694年 藤原京に遷都。
向くよ都に 藤原京。
694年 藤原京 持統天皇
恐怖なら 苦難しがらみ 平城京。
飛鳥浄御原(672年) 藤原京(694年~) 平城京(710年~)恭仁京(740~) 難波宮(744年) 紫香楽京(744年~) 平城京(745年)
〈2018青山学院大・教育人科文2/13
B.滋賀県甲賀市に所在する宮町遺跡は、天平14年に聖武天皇が建て(a)天平17年に遷都するまでの間都であった[ あ ]宮跡に比定されており、宮殿や朝堂、数千点に及ぶ木簡が出土している。この天平年間は、政治的な混乱や飢饉・疫病による社会的不安が広がっていた時期でもあり、聖武天皇は鎮護国家の思想によって国家の安定を図ろうとし、この地で大仏造立の詔を発し、大仏造りに着手した。その後、大仏造立は奈良で続けられ、天平勝宝4年孝謙天皇によって大仏の開眼供養会が盛大に行われた。 問5.[ あ ]にあてはまる語句を漢字3語で答えなさい。紫香楽
問6.下線部(a)に関連して、聖武天皇の治世下の都は、古い順に(ア)、(イ)、[ あ ]京、平城京と変遷した。(ア)、(イ)にあてはまる語句の組み合わせとして最も適切なものを次の選択肢の中から一つ選べ。
①ア.恭仁京 イ.長岡京
②ア.藤原京 イ.難波京
③ア.恭仁京 イ.難波京
④ア.長岡京 イ.藤原京
⑤ア.難波京 イ.藤原京
⑥ア.難波京 イ.恭仁京」
(答:問5紫香楽、問6③)
〈2018関西学院大・商人間文法2/1
問2.下線部b元明に関して、誤っているものを下記より選びなさい。
ア.天武を父、持統を母として生まれ、文武の母であった。
イ.唐の長安城を模した平城京を造営し、藤原京から遷都した。
ウ.天武朝の富本銭に続いて、和同開弥を鋳造した。
エ.太安万侶により筆録された『古事記』が、献上された。
(答:ア×天智を父、持統は異母姉)
〈2018関西学院大・教育済国際社会神総合2/2
2.次の文章a・bを読み、正誤を判定せよ。
a.古墳時代中期の5世紀には、それまでにない規模の巨大古墳が築かれた。大阪府の大仙陵古墳や誉田御廟山古墳は、その代表的事例である。
b.壬申の乱の後に即位した天武天皇は、中国の都城にならって大極殿や朝堂院を備えた藤原京を完成させて遷都し、新しい国家作りを行なった。
(答:a〇、b×※天武天皇は建設途上に亡くなり、持統天皇のとき完成)
〈2017近畿大・全1/29
問4.下線部(d)女帝と、その主な事績の組み合わせとして適当でないものはどれか。次の①~④のうち一つを選べ。
①元明天皇-平城京遷都
②持統天皇-藤原京遷都
③元明大皇-大宝律令完成
④持統天皇-飛鳥浄御原令施行」
(答:③ ※大宝律令完成は文武天皇の701年)
〈2016早稲田大・商
問B 下線部ハ藤原京について述べた文として誤っているものはどれか。
1.十条十坊から構成されていた。
2.藤原宮は京の中央に設けられた。
3.ほぼ正方形の都であった。
4.飛鳥の地に所在した。
5.藤原宮は大和三山に囲まれていた。
(答:4× ※持統天皇が 飛鳥から西北の地藤原に移した)〉
〈2014立教大・文
問 下線部3聖武天皇が行ったことはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.勘解由使を設けた
b.検非違使を設けた
c.恭仁・難波・紫香楽と遷都した
d.弘仁格式の編纂を命じた」
(答:c〇 ※a×797年桓武天皇、b×816年嵯峨天皇、d×820年嵯峨天皇)〉
〈2013慶応大・文
次の史料は、『万葉集』に収められた歌である。これらを読んで、設問に答えなさい。
今造る( C )の都は 山川の さやけき見れば うべ知らすらし (原万葉仮名)」
問8( C )の中にふさわしい、聖武天皇が新規に造営した都の名称を記しなさい。
問9 聖武天皇が( C )に遷都する直接的原因となった出来事とは何か、記しなさい。」
(答:C恭仁京、藤原広嗣の乱)
〈2013早稲田大・文化構想
ながい日本の歴史のなかで、人々は政治や社会について様々な意見を述べ、また、議論をしてきた。それが知られる早い例は、744年から翌年にかけて、遷都をめぐる幅広いa意見聴取がおこなわれたことである。」
問 下線aの意見聴取において、最終的に決まったところはどこか。1つ選べ。
ア平城 イ難波 ウ恭仁 エ紫香楽 オ藤原
(答:ア ※「恭仁京→難波宮→紫香楽宮」と遷都し、再びもとの平城京に還都された)
〈2013法政大・法国際文化キャリアデザイン
問 下線部a~cのなかから正しくないものをそれぞれ一つ選べ。なお、下線部a~cがすべて正しい場合には、dをマークせよ。
a7世紀の末に藤原京が都に定まると、b3人の天皇が、即位してから死去するまで、藤原宮に住み続けた。ついで[ A ]のとき、都が藤原京から平城京にかわると、平城宮は数人の天皇の宮として継続した。即位してから死去するまで平城宮に住み続けた最後の天皇は[ B ]である。cただし、その間、別の地に宮を設けた天皇もいた。
(答:A元明天皇、B光仁天皇、a〇694年、b×3人は持統・文武・元明各天皇だが、持統の治世の途中に遷都、また元明も治世の途中で平城遷都している。c〇聖武天皇で恭仁京→難波宮→紫香楽宮)〉
〈2010早稲田大・法
2.下線a8世紀に鋳造された日本の東大寺盧舎那大仏について。この頃(742~753年)の歴史事象として正しいものは次のうちどれか。2つ選べ。
あ 聖武天皇は近江紫香楽宮で盧舎那大仏の造立を宣言した。
い 諸国に国分尼寺を建て、尼僧20人と金光明最勝王経を置いた。
う 八幡神の託宣により、淳仁天皇が廃された。
え 光明皇后は、聖武天皇が没した後、帝位に就いた。
お 740年には藤原広嗣の乱が起こり、この後、聖武天皇は都を度々移した。」
(答:あ〇743年造営中の紫香楽宮で詔を出す、お〇 ※い×741年国分寺・国分尼寺造立の詔、う×769年宇佐八幡宮神託事件、え×そのような事実はない)
741年 国分寺建立の詔
名良いでしょう国の寺。
741年 聖武天皇 国分寺建立の詔 恭仁京