868年 惟宗直本「令集解」成る。
「ハムはこれな」と 領収書。He gave me a receipt, saying “ Here is your ham”.
868年 惟宗直本 「令集解」 私撰
〈2018明治大・商2/16
律令制の中心となるルールは刑法と行政法である。日本の律令制は中国(当時は隋と唐)からの継受法であり、律は大宝律、養老律ともに唐律を写したと考えられている。律は刑法典であり、その中には、五刑や八虐の規定がある。八虐とは、八種の重罪であるが、そのなかにはa【①不敬 ②不孝 ③不道 ④大逆 ⑤謀反】は含まれない。令については、b【①清原家衡 ②清原真衡 ③清原武則 ④清原夏野 ⑤清原元輔】(782~837)らが編集した注釈書や、平安時代初期の明法家、惟宗直本が編集した『[ 2 ]』によってほぼ全条文を知ることができる。
(答:a①、b④、2令集解)〉
〈2018慶大・法
以下の文章の空欄に入る最も適切な語句を語群(59語句省略)より選べ。なお文章中の[ A ]は問題作成上あえて空欄にしてある。
日本で律と令とがはじめて同時に編纂された大宝律令は、文武天皇の命により新たな律令編纂の総裁となった[ 1 ]らにより完成したものである。律令による政治が行われるようになると、律令の解釈学の気運が高まりをみせ、明法家による律令の私記なども多く出された。もっとも、それぞれで示された解釈がまちまちで不統一であったことから、[ A ]の修撰がなされ、同書に示された解釈が令と同一の効力を有するものと認められた。これによって律令の解釈の統一化は達成されたものの、逆に律令の研究は活気が失われた。[ 2 ]は、多くの解釈学説がうずもれることを恐れ、私撰の注釈書[ 3 ]を集成した。」
(答:1刑部親王、2惟宗直本、3令集解 *原問には59語の選択肢あり。Aは養老律令)〉
〈2018立教大・異文化コミュ済法2/8
争いごとの裁定や刑罰をおこなう力によって、政治の中心としての権威を示そうという考え方が古代から存在したことは、ある程度確認できる。『日本書紀』允恭天皇の条に記述のある盟神探湯は、氏姓のいつわりに対し王権が判定を下すために用いられた、一種の宗教的裁判と考えられる。『養老令』についてのさまざまな注釈を惟宗直本が集成した『( イ )』に、允恭天皇時代の盟神探湯への言及があり、後に②最初の全国的戸籍で確定される氏姓秩序のひとつの基礎として触れられている。
A.文中の空所にあてはまる適当な語句を記せ。
B問2.これ(②)は670年に天智天皇のもとで作成された、氏姓の根本台帳となる戸籍である。その名をしるせ。」
(答:イ令集解、問2庚午年籍)
670年 天智天皇、庚午年籍の作成。
労成れ向後 転じての。
670年 庚午年籍 天智天皇
670年に新たな戸籍(庚午年籍)を作り、671年には初めての律令法典である近江令を施行している。
In 670, he had new koseki (family registers; Kogo no Nenjaku) made and in 671, he
enforced Omi-ryo (Omi Administrative Code), which was the first Ritsuryo code of law.
〈2016立教大・現心コミュ福観光営
ハンセン病と同様に差別の歴史をたどっている病気として精神疾患がある。精神疾患の症状と想定される表記は、『古事記』、『日本書紀』や13『令義解』、さらに日本最古の医書『医心方』などにも見られる。これらによると、精神疾患と思われる症状は、邪気や物の怪による仕業であるとされ、呪術・加持祈祷の対象となっていたことがわかる。そのため、治癒伝承のある、たとえば京都・岩倉の大雲寺に病者が集まった。
問13.これ(令義解)が編纂された後、惟宗直本が編纂した養老令の注釈書の名をしるせ。
(答:令集解)
〈2011近大・法済営など
問9 下線部a『令義解』についての文として最も適当なものはどれか。
1.養老令の私撰注釈書として、惟宗直本によって編纂された。
2.養老令の私撰注釈書として、清原夏野によって編纂された。
3.養老令の公定注釈書として、惟宗直本らによって編纂された。
4.養老令の公定注釈書として、清原夏野らによって編纂された。
(答:4〇)
〈2009慶大・商:「
令の解釈に関して、833年、( a )が清原夏野らによって完成され、9世紀後半には、惟宗直本によって( b )が完成された。」
(答:a令義解 b令集解)