1716年 徳川吉宗、享保の改革
非難異論も今日は良し。
1716年 徳川吉宗、享保の改革
待ち合い貫目 株上げ上司 七コ足しどう 源九オフ。
(18年)町火消
(19年)相対済し令
(20年)漢訳洋書輸入の緩和
(21年)目安箱
(21年)株仲間の公認
(22年7月)上米の制
(22年)定免法採用
(22年)新田開発
(22年)質流し禁令
(22年12月)小石川養生所
(23年)足高の制
(36年)堂島米市場公認
(36年)元文金銀
(42年)公事方御定書
(44年)お触書寛保集成
〈2016関西学院大学・全学部2月2日
問9.下線部i参勤交代について、この負担を緩和する代わりに、石高の1%相当分を臨時に幕府へ上納させた制度を下記より選びなさい。
ア.上知令 イ.上米の制 ウ.足高の制 エ.定免法
(答:イ)
〈2013青山学院・経営
問6.近世の年貢率には、検見法と定免法があったが、定免法を広く取り入れて年貢率の引き上げを図った政策が行われたものとしてもっとも適当なものを、次の選択肢から選びその番号をマークしなさい。
1天保の改革 2正徳の政治 3寛政の改革 4享保の改革
(答:4)
〈2015法大・文人問営
問3 上げ米の法令の実施は、幕府の財政再建策の一環であった。この時期の幕府の財政再建策として誤っているものを、以下のア~エのなかから一つ選べ。
ア 朝鮮人参座の設置
ウ 新田開発の推進
イ 定免法の採用
エ さとうきび・櫨(はぜ)の栽培奨励
(答:ア×朝鮮人参座は1763年、田沼時代 エは青木昆陽)
1763年 (朝鮮)人参座の設置。
否むさ粗悪 人参さ。
粗悪な薬用ニンジンの流入を防止 (朝鮮)人参座
〈2013慶大・経済
(1)享保の改革について述べた次の1~4の文章の中から、誤りを含むものを1つ選べ。
1 足高の制を設けて、役職ごとに定められた基準役高以下の者を就任させる場合に、在職期間中のみ不足分を補い、人材登用を行ないやすくした。
2 幕府歳入の増大をはかるために、各大名に毎年石高1万石につき100石の上納を命じ、そのかわりに参勤交代で江戸に滞在する期間を半減した。
3 その年の収穫に応じて田畑の石高を決める検見取法を改め、石高を固定化する定免法を採用して年貢収入の安定と増大をはかった。
4 大岡忠相を町奉行に任命し、その下で町方独自の町火消を組織させた。また、目安箱への投書をもとに貧民救済のため小石川養生所を設けさせた。」
(答:3×石高ではなく年貢率)
〈2013上智大・法総合人間科神外
次の史料(イ~ハ)は、江戸幕府が発布した法令を年代順に配列したものである。これらを読んで、設問に答えなさい。
(イ)近年金銀出入(でいり)段々多く成り、評定所寄合の節も此の儀を専ら取り扱ひ、公事訴訟ハ末に罷り成り、評定の本旨を失ひ候。借金銀・買懸り等の儀ハ、人々( A )の上の事ニ候得ば、今よりは三奉行所ニて済口(すみくち)の取り扱ひ致す間敷(まじく)候。併しながら、欲心を以て事を巧み候出入ハ、不届を糾明いたし、御仕置申し付くべく候事。
(ロ)惣じてa借シ金銀・売掛ケ等の儀、( A )せしめ候上の事ニ候得バ、今よりハ右の出入奉行所ニて取り扱ひこれ無き筈ニ候。然し乍ら欲心ヲ以て事を巧み候出入ハ不届の訳糾明の上、御仕置申し付くべく候間、訴へ出づべく候事。
(ハ)金銀出入の儀、奉行所に於て取り上げざる段、b去ル亥年相触れ候得ども、近来金銀通用相滞り候由相聞こえ候に付、当酉〔年〕正月よりの借金銀・買掛り等出入の儀、前々の如く取上げ裁許仕るべき旨、三奉行え仰せ出され候間、其の意を得られ、よりより相違せらるべく候。
(原文を一部修正)
(注)金銀出入:金銀貸借に関する訴訟。金公事(かねくじ)。
公事訴訟:金公事を除いた民事訴訟
問1 史料(イ~ハ)が発布された時の将軍は誰か、氏名を記しなさい。
問2 問1の将軍の時代、商工業の統制を目的として、幕府は同業者組織を広く公認し、営業の独占権を認めるようになった。こうした同業者組織を何というか、記しなさい。
問3 問1の将軍の時代、年貢増徴を目的として、幕府は商業資本による開発事業を奨励したが、こうして開発された耕地は何と呼ばれるか、その名称を漢字6文字で記しなさい。
問4 空欄( A )にふさわしい語を漢字2文字で記しなさい。
問5 下線部aにつき、金銀を借りた人々として、この法令の中で想定されているのは主にどのような人々か、記しなさい。
問6 下線部b「去ル亥年」は史料(イ)が発布された年を指すが、これを西暦で記しなさい。
問7 史料(イ)の法令の趣旨とその推移を、史料(ロ)・(ハ)を踏まえたうえで、次の3つの語を用いて、120字以内でまとめなさい。ただし、語順はかえてもよい。
借金 訴訟 物価」
(答:問1徳川吉宗、問2株仲間、問3町人請負新田、問4相対、問5旗本・御家人、問6→1719年、問7〔解答例〕「物価高騰に伴い借金に関わる訴訟が増大したため、1719年に、悪質なものを除き訴訟を受理せず当事者間で解決させる相対済し令を出し、訴訟裁判の軽減を図った。しかし金融上の混乱が続いたため1729年に廃止した。」(104字))
1719年 金銀貸借についての争いを当事者間で解決させるため、相対済し令を出した。
非難行くのは 相手かね。
1719年 相対済し令 金公事の訴訟を受けない
相対済し令によって公事の訴権を奪われた人々は泣き寝入りする他無かった。
People who were taken away their right to sue in kuji were compelled to accept without saying anything.
