学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「起源的母系制」は幻想

2016-03-16 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月16日(水)11時24分42秒

>筆綾丸さん
『トッド 自身を語る』の末尾に石崎晴己氏の『解説」が載っていて、そこに『家族システムの起源』の紹介があるので、少し引用してみます。(p187以下)

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 本書の概要を余すところなくここで示すことは、不可能であるが、この際、本書に見られる卓見とも言うべきいくつかの着想を、紹介しておきたい。最も重要なのは、「起源的母系制」を幻想として退けたことであろう。これは、かの有名なバッハオーフェンが定着させた、太古の昔には「母権制」が支配的であったとの概念であるが、これの淵源は古代ギリシャ人にある。トッドによれば、太古の家族システムは、父系と母系の一方に固定しない無差別性を特徴とし、女性のステータスは男性のそれに劣らず高かったが、強固な父系制で、女性蔑視的であった古代ギリシャ人の目には、それは女性が優越的な力を揮う母系制ないし母権制と映ったのである。その古典古代のギリシャ人の残した民族誌資料にそのまま依拠して、バッハオーフェンは、その論を展開したのであり、それは幻想にすぎない、という。それはエンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』の「第四版の序文」で生き生きと紹介されて以来、われわれにも馴染みのものとなった概念であるだけに、トッドの主張の衝撃力の強さが実感できるのではないか。
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トッドは「起源的インド・ヨーロッパ語族の父系制」も幻想と断じているのだそうで、これも面白そうですね。
トッドシリーズに限らず、藤原書店は非常に良い本を沢山出していて、出版社の格としては既に岩魚目書店を超えているような感じがします。
岩魚目書店は今でも学問的レベルが高い書物を継続して出していますが、一方であまりに政治色が強くなりすぎて、特に反原発関係は政治と科学を混同したものを量産していますから、平均点がずいぶん下がっていますね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神の資格? 2016/03/14(月) 15:19:46
小太郎さん
L'origine des systèmes familiaux(家族システムの起源)の翻訳刊行は2016年春とのことなので、もうまもなくですが、人類学的基底の起源の解明という大著のようですね。トッドの思想をどこまで理解できるか、自信はありませんが、満開の桜の木の下で読んでみたい本です。

「天才」と「神」のこれまでの4局の対決は、すべて、囲碁の平均的な手数200手前後の「中押し勝ち」となっています。(将棋の場合の平均手数は110手前後です)1~3局は、天才が、負けました、と投了したのですが、4局目はアルファ碁が、負けました、という意思表示をしたのではなく、アルファ碁側の責任者が代理人として、負けました、と意思を表明して終わったはずです。
アルファ碁が自分の負けも認識できたとすれば、おそらく180手まで行かず、もっと早い段階で投了したかもしれません。つまり、アルファ碁自身には、自分が負けた、という自己認識はおそらくなく、ということは、自分が勝った、という自己認識もおそらくないはずだと思われます。そんなことは、アルファ碁の内面(精神?)の問題だから、ほんとは窺い知れないのですが。
神は人間の幸不幸に歴史上まったく無関心でありつづけたので、今回も、人間との勝ち負けにはまったく無関心だという意味において、アルファ碁には神になれる必要十分な資格がありそうだ、という気がします。ただ、それもまた、神の内面(精神?)の問題だから、ほんとはよくわからないのですが。

https://en.wikipedia.org/wiki/Demis_Hassabis
「ディープマインド」のデミス・ハサビスは早熟の混血児なんですね。
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He is of Greek Cypriot and Singaporean descent.
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コメント
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「父は、歴史を理解することなく、地球をくまなく歩き回った人間」

2016-03-16 | グローバル神道の夢物語
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月16日(水)10時48分18秒

『トッド 自身を語る』(藤原書店、2015)をパラパラと眺めてみましたが、トッドの母方の祖父がポール・ニザンで、父は著名なジャーナリストだそうですね。
父親に付された注に、

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トッドの父、オリヴィエ・トッド Olivier Todd は、一九二九年生まれ。作家、批評家、ジャーナリスト。サルトルの『レ・タン・モデルヌ』に協力しつつ、週刊誌『ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール』の創刊に参画。アンドレ・マルローやカミュの浩瀚な伝記などを上梓。後者は、毎日新聞社から『アルベール・カミュ<ある一生>』として和訳が刊行されている。なお、妻は、ポール・ニザンの娘、アンヌ=マリィ。したがってエマニュエル・トッドは、女系でのポール・ニザンの孫に当たる。
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とあります。(p21)
エマニュエル・トッドは父親に少々辛くて、

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私は非常に優秀なジャーナリストの息子で、父とは大いに議論しました。当時は父との関係は非常に近かったのです。父はヴェトナム、ビアフラ、エチオピアなど、いろいろなところに行き、非常に素晴らしいルポルタージュを書いています。しかしそれにも拘らず、私に言わせると、父は、歴史を理解することなく、地球をくまなく歩き回った人間ということになります。
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と言っていますが(p80)、その後が面白いですね。

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他にもそういう息子は大勢いるでしょうが、息子としての私は父との関連の中で、もちろん父の援助を得ながら、しかし父がすることに反対しながら、自己形成を行ったのです。要するに私にとって、歴史的現実は目に見えません。基本的に私にとって、本質的なるものは別のところにあります。「目に見える」ものではないもの、統計上の変数を利用する必要があるのです。乳児死亡率は、目に見えません。【中略】自殺率は目に見えませんし、識字率も見えません。私はこれまでつねに自分を歴史家と定義して来ました。そして歴史家であるというのは、復元された社会モデルについて仕事をするということです。それは目に見えず、感覚的な経験を持ち得ないものです。
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人類学者でもあるトッドは、しかし、今まで一度もフィールドワークをしたことがなかったそうですが、唯一の例外が津波被災後の東北地方沿岸部訪問で、2011年8月上旬に岩手県大槌町から福島県南相馬市まで、主要被災地を見て回ったそうです。
その様子は案内人兼通訳のジャーナリスト三神真理子氏との対談に記されていますが、まあ、正直言って同時期に同じ場所を見ている私には賛成できない点も多く、少ない観察から結論を急ぎすぎているような印象を受けました。
やはりトッドはジャーナリスト的資質には乏しく、「目に見えない」ものを見出す点に特別な才能がある人なのでしょうね。
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