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入試問題 日明貿易の展開2

2014-09-26 | Weblog

次の(ア)(イ)(ウ)の各ブロックの文中の空欄に各ブロックの語群からもっとも適当と思われる語を選び、その記号をマークしなさい。

(ア)

 倭寇の活動をおそれた明は、私貿易を禁止するとともに、日本に倭寇のとりしまりを求めてきた。

これに応じて足利義満は、[ 1 ]に倭寇のとりしまりを命ずるとともに、国家による貿易統制に注目して、1401(応永 8)年、明に使者を送って国交をひらき、1404(応永11)年に「日本国王」からの朝貢の形で日明貿易を正式に開始した。

貿易船は、私貿易の船と区別するために、明の皇帝が発行する勘合をたずさえており、勘合貿易の形式がとられた。

勘合船は中国の寧波に入港して査証をうけ、[ 2 ]までおもむいて交易にあたったが、朝貢形式のため[3]はなく、滞在費も明が負担した。

日本からは銅・硫黄・金・刀剣などが送られ、中国からは銅銭・生糸・高級織物・陶磁器などがもたらされた。

しかし、朝貢形式をとったことは多くの批判をあび、足利義持のとき勘合貿易は中止されたが、足利義教がこれを再開した。

〔語群〕
A.制限  B.杭州  C. 揚州  D.北京  E.関税  F.鎮西奉行  G.大宰府  H.検閲  I.大友氏  J.大内氏  K.上海  L.九州探題  M.南京  N.粗悪品  O.混乱

(イ)

 沖縄では、15 世紀のはじめ、[ 4 ]王国の尚巴志が、北山・中山・南山の3王国を統一して琉球王国をたてた。

そのころ、明ではきびしい海禁政策をとって、中国商人の海外渡航を禁止していた。

そのため、琉球商人が安南・シャム・マラッカ・スマトラ・ジャワなどに進出して、そこでえられた南方産の香料・薬種などを中国・日本・朝鮮などにもたらした。

明への進貢船は、南方産の香料・薬種などのほかに日本の刀剣・扇などを送り、陶磁器・鉄器・銅銭・高級織物などをえていた。

琉球はまた、日本の将軍にも使者を送り、南方産の香料・薬種などや中国の銅銭などをもたらした。

[ 5 ]には各地の船が出入し、15世紀の沖縄は中継貿易の利益によって経済的活況を呈したが、16 世紀なかごろになると、明の海禁政策もゆるみ、また新しく進出してきた[ 6 ]商人にその地位をうばわれ、琉球商人の活躍は衰退にむかった。

16 世紀後半になって、琉球船の来航がとだえると、琉球との貿易の独占をねらっていた[ 7 ]は、幕府の後援もあって、琉球と協約をむすび、[ 7 ]の許可のない渡航船の貿易を禁止する措置をとった。

〔語群〕
A.イスパニア  B.南山  C.ポルトガル  D.嘉手納  E.博多商人  F.大友氏  G.中国  H.名護  I.首里  J.中山  K.那覇  L.大内氏   M.島津氏  N.博多  O.北山

(ウ)

 朝鮮では、1392年に李成桂が高麗を倒して李氏朝鮮を建国し、日本に対して倭寇のとりしまりを求めた。

足利義満はこれに応じて国交をひらき、対馬の宗氏の統制のもとに、西国の大名や博多の商人が参加して公貿易が開始された。

日本からは琉球をつうじてもたらされた南方産の香料・薬種などのほか、銅・硫黄・工芸品などが輸出され、朝鮮からは麻布・[ 8 ]・人参・大蔵経などが輸入された。

その後、1419(応永26)年に朝鮮軍が倭寇の本拠地とみなした[ 9 ]を襲撃したこともあったが、両国の貿易はそのままつづけられた。

日本との貿易港に定められ、また[ 10 ]がおかれた富山浦・乃而浦・塩浦の3港には、多数の日本人が居住し、かれらには種々の特権が与えられていた。

しかし、しだいにその特権が縮小されていったので不満がたかまり、1510(永正 7)年、反乱をおこしたが鎮圧された。

三浦の乱がおこってからは日朝貿易はおとろえた。

〔語群〕
A.書画  B.五島  C.平戸  D.肥前  E.染料  F.倭館  G.商館  H.対馬  I.綿布  J.壱岐  K.生糸  L.菜種 M.陶磁器  N.市場  O.客館

[解答]
1-L  2-D  3-E  4-J  5-K  6-C  7-M  8-I  9-H  10-F

コメント
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