投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月15日(火)12時24分9秒
特殊事情の多い地域は斜め読みにしつつも『新ヨーロッパ大全』Ⅰ・Ⅱを一応全部読んでからⅠの冒頭、1992年10月6日付の「日本語版への序文」を読むと、これがなかなか味わい深いですね。
--------
家族制度とイデオロギーの関係についての私の研究の出発点は、共産主義であった。今を去ること十年前のこと、私は突然、本物の共産主義革命が起こった国─ロシア、中国、北ヴェトナム、セルビア─では、伝統的な農民家族が独特の形態を持っていることに気づいた。父親と妻子持ちの息子たちとが同居して巨大な共同体を作るもので、この形態は平等と権威という価値を抱えている。その反面、従弟同士の結婚はきわめて稀である。このような家族型は、西ヨーロッパの中でも共産主義が強固で安定した選挙地盤を確保している、中部イタリア、フィンランド、フランス中央山塊の北西部などの地域の特徴でもあった。そこで私は、この仮説の妥当性を検証するために、世界中の家族型を分類整理してみた。そして、この「共同体的」家族型が存在することが、強力な共産主義運動の発展にとって必要条件の一つとなっていることを、実際に確認したのである。このような家族型が存在しないところ─二、三の例のみを挙げるなら、イングランド、ドイツ、日本、タイ─では、近代化の過程(識字化、都市化、工業化を含む)が有力な共産主義の出現を引き起こすことはなかった。これらの国で伝統的な農村生活を支配していたのは、別の家族制度であった。その結果、一つ一つの家族型にそれぞれ特有のイデオロギー構造の型が対応すると、考えられるに至ったのである。
-------
「本物の共産主義革命が起こった国」には北朝鮮が列挙されていませんが、1992年の時点では北朝鮮ではまだ金日成(1912-94)が存命中で、共産主義国で指導者の世襲制というマルクスもレーニンもびっくり仰天の事態は未だ生じていませんね。
さて、トッドの発想がマルクス主義者、ないしゾンビ・マルクス主義者の多い日本の歴史研究者の世界に受け入れられなかったのは当たり前ですが、フランスでも決して好意的に迎えられた訳ではなかったそうです。
------
私はこの研究の最初の成果を、一九八三年に『第三の惑星─家族構造とイデオロギー・システム』によってフランスで公にしたが、発表されるや、それはスキャンダルを巻き起こした。当時、私に対してなされた主要な非難は、私の「人類学的モデル」は、家族制度という下部構造とイデオロギーという上部構造を機械的に結びつける決定論である、というものであった。フランス知識人界は当時、マルクス主義の決定論を始末したところだったので、折角、階級への所属によって行動が決定されるという説から身を振り解いたのに、今度は家族的伝統によって行動が決定されるとする説に落ち込んでしまうという、一つの決定論から別の決定論に飛び移るが如きことは、多くの者にとっては言語道断なことと映ったのである。【中略】
このような結論は人間の自由の概念にとって絶望的なものであると主張した者がいるが、果してそうだろうか。私はそう思わない。その理由はまず、人類学的仮説が示唆するのは単に次のようなことにすぎないからである。すなわち、伝統的な家族的基底は当該地域の住民の多くの部分がこれこれのイデオロギー的価値体系を受け入れるための素因をなす、したがって、共同体的家族の伝統が強い国では、共産主義制度に好意的な住民の比率が高くなる、ということである。この仮説は、住民の多数が社会の共産主義的組織化に賛成であったとは言っていない。世界中のいかなる国においても、複数政党制の自由な選挙が行われた場合、共産党に絶対多数の票が投じられたという例はこれまで一度もなかった。人類学的基底のせいで住民の三〇%から四五%がマルクス主義イデオロギーに傾いた国で、共産主義イデオロギーの信奉者たちの卓越した組織能力が、クー・デタによって自分たちの勝利を確実なものにした、というのが実態である。
-------
そして「共産主義イデオロギーの信奉者たちの卓越した組織能力」は、いったん勝利を確実にすると、その勝利を決して手放さず、暴力を背景にして少数者の支配を断固として継続した訳ですね。
