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(摂政・関白)(良房・基経)
[ポイント]
1.摂政は藤原良房、関白は藤原基経にはじまる。
[解説]
1.北家の藤原冬嗣は嵯峨天皇のあつい信任を得て蔵人頭になり、皇室と姻戚関係を結び、北家台頭の基礎をつくった。
2.ついでその子の藤原良房は、842(承和9)年の承和の変で藤原氏の中での北家の優位を確立する一方、伴(大伴)健岑・橘逸勢ら他氏族の勢力をしりぞけた。858(天安2)年に幼少の清和天皇が即位すると、良房は天皇の外祖父として臣下ではじめて摂政の任をつとめ、866(貞観8)年の応天門の変では、伴・紀両氏を没落させた。
3.良房のあとを継いだ基経は、光孝天皇を即位させ、884(元慶8)年にその関白となった。さらに基経は、つぎの宇多天皇が即位にあたって出したその勅書に抗議して、これを撤回させ(888(仁和4)年、阿衡の紛議)、関白の政治的地位を確立した。こうして藤原氏北家の勢力は、急速に強大化した。
〈2012立教大・全学部:「
藤原氏( ホ )の藤原冬嗣の子、藤原〈 き 〉は、858年、臣下として初めて摂政の任をつとめ」
(4択答:ホ北家・き良房)