■次の文章 A・B を読み、下記の間に答えよ。
A 1199 年、将軍独裁の体制で政治を運営していた(1)源頼朝が急死し、長子の頼家が将軍につくと御家人中心の政治を求める動きが強まった。
有力御家人のあいだでは幕府の主導権をめぐる争いが続き、(2)多くの御家人がほろんでいった。
そのなかで、( a )の在庁官人出身の北条氏が勢力をのばしてきた。
1203 年、頼朝の妻( b )の父である( c )は、将軍頼家を幽閉して、弟の実朝を将軍につけた。
さらに 1213 年、( c )の子義時は長らく侍所の長官であった有力御家人の( d )をほろぼし、( e )と侍所の長官をかねて幕府の実楕をにぎった。
こうして確立した北条氏の地位は執権とよばれ、以後、執権は北条氏一族が世襲することになった。
B (3)承久の乱後の幕府は、義時のあと執権についた北条泰時の指導のもとに発展の時期をむかえた。
1225 年、泰時はあらたに執権の補佐役である( f )をおいて北条氏一族中の有力者を就任させた。
ついで、有力御家人や政務にすぐれた武士を選んで( g )とし、執権・( f )とともに幕府最高の政務の処理や裁判にあたらせ、合議制にもとづく政策決定の体制をととのえた。
また 1232 年、泰時は武家の最初の体系的法典である( h )を制定して、広く御家人たちに示した。
これは頼朝以来の幕府の先例や、道理とよばれた武家社会での慣習・道徳を成文化したもので、守護や地頭の任務と権限、御家
人同士や御家人と荘園領主とのあいだの紛争を公平にさばく基準など、武家法独自の規定があきらかにされている。
執権政治の隆盛をもたらした泰時の政策は、孫の執権北条時頼にうけつがれた。
時頼は御家人の保護に努力してその支持をかためるとともに、( g )のもとにあらたに( i )を設置し、増加する御家人たちの所領に関する訴訟を専門に担当させ、敏速で公正な裁判の確立につとめた。
一方で時頼は、前将軍の( j )を陰謀の疑いで京都におくりかえし、1247 年には、幕府内の最有力御家人であった( k )一族をほろぼした。
これを( 1 )といい、北条氏の地位を不動のものとした時頼は、やがて藤原将軍にかわる(4)皇族将軍をむかえた。
こうして執権政治は時頼のもとにさらに強化され北条氏による独裁の性格が強まっていった。
北条氏の権力は、元の来襲のころを境にさらに拡大し、なかでも家督をつぐ(5)得宗の勢力が強大となった。
それにつれて律宗の家臣である御内人と、本来の御家人とのあいだの対立も激しくなり、( m )の子貞時の代になると、 1285 年に有力御家人の( n )らが御内人の代表である内管領の( o )にほろぼされるという事件がおきた。
成長した貞時はやがて( o )もほろぼし、幕府の実権をにぎった。
得宗の絶対的な勢威のもとで、内管領をはじめとする御内人が幕府の政治を主導し、元の来襲にそなえて九州に設置された鎮西探題にも北条氏の一族が就任した。
これを律宗専制政治とよび、北条氏一門は全国の守護の半ば以上を独占し、軍事的・経済的に重要な都市や港湾も多くは北条氏の支配下にはいった。
問 1 本文中の空欄(a)~(o)に当てはまる適切な語句を下記の語群からそれぞれ 1 つずつ選び、その番号をマークせよ。
(a) ①駿河 ②甲斐 ③相模 ④伊豆
(b) ①祥子 ②政子 ③祝子 ④涼子
(c) ①北条時房 ②北条宗政 ③北条時政 ④北条重時
(d) ①和田義盛 ②梶原景時 ③三浦素材 ④比企能員
(e) ①評定衆 ②政所 ③引付衆 ④連署
(f) ①評定衆 ②政所 ③引付衆 ④連署
(g) ①評定衆 ②政所 ③引付衆 ④連署
(h) ①建武式目 ②式目追加 ③貞永式目 ④建武以来追加
(i) ①評定衆 ②政所 ③引付衆 ④連署
(j) ①藤原頼嗣 ②荏原義経 ③藤原兼実 ④藤原頼経
(k) ①和田義盛 ②梶原景時 ③三浦泰村 ④比企能員
(I) ①霜月騒動 ②宝治合戦 ③和田合戦 ④永享の乱
(m) ①北条長時 ②北条時輔 ③北条政村 ④北条時宗
(n) ①平頼綱 ②北条実時 ③安達泰盛 ④竹崎季長
(o) ①平頼綱 ②北条実時 ③安達泰盛 ④竹崎季長
問 2 下線部(1)について、源頼朝が守護・地頭を設置したのはいつか。下記の中から選び、その番号をマークせよ。
①1184 年 ②1185 年 ③1189 年 ④1192 年
問 3 下線部(2)について、当時は貴族出身の頼朝側近と有力御家人からなる 13 名の合議制によって政治が行われていた。この 13 名に当てはまらない人物はだれか。下記の中から選び、その番号をマークせよ。
①大江広元 ②三善康信 ③三浦義澄 ④北条師時
問 4 下線部(3)について、この乱により 3 人の上皇が配流された。この 3 人に当てはまらない上皇はだれか。下記の中から選び、その番号をマークせよ。
①後鳥羽 ②順徳 ③仲恭 ④土御門
問 5 下線部(4)について、名目だけの将軍にすぎない皇族将軍は以後 4 代続いたが、その最初の将軍
はだれか。下記の中から選び、その番号をマークせよ。
①懐良親王 ②宗尊親王 ③護良親王 ④惟康親王
問 6 下線部(5)について、得宗の説明として誤っているものはどれか。下記の中から選び、その番号をマークせよ。
① 得宗とは、北条氏の嫡流の当主のことである。
② 最後の得宗は、北条高時である。
③ 実際に得宗を称したのは、北条時頼の頃からである。
④ 得宗の名は、北条義時が徳宗と号したことに由来するといわれる。
[解 答]
問 1.(a) 一 ④ (b) 一 ② (c) 一 ③ (d) 一 ① (e) 一 ② (f) 一 ④ (9) 一 ① (h) 一 ③ (i) 一 ③ (j) 一 ④ (k) 一 ③ (1) 一 ② (m) 一 ④ (n) 一 ③ (o) 一 ①
問 2 . ② 問 3 . ④ 問 4 . ③ 問 5 . ② 問 6 . ③
[解説]
問3.北条師時は10代執権。
問4.仲恭は時の天皇。承久の乱により廃位された。