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1627年〈吉田光由、『塵劫記』を著す〉★

2017-05-20 | 『新世界史頻出年代暗記』

 

 

●江戸時代(寛永4年)

 

Mathematician Yoshida Mitsuyoshhi writes “Jinkōki (Numbers Large and Small)”, a textbook illustrated with colorprints.

披露に名良し 塵劫記。

       1627年 吉田光由       『塵劫記』    

 

江戸前期の数学者吉田光由は。京都の豪商角倉了以の外孫。了以の子素庵から中国の『算法統宗』を教科書として与えられ、これを研究して『塵劫記』(1627年)を著した。同書には絵を多用し基礎から応用まで容易に学習出来るよう多くの工夫がされ、和算の普及に影響を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[ポイント]
1.吉田光由は、1627年、和算書『塵劫記』を著した。

[解説]
1.吉田光由(1598~1673)は、京都の豪商角倉家の一族で、祖父の従兄弟は角倉了以。中国の数学書をもとに、和算入門書『塵劫記』(1627年)を著した。同書は算盤(そろばん)による九九をはじめとした乗除計算が、当時の実用生活に必要とされる計算法が平易な図解入りで説明されている。寺子屋の教科書として使われてベストセラーとなり、和算が民間に広まるもととなった。その後も、数学的な内容を深め、何度も増補し版を重ねた。

〈2013早大・文化構想:「
問7 下線e歴史・古典の研究や自然科学への関心も高まり多くの著作が出されたに関連して述べた文のうち正しいものはどれか。1つ選べ。

 ア 徳川光圀は、歴史書『本朝通鑑』の編纂を開始した。

 イ 賀茂真淵は、門人の荷田春満に『古事記』研究を指導した。
 ウ 戸田茂睡は従来の歌学を批判し、用語の自由を説いた。
 エ 吉田光由は『発微算法』を著し、和算の普及に功があった。
 オ 稲生若水は本草学を研究し、『大和本草』を著した。」

(答:ウ ※ア×本朝通鑑→大日本史、イ×荷田春満は賀茂真淵に、エ×発微算法(関孝和著)→塵劫記)〉


〈2012立大・文学部:「

 下線部1元禄文化に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.尾形光琳は京都の町衆の画風を学び、『洛中洛外図巻』を描いた

 b.熊沢蕃山は孔子・孟子の古典に直接たちかえろうとする古学派を創始した
 c.契沖は『万葉集』を研究し、『万葉代匠記』を著した
 d.関孝和は和算を発達させ、『塵劫記』を著した

(答:c〇、※a×光琳作に『洛中洛外図』は知られていない、b×蕃山は中江藤樹門下の陽明学者、古学派は山鹿素行、伊藤仁斎・東涯父子ら、d×吉田光由の1627年の著作)〉


〈2012京都府立大学・前期

3 次に列挙した語句(他は省略)の中から3つを選び、それぞれ70字以内で説明せよ。句読点やカッコ、数字は、それぞれ1字として数える。

 『塵劫記』


〔解答例〕江戸前期に吉田光由が著した和算の入門書で、掛け算の九九をはじめ幾何図形や体積、級数等について生活に密接した例で計算法を平易に解説している。(69字)

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□近世407.三浦梅園 ◇C

2017-05-20 | 『新世界史頻出年代暗記』



嘶こ言語煤煙後。


(三浦梅園(ばいえん))(1775年)(玄語(げんご))


[解説]

1.三浦梅園(1723~89:フランス大革命の年)は、豊後国国東半島出身の本職は医師にして、ほとんど独学でオリジナルな哲学をうち立てた哲学者。儒学と洋学の思想を調和させ、宇宙の構造を説明した哲学の書『玄語』(1775年一応完成:未完)を著す。我が国には珍しく抽象的概念を駆使して自然哲学を極めようとした。著作は他に『敢語(かんご)』(1763)・『贅語(ぜいご)』(1789)がある。梅園は3度旅をした以外は、故郷の国東半島を離れることはなかった、まるでカント(1724~1804)のように。

〈2014早大・教育

問9 下線部e文政の時代に活動していた文人をすべて選べ。

 ア 柳亭種彦   イ 曲亭馬琴
 ウ 近松門左衛門 エ 三浦梅園

 オ 松尾芭蕉   カ 富永仲基
 キ 井原西鶴


(答:ア・イ ※ウ近松・オ芭蕉・キ西鶴は元禄期(17世紀後半)、エ梅園は明和・天明期(18世紀後半)、カ仲基は享保・元文期(18世紀前半))

