1339年 北畠親房『神皇正統記』
一味裂く字の 正統記。
1339年 『神皇正統記』 北畠親房
南朝の北畠親房は「神皇正統記」で、君主の条件として血統のほかに君徳や神器の重要性を強調する。
In "Jinno Shotoki" (Chronicle of Gods and Sovereigns), Chikafusa KITABAKE of the Southern Court emphasized the importance of the blood line, virtue and the Jingi as
conditions for a monarch.
南北朝時代の史書には武家方にたつ『梅松論』と南朝方にたつ北畠親房の『神皇正統記』がある。
2016関西学院大学・全学部
鎌倉幕府が成立すると、従来の朝廷による政治とそれを支える思想を読み直す歴史書が著された。承久の乱直前に九条兼実の弟である[ e ]によって會かれた『愚管抄』がそれである。[ e ]はそこで道理に基づく歴史の解釈を試みている。また鎌會幕府が滅亡し、後醍醐天皇の政権もまた吉野に逃れた後、[ f ]による『神皇正統記』が書かれた。そこで[ f ]は伊勢神道の理論によりながら、皇位継承の道理を説き、後醍醐天皇・後村上天皇に至る系譜を正統とした。この南朝正統論は『大日本史』を通して、明治期の南北朝正閏論争にまで影響を与えることになる。
【設問】
5.空欄e・fに入る人名の組み合わせとして、正しいものを下記より選びなさい。
ア.e:慈円 f:夢窓疎石
イ.e:北畠親房 f:夢窓疎石
ウ.e:夢窓疎石 f:慈円
エ.e:慈円 f:北畠親房
(答:エ)
〈2016早大・文化構想〉
下線a歴史観と個性をもった歴史書や歴史物語に関して、つぎの歴史書・歴史物語と、その説明の組み合わせとして、正しいものはどれか。1つ選べ。
《歴史書》
P『吾妻鏡』 Q『大鏡』
R『愚管抄』 S『梅松論』
T『増鏡』
《説明》
V 摂関家を中心とする歴史を和文体で書いた。
W 武家政権の出現に至る歴史を「道理」の観念で書いた。
X 源平争乱の時期以後の歴史を公家の立場で書いた。
Y 鎌倉幕府の歴史を編年体で書いた。
Z 足利氏の政権獲得までを武家の立場で書いた。
ア P-Y、Q-V、R-W、S-Z、T-X
イ P-Z、Q-X、R-V、S-W、T-Y
ウ P-V、Q-Z、R-Y、S-X、T-W
エ P-X、Q-Y、R-W、S-V、T-Z
オ P-Y、Q-X、R-V、S-Z、T-W
(答:ア)
2015早大・社会科学
問8 この【史料】は足利幕府の正当性を示すために書かれたものである。その出典は次のうちどれか。正しいものを1つ選べ。
イ『神皇正統記』 ロ『梅松論』 ハ『愚管抄』 ニ『建武年問記』 ホ『樵談治要』
(答:ロ)
2013東京家政大
次の著作物についての説明のうち、内容が正しいものはどれか。
1.増鏡は、摂関期の最盛期であった藤原道長の時代を懐かしんで描いた歴史書である。
2.神皇正統記は、足利氏の政権獲得の過程を武家の立場からしるしたものである。
3.太平記は、南北朝動乱の全体を描こうとしてつくられた軍記物である。
4.梅松論は、南朝の立場で皇位継承の正しい道理を主張したものである。
(答:3 ※1×鎌倉時代についての歴史書。後鳥羽天皇即位から、後醍醐天皇が隠岐より京都へ帰還するまでを記している。著者は二条良基説が有力であるが未詳、2×南朝・公家の立場、×北朝・足利幕府の立場)