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★東南アジア関連 センター試験

2019-12-29 | 入試問題+ゴロ合わせ
2004 センター本試験 第4問の一部

【問】アジアの都市について述べた以下の文章を読んで問に答えなさい。

B アラビア海からベンガル湾を経て南シナ海に至る海域は古くからモンスーン(季節風)を利用した海上交通によって結ばれており,東南アジアの沿海部は,航海上必要な風待ちゃ中継のために恰好の港を提供していた。
東西交易の発展とともに東南アジアの港は数を増し中には国際色豊かな都市(下図参照)を形成して,政治権力の中心となるものが現れた(港市国家)。
14世紀半ばに成立したアユタヤ王国のような典型的な港市国家は,国際的な交易ネットワーク上に位置しつつ,内陸にも支配を及ぼして物産を集荷し独占的な貿易管理を行うことによって強大化した。

17世紀後半に描かれたアユタヤ市街と外国人居留区の図
問5 下線部⑤に関連して,外来の文化の影響を受けて形づくられた東南アジアの文化について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
 
①  シャイレーンドラ朝では,ボロブドウールなどのイスラム寺院が建立された。

パガン朝では,スリランカから入った大乗仏教が普及した。
 
シュリーヴィジャヤでは,仏教が保護され,アジャンタ一石窟寺院が建立された。
 
ヴエトナムでは,漢字を利用してチュノム(字喃)が考案された。
問6
下線部⑥の王国は1680年代に親フランス政策を採り,ルイ14世の宮廷に使節を派遣した。ルイ14世治世下のフランスについて述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
 ①
親政開始後,フロンドの乱が起こった。
 ②
フランス東インド会社を創設した。
 ③
ルイジアナを領有した。
 ④
財務総監ケネーが,重農主義政策を採った。

問7
同じく下線部⑥の王国が存続していた時期に,東南アジアで起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の①~④のうちから一つ選べ。
 ①
李朝が,モンゴルの侵入を退けた。
 ②
扶南が,カンボジアに興った。
 ③
トゥングー(タウングー)朝が,ビルマ(ミャンマー)を統ーした。
 ④
シンガポールが,イギリス領になった。
 

解 答:

問5.④ 問6.③ 問7.③

解 説: 

① ボロブドゥールは仏教寺院。ボロブドゥールの〈〉を意識!

752年 〈ジャワ島〉古マタラム王国を圧倒してシャイレーンドラ朝(~832)成立。

なぁ興奮じゃ 闇にボロ。    

752  古マタラム王国を圧倒   ジャワ島 シャイレーンドラ朝 ~832 ボロブドゥール


② パガン朝(ミャンマー)の仏教は小乗仏教。
一応小乗 あのパガン。

1044年 小乗仏教 アノーラタ王 パガン朝

③ アジャンターはインド(グプタ様式)の石窟寺院。グプタの文化 ナマグサヒ。
                              グプタ様式
問5 正解は④ 字喃はベトナムの陳朝で、漢字をもとにつくられた。

 1225年 〈陳朝の成立(~1400年)〉

 The Trn dynasty was a ruling dynasty in Vietnam between 1225 and 1400. The dynasty was founded when emperor Trn Thái Tông ascended to the throne after his uncle Trần Thủ Độ orchestrated the overthrow of the Lý dynasty. The dynasty ruled for a total of 175 years, until emperor ThiếĐế, then five years old, was forced to abdicate the throne in favor of his maternal grandfather Hồ Quý Ly. Among other things, the Trn dynasty are noted for defeating three Mongol invasions, most notably in the decisive Battle of Bạch Đằng River, in 1288.es.

人にニコチン 注意しょう

1225     陳朝   チュノム  昇竜

問6 正解は③ ルイジアナはルイ14世の名から付けられた。
① フロンドの乱はルイ14世がまだ幼く、宰相マザランが実権を握っていたときに起こった貴族の反乱。
ヒロシはブロンドマザコンさ。

東インド会社の創設ではなく、再建が正しい。
④ ケネーはコルベールの誤り。

フランソワ・ケネー(François Quesnay、1694年6月4日 - 1774年12月16日)は、フランス医師重農主義経済学者[1] 1758年に、重農主義の考え方の基礎を提供した"Tableau economique"(『経済表』)を出版したことで知られる。

1758年 ケネー、『経済表(Tableau economicque)』

イナゴや懸念 重農ぞ。

1758年 ケネー 『経済表』 重農主義の祖


問7 正解は③ アユタヤ朝は1350年から1767年まで存在した。

1350 年  〈タイ〉アユタヤ朝の成立(~1767年)

いざこれ鮎や ラマ成ろな。

1350年  アユタヤ朝 ラーマ・ティボディ1世 ~1767年

ベトナムでモンゴル軍を撃退したのは13世紀の陳朝。
扶南は1世紀ごろ、東南アジアで最初に出現した国家。

1531年 トゥングー朝(~1752年)成立。

以後サイトング なぁコツン。   

1531年    トゥングー朝   ~1752年

イギリスがシンガポールを領有したのは1819年



問5 正解は④ 字喃はベトナムの陳朝で、漢字をもとにつくられた。

 

問7 正解は③ アユタヤ朝は1350年から1767年まで存在したが、問題文中に時期についての記述があるので、年代がわからなくとも判断できる。

1531年 トゥングー朝(~1752年)成立。

以後サイトング なぁコツン。   

1531年    トゥングー朝   ~1752年

①.フロンドの乱はルイ14世がまだ幼く、宰相マザランが実権を握っていたときに起こった、貴族の反乱。
②.東インド会社の創設ではなく、再建が正しい。創建はアンリ4世で1604年のこと。そしてルイ14世が1664年に再興。4ばっかりなのを意識!
問7 正解は③ アユタヤ朝は1350年から1767年まで存在したが、問題文中に時期についての記述があるので、年代がわからなくとも判断できる。
ベトナムでモンゴル軍を撃退したのは13世紀の陳朝。
扶南は1世紀ごろ、東南アジアで最初に出現した国家。
イギリスがシンガポールを領有したのは1819年。

 

 

●イギリス(ハノーヴァー朝)

Sir Stamford Raffles lands on the island of Singapore.

いや行(い)く紳士 ラッフルズ。

1819年      シンガポール    ラッフルズ

 

18世紀末からマレー半島に進出していたイギリスは、対中国貿易がさかんになると、1819年に東インド会社のラッフルズは、ジョホール王からシンガポールを買収して港を建設。

1824年にオランダからマラッカを買収し、1826年にはペナン島を加え海峡植民地を建設した。

 

1824年 イギリス=オランダ協定

 

いやに新米 「オラ須磨じゃ」。

 

1824年 シンガポール マレーシア インド イギリス=オランダ協定 スマトラ島ジャワ島

 

1826年〈イギリス〉ペナン島・マラッカ・シンガポールで海峡植民地を設ける。

 

いや風呂快挙 マラがペシッ。

 

1826年 イギリス 海峡植民地 マラッカ・ペナン島・シンガポール


1826年〈イギリス〉ペナン島・マラッカ・シンガポールで海峡植民地を設ける。

いや風呂快挙 マラがペシッ。

1826年 イギリス 海峡植民地マラッカ・ ペナン島・シンガポール

 

 

 

 



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