投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 8月28日(土)09時05分26秒
私は過去一年間かけて『太平記』に関係する様々な問題点を一つずつ検討してきており、それを踏まえて、一応の纏めを行ないたいと思っています。
そのような段階なので、まことに申し訳ありませんが、今は自分の課題に集中したく、この掲示板で、初歩的な誤解を含む勝陽軍鑑さんの多数の疑問やご意見に一つ一つ対応する余裕がありません。
なお、勝陽軍鑑さんがネット上にご自身の拠点を持たれたなら、それを前提に、話題を絞った上でツイッター等でやり取りすることは可能です。
追記:初歩的な誤解とは、例えば「現在歴史学者の間で論争になっていると思われる、「護良が征夷大将軍を要求した」という事」とありますが、そんなことは全然論争になっておらず、私がつい最近、信貴山に立て籠もった護良が征夷大将軍を要求したという話は『太平記』の創作ではないか、と言い始めただけです。
超絶単独説で、専門的研究者の世界には何の影響も与えていません。
※勝陽軍鑑さんの下記投稿へのレスです。
太平記の評価 2021/08/28(土) 01:00:59
申し訳ありません。投稿を止めようと決心したのですがまた書いてしましました。
勝陽軍鑑は素人ながら歴史学者を馬鹿にしており、特に呉座氏の態度は嫌いで今回の一件についてはざまを見ろとほくそ笑んでいる状況です。
その中で小太郎さんのブログを見て、太平記の評価を除いては共感できることが多く、勝手に信用できると思い込んだ次第です。
私は技術士なので、工学系です。技術士と博士の違いは、全体を俯瞰するのが技術士で、あくまで細部にこだわるのが博士です。
例えば家を建てる時に、安く住みやすい良い家を作ろうとするのが技術士で高度な技術は求めません。博士は幾ら価格が高くても強度のある材料を作り出すのを目的としており、それが評価されます。今の歴史学会は細かい事に拘る専門家ばかりで、全体を俯瞰できる存在が無いと思われるのです。歴史学の意味とは何でしょうか
歴史学の使命は。その歴史を後世に役立てる事であり、その為には歴史家が拘る1月1日が2日であっても問題は無いと考えます。
500~300までしかブログを読んでいませんが、小太郎さんは信用し尊敬できると思いました。それで投稿しました。
小太郎さんに分かって頂きたいのは、太平記は歴史書などとは一言も書いていません。仏教の啓蒙書であり、天の徳と地の道が乱れているので、南北朝の混乱になったので、後の人間はこれを参考に良い世にしろと言っているのです。
佐藤進一氏と、網野善彦氏は南北朝の混乱を後醍醐の資質に求めました。その強権と支離滅裂を指摘したのです。現代に置き換えると米元大統領や日本A首相やS首相です。強権を使用して官僚を委縮させ、支離滅裂な指示で世間を混乱に陥れます。天の徳が無いのです。一方で官僚は文章の改竄や処分、国会での偽証などを繰り返します。地の道が無いのです。
後醍醐の時代は、更に酷く西園寺や護良など理由もなく殺したり処分したりしています。この様な時代に官僚である公家達は、正確な記録を残すはずが有りません。後醍醐の命令に従い都合よく書き換えるのです。南北朝の資料が少ないのはその為で、残った物も信用できなと考えます。
歴史家はこれを明らかにして、現代の世に参考のできる様にするべきです。
「尊氏と後醍醐の仲が良かった」とする歴史学者は尊氏の追悼文を証拠にしますが、追悼文で馬鹿だ間抜けだと書く筈が無く、資料として用いる方が馬鹿だと思います。
太平記の目的を理解せず馬鹿にして、その一方で歴史を語る上で太平記に一言でも触れないで自説を語っている歴史学者を知りません。小太郎さんがどこかで触れられていましたが、「誰でも良いので太平記を用いずに南北朝史を纏めてみろ」という思いです。
太平記を非難するのであれば、無視して他の資料だけで自説を構築すれば良いのであり、適当に使い、引用するのは間違っていると思います。太平記を尊重すれば、現在歴史学者の間で論争になっていると思われる、「護良が征夷大将軍を要求した」という事にはなりません。太平記では護良が天皇の位又は春宮を要求しているのは一目瞭然です。これは岡見正雄が根拠を示さずに勝手に征夷大将軍とした事が悪いと考えます。
