投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月21日(月)11時12分51秒
>筆綾丸さん
いえいえ。
私も人類学の知識は乏しく、社会学は殆ど何も知らないに等しいので、トッドの用語が一般的なものなのか、それともトッド独自のものなのかが分からないまま読んでいたのですが、筆綾丸さんの疑問をきっかけに一応の整理ができて助かりました。
『世界の多様性』と並行して『移民の運命─同化か隔離か』(石崎晴己・東松秀雄訳、藤原書店、1899)を読み始めましたが、「第一章 普遍主義と差異主義─心的構造における対称性と無対称性」において、トッドは日本について次のように言っています。(p44以下)
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(3) 日本の民族〔エトニー〕的帰属の理論は、差異主義的論理に属する底のものであるが、この差異主義的論理が島国という特徴によってさらに強化されている。この島国性の故に、民族的に純粋であるという概念の「もっともらしさ」が増大し、その結果、民族〔ナシヨン〕としてのアイデンティティーとは完全に血統に基づくものだとする考え方の発達が促進された。十九世紀末と二十世紀前半に日本の近代化に随伴した民族主義的理論において、日本は人種的に同質的で、他のあらゆる民族と異なる民族=家族になる。「天照大神の願いにより、日本は時の始まりから終わりまで唯一の帝系のみを持つのでなければならない。皇帝は打倒されてはならず、家系は途絶えてはならない。国民は国家=家族を中心に融合し、一つの共通の意志にならねばならず、孝心と忠誠の理想を中心として一つにならなければならない。この構造は日本独自のものであり、世界に無比のものである。これによって日本は神々に慈しまれる国となっている。他の諸国では、<国体>の不在の故に、危機や革命、退廃期や国家疑問視の局面が、したがって革命的イデオロギーが産み出される。これら革命的イデオロギーは、日本については常軌を逸した誤りとなるであろう」(4)。したがって日本的人間とは、普遍的人間のいくつもの形態の中の一つであるというわけには行かない。そして、日本性とは遺産として相続したものなのだから、どんな人間も日本人になれるわけではない。日本の場合も、ドイツの場合と同様、一九〇〇年から一九四五年までの、ヒステリックと言いたくなるような明示的差異主義が崩壊したことは、暗黙の差異主義の消滅を意味しない。それはより深い人類学的な態度の中に固着しているのである。
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最初の<差異主義的論理に属する「底」のもの>は、あるいは「体」の誤変換でしょうか。
ま、それはともかく、注(4)が付された比較的長めの引用部分、古臭い文献をマルクス主義系の学者が要約したような感じを受けますが、「原註」(4)を見ると(p611)、
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4) M.Ferro により Comment on raconte l'histoire aux enfants, Paris, Payot, 1981,p.244-245〔『新しい世界史』、1985年、新評論〕において引用された歴史書。国体は(日本の民族的本質)と訳すことができる。1880年代までは各国にはそれぞれ固有の国体が存在した。それ以降は国体という言葉は日本だけに適用されることになる。この点に関しては K.van Wolferen, L'énigme de la puissance japonaise, Paris, Robert Laffont, 1990, p.288-294 を参照。
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となっていて、当該引用部分は子供の教科書に「引用された歴史書」からの孫引きのようですが、具体的にその「引用された歴史書」が何かは分かりません。
ま、翻訳された新評論の『新しい世界史』を見ればもう少し情報が得られるでしょうが、ちょっと妙な書き方ですね。
さて、トッドの上記見解に対しては、これで正しいと思う人もいるでしょうし、不正確でけしからんと思う人もいるでしょうし、若干の左翼的色彩が気になるものの、まあ、こんな風に要約されても仕方ないのかな、と思う人もいると思います。
そのあたりは人それぞれでしょうが、ただ、単独ではこれで正しいと思う人でも、トッドが引用部分の直前で「差異主義」の代表格としてドイツを挙げ、その次にドイツと同格の存在として日本を挙げているのを見ると、若干落ち着かない気持ちになるかもしれません。
「われこそは他の者には模倣できっこない唯一無比の本質を持つと主張し、人間の等価性と諸国民の融合という観念そのものに敵意を示す、そういう人間集団」(p42)として、日本はドイツと同格なのか、という問題ですね。
『移民の運命─同化か隔離か』
http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=403
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
小太郎さん
https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Guillaume_Fr%C3%A9d%C3%A9ric_le_Play
ご丁寧にありがとうございます。
ピエール・ギョーム・フレデリック・ル=プレは、ナポレオン三世に高く買われ、上院議員も歴任しているのですね。いかにもフランスの頑固親爺といった風貌ですが、美青年の面影があります。晩年は悩んでカトリックに改宗したのですね。ル=プレの像が上院所在のリュクサンブール公園内にあるくらいですから、歴史上、著名な人物なんですね。
仏語のウィキに、
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・・・le système d'héritage préciputaire qu'il a étudié dans les Pyrénées et nommé famille souche.(ピレネー地方における優先的な相続制度を研究し、これを famille souche と名付けた)とあり、héritage préciputaire が長子相続を指しているようですね。辞書を引くと、préciputは民法用語で、相続における先取分を意味する、とあります。souche はポリテク出身で冶金学の教授らしい命名といえるのでしょうね。
À partir des années 1990 les travaux de Le Play ont été particulièrement popularisés par l'historien et démographe Emmanuel Todd.(1990年代以降、ル=プレの業績は歴史人口学者エマニュエル・トッドにより特に知られるようになった)ともありますね。