ま、そこまではトッドは書いていませんが。
>筆綾丸さん
>L'origine des systèmes familiaux(家族システムの起源)
フランスでは2011年の刊行だそうですから、万事手際の良い藤原書店にしては翻訳がちょっと遅いですね。
私も楽しみにしています。
『トッド 自身を語る』
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
神の資格? 2016/03/14(月) 15:19:46
小太郎さん
L'origine des systèmes familiaux(家族システムの起源)の翻訳刊行は2016年春とのことなので、もうまもなくですが、人類学的基底の起源の解明という大著のようですね。トッドの思想をどこまで理解できるか、自信はありませんが、満開の桜の木の下で読んでみたい本です。
「天才」と「神」のこれまでの4局の対決は、すべて、囲碁の平均的な手数200手前後の「中押し勝ち」となっています。(将棋の場合の平均手数は110手前後です)1~3局は、天才が、負けました、と投了したのですが、4局目はアルファ碁が、負けました、という意思表示をしたのではなく、アルファ碁側の責任者が代理人として、負けました、と意思を表明して終わったはずです。
アルファ碁が自分の負けも認識できたとすれば、おそらく180手まで行かず、もっと早い段階で投了したかもしれません。つまり、アルファ碁自身には、自分が負けた、という自己認識はおそらくなく、ということは、自分が勝った、という自己認識もおそらくないはずだと思われます。そんなことは、アルファ碁の内面(精神?)の問題だから、ほんとは窺い知れないのですが。
神は人間の幸不幸に歴史上まったく無関心でありつづけたので、今回も、人間との勝ち負けにはまったく無関心だという意味において、アルファ碁には神になれる必要十分な資格がありそうだ、という気がします。ただ、それもまた、神の内面(精神?)の問題だから、ほんとはよくわからないのですが。
https://en.wikipedia.org/wiki/Demis_Hassabis
「ディープマインド」のデミス・ハサビスは早熟の混血児なんですね。
------------------
He is of Greek Cypriot and Singaporean descent.
------------------
小太郎さん
L'origine des systèmes familiaux(家族システムの起源)の翻訳刊行は2016年春とのことなので、もうまもなくですが、人類学的基底の起源の解明という大著のようですね。トッドの思想をどこまで理解できるか、自信はありませんが、満開の桜の木の下で読んでみたい本です。
「天才」と「神」のこれまでの4局の対決は、すべて、囲碁の平均的な手数200手前後の「中押し勝ち」となっています。(将棋の場合の平均手数は110手前後です)1~3局は、天才が、負けました、と投了したのですが、4局目はアルファ碁が、負けました、という意思表示をしたのではなく、アルファ碁側の責任者が代理人として、負けました、と意思を表明して終わったはずです。
アルファ碁が自分の負けも認識できたとすれば、おそらく180手まで行かず、もっと早い段階で投了したかもしれません。つまり、アルファ碁自身には、自分が負けた、という自己認識はおそらくなく、ということは、自分が勝った、という自己認識もおそらくないはずだと思われます。そんなことは、アルファ碁の内面(精神?)の問題だから、ほんとは窺い知れないのですが。
神は人間の幸不幸に歴史上まったく無関心でありつづけたので、今回も、人間との勝ち負けにはまったく無関心だという意味において、アルファ碁には神になれる必要十分な資格がありそうだ、という気がします。ただ、それもまた、神の内面(精神?)の問題だから、ほんとはよくわからないのですが。
https://en.wikipedia.org/wiki/Demis_Hassabis
「ディープマインド」のデミス・ハサビスは早熟の混血児なんですね。
------------------
He is of Greek Cypriot and Singaporean descent.
------------------