きちんとキー貸せ庇護かの子
寄進地系荘園 紀伊・桛田荘と肥後・鹿子木荘
2015大学入試センター試験
問6 下線部fに関して,次の史料に関して述べた文として誤っているものを下の1~4から一つ選べ。
鹿子木(注1)の事
一、当寺(注2)の相承は、開発領主沙弥(注3)寿妙(じゆみよう)嫡々相伝の次第なり。
一、寿妙の末流高方(注4)の時、権威を借らむが為めに実政卿(注5)を以て領家と号し、年貢四百石を以て割き分ち、高方は庄家領掌進退の預所職となる。
一、実政の末流願西(がんさい)(注6)微力の間、国衙の乱妨を防がず。この故に願西領家の得分二百石を以て、高陽院(かやのいん)内親王(注7)に寄進す。……これ則ち本家の始めなり。『東寺百合文書』
(注1)鹿子木:肥後国(熊本)にあった鹿子木荘。
(注2)当寺:教王護国寺(東寺)のこと。
(注3)沙弥:在俗の僧。
(注4)高方:中原高方。寿妙の孫。
(注5)実政卿:藤原実政(1019~93年)。当時、大宰大弐であった。
(注6)願西:藤原隆通の法名。藤原実政の曾孫。
(注7)高陽院内親王:鳥羽天皇の皇女(?~1148年)
1 開発領主沙弥寿妙の寄進により、藤原実政が領家となった。
2 開発領主沙弥の孫中原高方は、現地を管理する預所となった。
3 実政の曾孫願西は、国衙の干渉を防ぐため、収益の一部を寄進した。
4 実政の曾孫願西の寄進により、高陽院内親王が本家となった。
(答:1)
〈2012早大・文化構想
7 下線部水田開発と灌漑システムの管理は法的にも寺院や貴族や農民個人に委ねられるようになりについて。8世紀前半に三世一身法と墾田永年私財法が施行される。これらの法令によって東大寺などの大寺院が形成した荘園は何と呼ばれるか。2つ選び、マーク解答欄紙の該当する記号をマークしなさい。」
ア初期荘園 イ領域型荘園 ウ寄進地系荘園
エ公家領荘園 オ墾田地系荘園
(答:ア・オ)〉