学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『続史愚抄』弘安九年(1286)(その1)

2020-03-02 | 『増鏡』の作者と成立年代(2020)
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 3月 2日(月)11時40分58秒

それでは弘安九年(1286)に入ります。
まず、年頭の諸行事ですが、前年と比べるとかなり異なる記述になっていますね。
正月1日は最初に、

四方拝。供御薬。奉行蔵人兵部権大輔顕世。
本院四方拝。供御薬。公卿四条前大納言〈房名。陪膳〉已下五人参仕。無馬牛御覧。有千秋万歳。
新院供御薬。公卿儀同三司〈基具。陪膳。〉以下六人参仕。次覧馬牛及千秋万歳。
皇后宮〈富小路殿。二棟本院宮〉供御薬。次春宮〈座同殿〉供御薬。後取顕範朝臣。奉行坊蔵人左衛門尉藤原説春。

とあって、「供御薬儀」が天皇(後宇多)・本院(後深草)・新院(亀山)・皇后宮(姈子内親王)・春宮(熈仁親王、伏見天皇)の順に記されます。
皇后宮は後深草院と同じ富小路殿にいて、春宮と一緒に「供御薬儀」に臨んでいるようですね。
ついで、

関白〈冬平〉家拝礼。公卿息太政大臣〈基忠。前関白。〉以下殿上人等列立歟。
次新院万里小路殿拝礼。公卿太政大臣〈基忠。〉已下十九人。殿上人蔵人頭宮内卿経頼朝臣已下十九人参列。申次花山院中納言〈家教。院司。〉
次本院富小路殿〈角殿。西庭云。〉拝礼。公卿太政大臣〈基忠。〉已下廿一人。殿上人左中弁為方朝臣已下十二人参仕。申次左衛門督。〈公衡。院司。〉
次小朝拝。公卿関白。〈冬平。〉太政大臣〈基忠。〉已下。殿上人某已下参列。節会。内弁右大将。〈通基〉

という具合に、関白・亀山院・後深草院の順に拝礼の儀が記され、最後は「小朝拝」、すなわち天皇への拝礼です。
2日は、

供御薬。本院供御薬。公卿儀同三司〈基具。陪膳。〉已下八人参仕。新院供御薬。次皇后宮供御薬。次春宮供御薬。後取前豊前守憲説。

とあって、「供御薬儀」が前日同様、天皇・後深草院・亀山院・皇后宮・春宮の順に記されます。
儀同三司・堀川基具は1日は亀山院、2日は後深草院の陪膳ですね。

3日は、

供御薬。本院供御薬。公卿四条前大納言〈房名。陪膳〉已下五人参仕。新院供御薬。皇后宮供御薬。春宮供御薬。後取蔵人藤原説春。

とあって、「供御薬儀」が1日・2日と同様、天皇・後深草院・亀山院・皇后宮・春宮の順に記されます。
比較のために前年(弘安八年)を見ると、全体に記述が簡略で、

1日
四方拝。奉行蔵人兵部権大輔仲兼。供御薬。春宮供御薬於富小路殿。関白〈兼平〉家拝礼。新院拝礼。〈本院亦有之歟。〉小朝拝。節会。
2日
供御薬。春宮供御薬。
3日
供御薬。春宮供御薬。

とあるだけです。(典拠略)
「供御薬儀」については天皇と春宮について記されているだけですね。
史料の関係もあるので安易に比較はできませんが、皇后宮(姈子内親王)が相当に重要な存在として位置づけられていることは明らかだと思います。
「尊称皇后」というのは現代の歴史研究者が用いている講学上の用語ですが、少なくとも姈子内親王の場合、単に名目上尊重しているだけではなく、それなりの実体がありそうですね。
コメント
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