメント
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人生が二度あれば合唱団

2015-01-21 | 網野善彦の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月21日(水)16時28分23秒

>筆綾丸さん
>「用翳晴術 三十余年 打翻筋斗 地転天旋」
自分で訳す自信がないので検索してみたら、「陰陽術を用いて 30年あまり とんぼ返りをしたり 天地がぐるぐる回ったり」としている方のブログがありました。
ずいぶんと騒々しい、奇妙な遺偈ですね。


66年の人生で二度流罪というのも実に変な話で、建長寺公式サイトでは「叡山僧徒の反抗にあって二回にわたり甲斐に配流されたりした」などと奇麗事を言っていますが、これも流罪の時点での客観的な史料で裏付けられる訳ではありませんから、ま、伝記がまとめられた際の潤色でしょうね。
二度の流罪というと他に日蓮や京極為兼くらいしか思い浮かびませんが、日蓮の場合は筋金入りの強烈な体制批判者ですから幕府も流罪にせざるをえないでしょうし、また、京極為兼の流罪には持明院統・大覚寺統の対立という複雑な背景がありますから、詳しい事情はよく分からないにしても、まあ、不思議ではありません。
しかし、鎌倉中期にはまだ珍しかった中国渡来の超一流文化人で、幕府の最高権力者に密着していた蘭渓道隆が何で二度も流罪になるのか。
「叡山僧徒の反抗」や中国スパイ疑惑説などより、単純に本人が変な人だった、権力者を著しく刺激する奇矯な言動があった、と考える方が素直ではないですかね。


♪人生が二度あれば~ この人生が二度あれば~♪
♪流罪は四度~♪(日蓮)
♪流罪は四度~♪(京極為兼)
♪流罪は四度~♪(蘭渓道隆)


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

盆栽の水 2015/01/19(月) 13:25:14
小太郎卿殿
「京極派盆栽説」、まったく忘れていましたが(というより、あの当時、この説を理解できるほどの知識がなかったのですが)、いま読み返してみると、正鵠を射ているような気がします。

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福岡市の夏を彩る博多祇園山笠では6年前の祭から山笠の男衆を清める「勢(きお)い水」に静岡市の沢水も使う。福岡を結ぶ静岡空港開港を機に始まった交流だが、もともと縁は深い。山笠の起源を作ったとされる鎌倉時代の禅僧、聖一(しょういちこくし)国師の生家は静岡市内。近くの沢でくんだ水を届ける。
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今日の日経新聞35面『時流地流ー祭りが取り持つ縁』に円爾の話がありますが、かなり有名なんですね。
http://www.nishinippon.co.jp/hakata/yamakasa/2009/news/20090613/20090613_0002.shtml
http://www.nishinippon.co.jp/hakata/yamakasa/2009/news/20090716/20090716_0001.shtml
http://www.at-s.com/news/detail/1097914076.html
沢水は栃沢の水、国師の生家(米沢家)は今も続いているとのことで、おどろきました。
コメント
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