〈2013学習院大学・経済
幕府の年貢収入が頭打ちになった18世紀前半、8代将軍の徳川吉宗は財政再建にあたり、大名に「高壱万石ニ付〔イ)八木五十石 ロ)麦五十石 ハ)八木百石 ニ)麦百石 ホ)八木二百石〕積り差し上げ」るよう命じた。また、毎年の年貢量算定方法として、検見法を改めて定免法を広く取り入れた。」
(答:ハ ※「八木」は米のこと)
〈2012明大・文学部
以下の各文は江戸幕府の享保の改革に関する文章である。正しいものを次の1~5のうちから一つ選べ。
1.1716年(享保元)、紀州藩主徳川吉宗が8代将軍になると、吉宗は家康時代への復古をかかげて幕政の改革に取り組んだ。
2.1722年(享保7)には上米の制が定められたが、幕府財政の立直しの本筋は年貢増徴策であり、そのため広くとり入れられたのが検見法である。
3.有能な人材を登用のため足高の制が定められた。町奉行大岡忠相や『農業全書』の著者田中丘隅も吉宗によって抜擢された人材である。
4.棄捐令を出し、激増してきた金銭貸借をめぐる訴訟をその当事者どうしで解決させる一方、公事方御定書を編纂し法制の整備にもつとめた。
5.江戸・大坂周辺の地を幕府直轄地とし、対外防備の強化をねらった上知令を発令した。」
(答:1 ※2×検見法→定免法、3×『農業全書』→『民間省要』、4×棄捐令は寛政の改革と天保の改革、5×上知令は天保の改革)
〈2012立大・経済法異文化コミ
問4.これ(吉宗のさまざまの施策)に該当するのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.相対済し令 b.印旛沼堀割工事
c.棄指令 d.七分積金令」
(答:a)
〈2016立教大・法済異文
問3.これ8代将軍徳川吉宗による江戸の都市政策に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.青木昆陽を町奉行に任命して、政策にあたらせた
b.江戸の町ごとに、目安箱を設置して庶民の意見を聞いた
c.小石川に、貧民を対象とした医療施設を設置した
d.町火消を廃止し、定火消によって消火制度を強化した」
(答:c ※a×青木昆陽→大岡忠相か、b×評定所前のみ、d×町火消しを創設)〉
〈2016関西大学・全学部2/7:「
問12 この史料にあるように西洋の事物が紹介され、やがて蘭学が発達した。青木昆陽や野呂元丈にオランダ語を学ぶよう命じた将軍は誰か。
ア徳川綱吉 イ徳川吉宗 ウ徳川家重」
(答:イ)〉
〈2016早大・教育〉
問6 空欄[徳川吉宗]の政策でないのはどれか。
ア足高の制 イ公事方御定書の制定
ウ蝦夷地の調査 エ漢訳洋書の輸入緩和
オ室鳩巣の登用」
(答:ウ)〉
〈2015関西学院大・神社済教など:「
問7 下線部g明暦の大火に関連し、江戸の火災とその対策に関する説明として、誤っているものを下記より選びなさい。
ア.明暦の大火は振袖火事と呼ばれている。
イ.明暦の大火のあと、幕府は道幅の拡張や火除けのための広小路や橋を設けた。
ウ.徳川吉宗は、旗本の田中丘隅に命じて、江戸の防火施設を整備させた。
エ.町奉行となった大岡忠相は、町方独自の町火消しを組織させた。
(答:ウ×そのような事実はない)
〈2013早大・文化構想:「
その後、江戸幕府の時代となり、各種の改革が実施されたが、一方では、政治社会への批判や意見も多く出された。たとえば、将軍徳川吉宗の時、[ D ]前に目安箱が設置され、民意を政治に反映させようとした。
問9 空欄Dにあてはまる語句は何か。1つ選べ。
ア町奉行所 イ評定所 ウ坂下門
エ小石川養生所 オ湯島聖堂」
(答:イ)