投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 8月 7日(木)21時39分50秒
>筆綾丸さん
五郎兵衛新田といえば学習院大学の大石慎三郎氏(1923-2004)のお名前を連想する人も多いでしょうね。
検索してみたら、高埜利彦氏の「大石慎三郎先生の思い出」というエッセイの冒頭に五郎兵衛新田が登場していました。(PDF)
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愛媛県生まれの大石先生を、私はずっと信州のお生まれであると思っていた。国史学科の学生であった私が、日本近世史の勉強を志すようになった頃、研究室に配架されていた大石先生の著書を手に取り、表紙をめくると、そこには信州佐久郡五郎兵衛新田村の農業用水の配水の順番を記した絵図のような人名図の写真が掲載されていた。17世紀の初頭に市川五郎兵衛という旧領主が出資しておよそ20㎞の用水路を開墾してできた村落の五郎兵衛新田にとって、農業用水とその配水の順番の持つ意味は特に重要であった。だからこそ大石先生も著書の巻頭にそのめずらしい配水順の図の写真を掲載していたのであろう。未熟な学生であった私には、その著作である『封建的土地所有の解体過程』(御茶の水書房、1958年刊)の論文の本体よりも巻頭の写真にばかり強い印象を残すことになった。
先に引用した市河三喜の「父を語る」、続きの部分も載せておきます。
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われわれの先祖はこの分家で塩沢の出である─ この辺沢のつく地名が多い。寛斎の祖父は寛斎と同じく通称を小左衛門と称し、その墓は下仁田の清泉寺にあって先年親しく展墓の機会を得た。その子、即ち寛斎の父が蘭臺で細井廣澤に学んで書をよくした。墓は川越の妙養寺にある。蘭臺は人に求められてもなかなか書かなかったから、その筆蹟の伝わっているもの甚だ稀で、家にも僅かに一二点あるばかりである。寛斎も儒者ではあったが書も巧みであって、人によっては米庵の書よりも好きだという人もある。
ながながと祖先を語ったが、寛斎と米庵の事は比較的世に知られているけれども、その前のことは全く世に埋もれているので、隠れたるをあらわす意味で、古い数珠をつまぐって、粒の大きいのを二つ三つ拾い上げ、父を語るプロローグとしたのである。
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市河三喜が下仁田町・南牧村を訪問したのは昭和二十年代のようですが、記述に若干の地理的混乱があるようで、前回引用した部分、「この祖先は市川五郎兵衛といって上州羽沢の更に奥にある砥沢の関守で、峠を越えて信州に出て・・・」に登場する羽沢(はざわ)と砥沢(とざわ)は順序が逆で、砥沢が手前、下仁田町側です。
砥沢にはその名の由来となった砥石の鉱山があり、もともと市川五郎兵衛は砥石鉱山の管理をしていて、そこで培った土木技術を新田開発のトンネル堀りなどに応用したようですね。
また、塩沢は砥沢のかなり東、下仁田町との境界付近から少し北に入ったところにあり、先日、久しぶりに行ってみましたが、市河家の屋敷跡は分かりませんでした。
「砥沢 砥石の採掘で栄えた山間の集落」(個人ブログ)
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
蓼食う虫 2014/08/06(水) 21:01:41
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%AB%B8%E8%97%A9
五郎兵衛記念館の紹介文に「こうした功績が認められて五郎兵衛は、寛永19年(1642)に小諸藩から、150石の土地を褒美領として与えられています」とあり、かなり異例の処遇かと思われますが、松平家改易後、「150石の土地」は安泰だったのか、気になりました。
何の関係もない話で恐縮ですが、今週号の『週刊新潮』を立ち読みしていて、ふーん、と思いました。
以前、ここで話題になった東大教授安富歩は女装で勤務しているとかで、蓼食う虫も好き好きというか、ずいぶん寛容な職場環境なんですね。
「(僕は)身体的には男性で、性的対象は女性であるが、自己認識的には女性性が強いんだ」(記憶による)とあって、この程度の自己分析では女装の必然性は感じられないものの、これが女装のロジックのようです。愛嬌もさることながら度胸もある人ですが、ただ惜しむらくは、五十を過ぎて女装とは、女に目覚めるのが遅すぎる・・・。
http://www.bbc.com/news/science-environment-28658269
BBCも報じているのですね。 "witch-hunt"か・・・。
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%AB%B8%E8%97%A9
五郎兵衛記念館の紹介文に「こうした功績が認められて五郎兵衛は、寛永19年(1642)に小諸藩から、150石の土地を褒美領として与えられています」とあり、かなり異例の処遇かと思われますが、松平家改易後、「150石の土地」は安泰だったのか、気になりました。
何の関係もない話で恐縮ですが、今週号の『週刊新潮』を立ち読みしていて、ふーん、と思いました。
以前、ここで話題になった東大教授安富歩は女装で勤務しているとかで、蓼食う虫も好き好きというか、ずいぶん寛容な職場環境なんですね。
「(僕は)身体的には男性で、性的対象は女性であるが、自己認識的には女性性が強いんだ」(記憶による)とあって、この程度の自己分析では女装の必然性は感じられないものの、これが女装のロジックのようです。愛嬌もさることながら度胸もある人ですが、ただ惜しむらくは、五十を過ぎて女装とは、女に目覚めるのが遅すぎる・・・。
http://www.bbc.com/news/science-environment-28658269
BBCも報じているのですね。 "witch-hunt"か・・・。