長くなりましたが、小太郎さんには太平記を否定するなら参照しないでほしいという事です。適当に参照して自論を組み立て、その上で太平記は下らないと言うのはおかしいと思います。
これは論争を仕掛けたいとか、この掲示板を潰そうと言うのではありません。歴史研究に身を置かない私は、傷つかない立場であり、しかも匿名なので絶対的に有利な立場です。
ただ、小太郎さんに理解していただきたいだけです。
ご理解を頂ければ幸いです。勝手ながらよろしくお願い致します。
申し訳ありません。投稿を止めようと決心したのですがまた書いてしましました。
勝陽軍鑑は素人ながら歴史学者を馬鹿にしており、特に呉座氏の態度は嫌いで今回の一件についてはざまを見ろとほくそ笑んでいる状況です。
その中で小太郎さんのブログを見て、太平記の評価を除いては共感できることが多く、勝手に信用できると思い込んだ次第です。
私は技術士なので、工学系です。技術士と博士の違いは、全体を俯瞰するのが技術士で、あくまで細部にこだわるのが博士です。
例えば家を建てる時に、安く住みやすい良い家を作ろうとするのが技術士で高度な技術は求めません。博士は幾ら価格が高くても強度のある材料を作り出すのを目的としており、それが評価されます。今の歴史学会は細かい事に拘る専門家ばかりで、全体を俯瞰できる存在が無いと思われるのです。歴史学の意味とは何でしょうか
歴史学の使命は。その歴史を後世に役立てる事であり、その為には歴史家が拘る1月1日が2日であっても問題は無いと考えます。
500~300までしかブログを読んでいませんが、小太郎さんは信用し尊敬できると思いました。それで投稿しました。
小太郎さんに分かって頂きたいのは、太平記は歴史書などとは一言も書いていません。仏教の啓蒙書であり、天の徳と地の道が乱れているので、南北朝の混乱になったので、後の人間はこれを参考に良い世にしろと言っているのです。
佐藤進一氏と、網野善彦氏は南北朝の混乱を後醍醐の資質に求めました。その強権と支離滅裂を指摘したのです。現代に置き換えると米元大統領や日本A首相やS首相です。強権を使用して官僚を委縮させ、支離滅裂な指示で世間を混乱に陥れます。天の徳が無いのです。一方で官僚は文章の改竄や処分、国会での偽証などを繰り返します。地の道が無いのです。
後醍醐の時代は、更に酷く西園寺や護良など理由もなく殺したり処分したりしています。この様な時代に官僚である公家達は、正確な記録を残すはずが有りません。後醍醐の命令に従い都合よく書き換えるのです。南北朝の資料が少ないのはその為で、残った物も信用できなと考えます。
歴史家はこれを明らかにして、現代の世に参考のできる様にするべきです。
「尊氏と後醍醐の仲が良かった」とする歴史学者は尊氏の追悼文を証拠にしますが、追悼文で馬鹿だ間抜けだと書く筈が無く、資料として用いる方が馬鹿だと思います。
太平記の目的を理解せず馬鹿にして、その一方で歴史を語る上で太平記に一言でも触れないで自説を語っている歴史学者を知りません。小太郎さんがどこかで触れられていましたが、「誰でも良いので太平記を用いずに南北朝史を纏めてみろ」という思いです。
太平記を非難するのであれば、無視して他の資料だけで自説を構築すれば良いのであり、適当に使い、引用するのは間違っていると思います。太平記を尊重すれば、現在歴史学者の間で論争になっていると思われる、「護良が征夷大将軍を要求した」という事にはなりません。太平記では護良が天皇の位又は春宮を要求しているのは一目瞭然です。これは岡見正雄が根拠を示さずに勝手に征夷大将軍とした事が悪いと考えます。
長くなりましたが、小太郎さんには太平記を否定するなら参照しないでほしいという事です。適当に参照して自論を組み立て、その上で太平記は下らないと言うのはおかしいと思います。
これは論争を仕掛けたいとか、この掲示板を潰そうと言うのではありません。歴史研究に身を置かない私は、傷つかない立場であり、しかも匿名なので絶対的に有利な立場です。
ただ、小太郎さんに理解していただきたいだけです。
ご理解を頂ければ幸いです。勝手ながらよろしくお願い致します。