投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 4月 6日(木)12時20分5秒
深井智朗氏『プロテスタンティズム─宗教改革から現代政治まで』の一番基本的な構図は筆綾丸さんが言及された「古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムというトレルチの分類」なので、参照の便宜のために少し引用しておきます。(p106以下)
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二つのプロテスタンティズム
初期の宗教改革運動も多様な宗派を生み出した。ただ、それらルターやカルヴィンなどの思想と洗礼主義の改革は、かなり異なった性格を持っている。その意味では二つのプロテスタンティズムがあると言ってよい。
この点に注目したのが、一九世紀末から二〇世紀初頭のドイツで活躍した神学者エルンスト・トレルチ(一八六五~一九二三)や、社会学者マックス・ヴェーバーであった。彼らはこの洗礼主義をはじめとする、宗教改革者たちに批判され、排除され、迫害さえされた改革者に注目したのである。エルンスト・トレルチはそれを「新プロテスタンティズム」と呼んで、宗教改革の時代のプロテスタンティズムと区別した。こうした分類には、どちらにも当てはまらないような、いわば歴史現象の「字余り」の部分を軽視しているという批判がなされている。一九世紀末に比べて、今日における洗礼主義の歴史研究が飛躍的に発展していることを踏まえると当然のことである。それにもかかわらず、この区分は、宗教改革が生み出した二つのプロテスタンティズムの姿を概観するためには、今日なお有効でわかりやすい交通整理であろう。そこでトレルチの分類に基本的には従いながら、現代までのプロテスタンティズムの潮流を追うことにしよう。
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エルンスト・トレルチはマックス・ウェーバー(1864-1920)の一年後に生まれ、四年後に亡くなっていますから、全くの同時代人ですね。
Ernst Troeltsch
深井氏はトレルチの区分への批判を重々承知の上で、「宗教改革が生み出した二つのプロテスタンティズムの姿を概観するためには、今日なお有効でわかりやすい交通整理」として、この分類に従う訳ですね。
もう少し引用を続けます。
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トレルチの有名な命題は、「宗教改革は中世に属する」というものである。ルター派もジュネーブのカルヴァンの改革もそれは基本的に中世に属し、「宗教改革」という言い方にもかかわらず、教会の制度に関しては社会史的に見ればカトリックとそれほど変わらないのだという。なぜならそこでは宗教は宮廷や一つの政治的領域の支配者のものであり、改革も政治主導で行われる点では中世と変わっていないからである。
また宗教の決定権は個人にはなく、政治を司る王や政府に与えられている。トレルチはこれを「古プロテスタンティズム」と呼んだ。古プロテスタンティズムと言っても、すでに古くなり、消滅したプロテスタンティズムの意味ではない。一五五五年のアウクスブルクの宗教平和の決定によって、帝国の宗教の一つとしての法的地位をまがりなりにも認められたプロテスタンティズムは、領主が選択可能な帝国の宗教の一つとなり、体制化して保守勢力の一つとなった。領主と協力して領内の宗教を統一し、社会に秩序観や道徳を提供するシステムとなったのである。その点から見れば、ルター派はカトリックと同じシステムなのだ。そのようなプロテスタント、とくにルター派の形態を「古プロテスタンティズム」と考えたのだ。「古プロテスタンティズム」は、「新プロテスタンティズム」と並行して存在するプロテスタンティズムの類型の一つである。
プロテスタンティズムは、宗教改革からスタートし、古い社会システムを破壊して信じる自由を主張したので、近代世界の成立に寄与したというイメージがつきまとう。しかし、古プロテスタンティズムは、近代世界の成立に何らかの寄与をしたと言われる洗礼主義のような勢力の敵であり抑圧者であった。
近代世界の成立との関連で論じられ、近代のさまざまな自由思想、人権、抵抗権、良心の自由、デモクラシーの形成に寄与した、あるいはその担い手となったと言われているのは、カトリックやルター派、カルヴィニズムなど政治システムと結びついた教会にいじめ抜かれ、排除され、迫害を受けてきたさまざまな洗礼主義、そして神秘主義的スピリチュアリスムス、人文主義的な神学者であったとするのがトレルチの主張である。【後略】
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ここだけ読むと、ホントかな、という感じもするのですが、「第6章 保守主義としてのプロテスタンティズム」を読み進めるに従い、確かに「今日なお有効でわかりやすい交通整理」だなあと思えてきます。
なお、第6章の冒頭には「森鴎外が見た保守的プロテスタンティズム」として「かのように」が紹介されています。(p126以下)
>筆綾丸さん
一覧表を見て「チャリン」と「ヂャリン」の違いには気づいたのですが、ケアレスミスかと思っていました。
なるほど単数・複数の使い分けですか。
翻訳には何か出典があるのか、それとも独自研究なのかを知りたくて PONSEXCELSVS 氏のブログを眺めてみましたが、グルメ記事が大半のようで、プロフィールにも特別な記述はなく、どんな人か全然分からないですね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
Luthers とは俺のことかと Luter 言い 2017/04/05(水) 16:47:44
小太郎さん
ご丁寧にありがとうございます。
27条の「nummus in cistam tinnierit」と28条の「nummo in cistam tinniente」のところですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nummus
https://it.wikipedia.org/wiki/Nummo
ラテン語では、単数形は nummus で複数形は nummi、現代のイタリア語では、単数形は nummo で複数形は nummi ですから、28条の「nummo in cistam tinniente」は「nummi in cistam tinniente」の誤記かもしれないですね。
27条の単数形 nummus は animam(魂)に対応し、28条の複数形 nummi は questum et avariciam(強欲と貪欲)に対応し、したがって、前者は「チャリン」という単数っぽい擬音語に、後者は「ヂャリン」という複数っぽい擬音語に、細かく訳し分けられているようですね。
「宗教改革を説明する木版画」(69頁)では、ルターの表記は Luter で、現代では Luthers ですが、なぜ Luter が Luthers になったのか、どうでもいいようなことながら、興味を覚えました。
古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムというトレルチの分類は、わかりやすいですね。(107頁~)
小太郎さん
ご丁寧にありがとうございます。
27条の「nummus in cistam tinnierit」と28条の「nummo in cistam tinniente」のところですね。
https://en.wikipedia.org/wiki/Nummus
https://it.wikipedia.org/wiki/Nummo
ラテン語では、単数形は nummus で複数形は nummi、現代のイタリア語では、単数形は nummo で複数形は nummi ですから、28条の「nummo in cistam tinniente」は「nummi in cistam tinniente」の誤記かもしれないですね。
27条の単数形 nummus は animam(魂)に対応し、28条の複数形 nummi は questum et avariciam(強欲と貪欲)に対応し、したがって、前者は「チャリン」という単数っぽい擬音語に、後者は「ヂャリン」という複数っぽい擬音語に、細かく訳し分けられているようですね。
「宗教改革を説明する木版画」(69頁)では、ルターの表記は Luter で、現代では Luthers ですが、なぜ Luter が Luthers になったのか、どうでもいいようなことながら、興味を覚えました。
古プロテスタンティズムと新プロテスタンティズムというトレルチの分類は、わかりやすいですね。(107頁~)