学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

直系家族と一神教(その1)

2016-03-26 | グローバル神道の夢物語

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 3月26日(土)10時36分7秒

『移民の運命』の「第二章 アメリカにおける差異主義と民主主義」「第三章 合衆国における白人諸民族の同化」「第四章 合衆国における黒人の隔離」などを読むと、今まで憲法や英米法を学んでも謎が多かった米国憲法史が非常にクリアーに理解できるようになり、トッドは本当に優秀な人だなと改めて思います。
しかし、日本に関係する箇所は納得できない部分も多いですね。
以前の投稿で、トッドの日本仏教の理解は「浄土真宗史観」ではないかと書きましたが、『移民の運命』ではそれがより鮮明になっています。
「第七章 直系家族型システム─差異の知覚と単一性の夢」から少し引用してみます。(p198以下)

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単一性対差異─直系家族と一神教

 直系家族型の家族構造の存在は、唯一の神の存在と全能を主張する一神教的宗教流派の出現を促すもののようである。その場合、その宗派の出現の前提となる神学的枠組みがどのようなものであるかは無関係であって、古代の多神教だろうとヒンズー教だろうと仏教だろうと構わない。直系家族型の人類学世界においては、父親の強烈なイメージが超越的な権威の無意識の表象を培う。そえは兄弟と人間の不平等から発する人間の細分化の原理と対立するものである。とはいえ不平等原理は宗教の面でも作用するのであって、選びの観念、一部の人間は選び取られ、他の人間は劫罰を受けるという考えが出てくるのは、不平等原理からである。
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トッドになじみのない人は「決定論」ではないかと戸惑うかもしれませんが、ま、ここまでは一般論なので、その内容の是非には触れません。
さて、上記部分に続けて、トッドは「直系家族型の人類学的環境の中で一神教と特定の民が選ばれるという考えとを組み合わせた宗教が出現する最初の例は、古代ユダヤ教に他ならない」として古代ユダヤ教を論じた後、「唯一神の存在を主張するシーク教は、直系家族に由来する一神教の出現の第二の際立った例である」として、シーク教についての若干の説明を行います。
そして、その後、次のように論じます。

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 もっとも証明力を発揮する例は、日本仏教の歴史的変遷の例である。十二世紀から十六世紀までの間に、キリスト教から遠く隔たった地で、輪廻転生の原理と自然現象に由来する複数の神の存在を受け入れた社会の中に、ドイツ・プロテスタント教と驚くほど類似した考え方を見せる一神教的宗派の教義が出現し、ついでその宗派が社会的に勢力伸張を果たしたという事実を観測することができる。法然(一一三三年~一二一二年)、次いで親鸞(一一七三年~一二六二年)による布教は教義の形成の第一段階をなす。反復的で循環的な無数の仏のイメージの中から、唯一の救い主、阿弥陀の姿が浮かび上がって来る。その慈悲のみが人間を浄土へといたらせることができるのである。この浄土こそ、この極東にあってキリスト教の天国に極めて近い観念に他ならない。
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ここでいったん切ります。

「日本の仏教が厳密な一神教を目指してきた」への疑問
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5c3ed8485bffce778402ce5c37894a24

コメント
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