〈2014立教大・現心コミュ福祉観光営

問7.この社会の身分制を批判した『自然真営道』の著者は誰か。次のa~dから1つ選べ。

 a.安藤昌益  b.富永仲基

 c.三浦梅園  d.山片蟠桃」

(答:a)

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曲亭馬琴『南総里見八犬伝』『椿説弓張月』

2017-05-20 | 『新世界史頻出年代暗記』

□近世427.『南総里見八犬伝』『椿説弓張月』(読本後期・曲亭馬琴)◇C

[ゴロ]馬菌珍説 発見す。


(曲亭馬琴(きょくていばきん)・南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん))(椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき))


[ポイント]

1.曲亭馬琴は、『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』を著す。

[解説]
1.文化期には、滑稽本人情本など絵入りの本の系統に対し、文章主体の小説で歴史や伝説を題材にした読本(よみほん)は、大坂の上田秋成(1734~1809)に始まり、江戸の曲亭馬琴(1767~1848)が評判を得た。


2.曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、旗本の家来の子として生まれる。俳諧、医術、儒学を学び、20代半ばに山東京伝の知遇を得て大きな影響を受けながら、はじめ黄表紙を刊行し戯作者として出発。結婚により履物屋として町人となったが、30代から読本を中心に旺盛な作家活動に入り、以後この収入のみで生計を立てるようになった。彼は豊かとは言えなかったが、筆一本で生きるわが国初の作家といえる。73歳で失明したが、故長男の嫁路(みち)(貞女としてよく知られる)の口述筆記で著述を続け82歳で死去した。


3.馬琴は、源為朝の武勇伝『珍説弓張月』(1807年)で評判をとり、『南総里見八犬伝』(1814~1842年)で名声を確立。同書は雄大な構想をもち、その底流に勧善懲悪(かんぜんちょうあく)・因果応報(いんがおうほう)の思想が流れている。


2015早大・社会科学:「

 江戸時代後期においては、交通の整備が進み、人の移動が盛んになり、地域問の交流も活発に行われた。江戸の繁栄は経済面に止まらなかった。特に文化・文政時代の前後には、町人文化が開花し、近世文化が爛熟期を迎えた。文化年間には、600軒を超える貸本屋があり、人びとの1文学への欲求を満足させた。2文学作品の作者のなかには、江戸町人や浮き世絵師もおり、彼らは当時の社会や庶民の生活を描き、独特な感覚と手法を武器に多くの読者を獲得した。

問1 下線部1文学に関連して、文化・文政時代前後の文学に関する記述として、適切なものはどれか。1つ選べ。


 イ 17世紀後半以来衰えていた浮世草子は全盛期を迎えた。

 ロ 江戸の遊里の生活を描いた黄表紙が流行した。
 ハ 江戸の風俗をうがち、風刺した洒落本が流行した。
 ニ 恋愛ものを扱った読本が流行した。
 ホ 庶民の生活を描いた滑稽本が盛んになった。

問2 下線部2文学作品に関連して、著者と作品の組み合わせとして、不適切なものはどれか。1つ選べ。


 イ 式亭三馬『浮世風呂』

 ロ 十返舎一九『東海道中膝栗毛』
 ハ 山東京伝『江戸生艶気樺焼』
 ニ 曲亭馬琴『雨月物語』
 ホ 為永春水『春色梅児誉美』」

(答:問1ホ〇、※イ・ロ・ハは×で浮世草子、洒落本、黄表紙は化政期以前、ニ×読本は恋愛物ではない、問2ニ×『雨月物語』は上田秋成)〉


2014早大・教育:「
問9 下線部e文政の時代に活動していた文人をすべて選べ。


 ア柳亭種彦 イ曲亭馬琴
 ウ近松門左衛門
 エ三浦梅園 オ松尾芭蕉
 カ富永仲基 キ井原西鶴


(答:ア・イ ※ウ近松・オ芭蕉・キ西鶴は元禄期(17世紀後半)、エ梅園は明和・天明期(18世紀後半)、カ仲基は享保・元文期(18世紀前半))〉

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