学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

ラインホールド・ニーバーが浅薄?

2017-04-14 | 深井智朗『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 4月14日(金)13時03分26秒

ドイツからは暫く離れようと思って、深井智朗氏の著作もまとめて図書館に返却する準備をしていたのですが、その前に何気なく『パウル・ティリヒ「多く赦された者」の神学』(岩波現代全書、2016)を眺めていたら、深井氏がラインホールド・ニーバーについて、

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 このような自己演出を真に受けてティリヒの思想を紹介したのは、ユニオン神学校の同僚であったラインホールド・ニーバーで、彼は次のようにティリヒを紹介した。「ティリヒの偉大さは、形而上学と神学との境界領域を探求したことにある。この『綱渡り』にも似た困難な作業は、平衡を失って、どちらかの側に墜落するという危険なしには、遂行できないものである。バルトは自分の平衡能力に自信が持てないために、綱に近付くことを拒否しているが、ティリヒは非常な熟練をもってそれを成し遂げた。ただ時々そこから落ちていないわけではない。そうした失敗は、自分ではこの種の作業をする才能をまったく有しない平凡な歩行者には気になることかもしれない」(Niebuhr 1952:226)。
 しかし、もしニーバーが本気でティリヒがこのような意味での境界線上で仕事をしていたと考えているのであれば、彼の人間論はますます浅薄な議論に見えてくる。ティリヒはニーバーが言うような意味で境界線上で仕事をする決意などしていない。【後略】
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と言っているのを見つけ(p258)、ちょっと妙な感じがしました。
深井氏は大木英夫氏とともにニーバーの「The Irony of American History」を翻訳されていて(『アメリカ史のアイロニー』、聖学院大学出版会、2002)、私は単純に非常に優れた本だなと思ったのですが、「彼の人間論はますます浅薄な議論に見えてくる」と述べる深井氏は、仮にニーバーのティリヒに対する誤解がなかったとしても、ニーバーの人間論を「浅薄な議論」と考えているようですね。
パウル・ティリヒは聴衆に深い感動を与える天才的な説教師としての社会的活動の裏で、常に複数の愛人を持ち、酒乱で、高級ワインとSM趣味に湯水のように金を注ぎ込んだ人格破綻者ですから、まあ一種の詐欺師のようなもので、ニーバーが若干の誤解をしたことはやむを得ない感じがしますが、ニーバーの人間論自体がおよそ「浅薄な議論」だなどとは私にはとうてい思えず、そのように感じるのであれば、むしろ深井氏の方が「浅薄な人間」なのではないかと思われるほどです。
少し検討してみるつもりです。

Reinhold Niebuhr(1892-1971)

>筆綾丸さん
>長野県飯山市
私も知りませんでしたが、飯山は経済産業大臣の「伝統的工芸品産地指定」を受けた15仏壇産地の一角を占めているそうです。
仏壇産地はやはり浄土真宗の強い土地が多いようですね。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Oh my Buddha ! 2017/04/13(木) 15:33:23
小太郎さん
BBCの記事には、
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The first explosion in Tanta, 95km (60 miles) north of Cairo, took place near the altar of the church.
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タンタのコプト教会の爆発は祭壇近くで起きた、とあります。(some people had half of their bodies missing という惨状は、見たくないですね)

https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/japanologyplus/program-20170404.html
バラカンさんの「Japanology plus」は、録画でよく見ますが、前回は仏壇がテーマでした。
長野県飯山市は仏壇製造で有名だそうですが(初めて知りました)、Buddhist Altars として紹介されていました。キリスト教圏では altar は教会にしかないので、神社の altar はともかくとして、仏閣のほかに各家庭に altar が存在するというのは、かなり奇異な印象を与えるのだろうな、と思いました。複数形 Altars は、そんな事情を暗示しているのかもしれません。
(放送にはありませんが、解説文には神棚への言及もありますね。壇と棚の相違は難しいらしく、説明はありません。また、仏壇のはしりのひとつは法隆寺の玉虫厨子だ、とありますが、うーむ、そうなのか・・・)
バラカンさんが、細工師の繊細な作業をみて、Oh my Buddha とは言わずに(当たり前ですが)、Oh my God と感嘆の声を上げたときは、思わず笑ってしまいました。
NHKの番組は、日本人向けのものは低俗なものが多いのですが、外国人向けのものには時々優れたものがあって、日本人にはこの程度でいいんじゃないの、とNHKは考えているのかもしれず、それはそれで、中らずと雖も遠からず、と言ったところなのかもしれません。

コメント
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