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古今伝授

2019-10-19 | 入試問題+ゴロ合わせ

1471年(文明3年)1月 東常縁、宗祇に古今伝授。

意志ない伝授 唐が宋。

1471年 古今伝授 東常縁、宗祇

 

応仁の乱で所領である美濃国郡上を斎藤妙椿に奪われはしたものの10首の和歌をもって返還が叶ったので、東常縁は文明元年(1469年)4月に帰京し、文明3年(1471年)には宗祇に古今伝授を行っている。

Although Tsuneyori TO was deprived of his territory at Gujo in Mino Province by 

Myochin SAITO during the Onin War, he recovered it by sending 10 waka (a 31-

syllable Japanese poem), and then he returned to Kyoto in April 1469 and did kokin-denju (the secret transmissions of the "Kokinshu," the Anthology of Old and New Japanese Poems) for the Japanese poet named Sogi in 1471.

東常縁が、弟子の宗祇古今伝授をおこなった。

 

〈2013同志社大・法グロコミュ

 彼の生年は応永28年(1421)である。前半生はキ).京都五の臨済宗相国寺で修行していたという以外は詳しく分からない。30歳を超えてから連歌を志し、古典についてはe一条兼良に師事し、和歌は東常縁などについて学び、熱心に修行した。


 応仁の乱の直前の文正元年(1466)、46歳で関東に下り、戦乱中は主として関東にあって各地を遍歴して、連歌論書などを著作した。折から幕命によって関東に下向し、伊豆国三島に滞陣していた東常縁からf『古今和歌集』の特別な講義を受けた

 文明4年(1472)京都に帰り、入江御所に隣接して種玉庵を営み、後半生の在京中の拠点とした。上流の公家や武家を迎えて和歌や連歌の会を開き、『源氏物語』、『伊勢物語』などの古典を講義した。同8年正月には、幕府の連歌会始めに初めて列する栄誉を得た。以後将軍義尚の連歌の師となり、長享2年(1488)には連歌界最高の名誉職である北野連歌会所奉行に任じられ、斯界の第一人者となった。明応4年(1495)75歳の時に、ク)自ら編集した連歌集が准勅撰となった

 後半生は旅に出ることが多く、越後へは7度下向したのをはじめ、関東や九州へも足跡を残し、各地にケ)京都の文化を伝えた。文亀2年(1502)7月、越後から駿河へ向かう途中の箱根湯本の旅宿で没した。享年82.文芸に優れた三条西実隆と親交があり、連歌と古典研究に精進した刻苦勉励の生涯であった。

問キ.相国寺以外の京都五山の正しい組み合わせを選べ。

 1.鹿苑寺・万寿寺・天龍寺・建仁寺

 2.天龍寺・建仁寺・東福寺・万寿寺
 3.慈照寺・建長寺・円覚寺・寿福寺
 4.建長寺・万寿寺・浄智寺・浄妙寺

問e.一条兼良が将軍義尚の諮問に答えた政治上の意見書であり、1480年に成立した書名を記せ。


問f.『古今和歌集』の故実・解釈などの秘伝を特定の弟子に教え授けることを何というか。その呼称を記せ。


問ク.准勅撰となった、この連歌集を選べ。


 1.『菟玖波集』
 2.『新撰菟玖波集』

 3.『水無瀬三吟百韻』
 4.『犬筑波集』


問ケ.1423年に生まれ、単なる喫茶を、禅の思想や作法を織り込んだ流儀にまで高めて、茶の湯の開祖といわれる人物を選べ。


 1.武野紹鴎 2.土佐光信
 3.村田珠光 4.池坊専慶


(答:問キ2、問e樵談治要、問f古今伝授、問ク2、問ケ3 ※彼は宗祇)

1480年7月 一条兼良、将軍義尚の諮問に答え『樵談治要』を著す。 

一条やれよ 商談よ。    

1480年    一条兼良 『樵談治要』 義尚


〈2013明治大学・商

 一方、政治や経済の面で力を失った公家のなかには、伝統的な文化の担い手となって有職故実の学問や古典の研究を積極的に行ったものもいる。古典では古今和歌集がはやくから和歌の聖典として重んじられ、その解釈なども秘事・口伝のもとで神聖化され、特定の人だけに伝授された。こうした古今伝授は、「古今和歌集」の故実・解釈などの秘伝を弟子に伝えることであり、武士で二条流歌人でもあったE[1三条西実隆 2東常縁 3細川藤孝 4中院通勝 5牡丹花肖柏](1401~1494?)が1471年に宗祗に伝授したのが始まりであるとされる。それに加えて、「古今和歌集」や「伊勢物語」、「源氏物語」などの古典に対する関心は強く、書写・校合だけでなく、一条兼良らについて講釈を聴聞したり、同好者による研究会もしばしば行われた。また地方武士のなかには、上洛の際に古典の知識を習得するものも少なくなく、領国文化の発展の要因となったが、これは応仁の乱で公家が地方に下ったことでいっそう促進された。」

(答:E2)

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