1890(明治23)年 浅井忠、『収穫』
日は暮れ浅い 収穫や。
1890年 浅井忠、『収穫』脂派
[point]
1.浅井忠は脂派と呼ばれる画風で代表作は『収穫』。
[解説]
1.洋画界にはワーグマンに師事した高橋由一とフォンタネージに学んだ浅井忠がでた。
2.浅井忠(1856~1907)は、佐倉藩(千葉県)出身。工部美術学校でフォンタネージに学び、暗い色調から脂派(やには)と呼ばれた。
3.浅井忠は日本初の西洋画家団体である明治美術会を創立。東京美術学校教授就任後、フランスに留学。帰国後、請われて京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)教授に転じ、関西美術院を創設。代表作は他に『春畝(しゅんぼ)』。
4.京都時代の門下生に門下生に安井曾太郎(やすいそうたろう)、梅原龍三郎(うめはらりゅうざぶろう)。
〈2016関西学院大学・全学部
科学では、志賀潔が赤痢菌を発見し、また鈴木梅三郎はビタミンB1の抽出に成功するなど、世界水準の研究も発表された。文学や芸術の分野においても、言文一致体で『浮雲』を書いた二葉亭四迷やe.西洋画の黒田清輝らが活躍した。さらに演劇や音楽でも新しい動きがみられた。
問4.下線部eに関連し、明治期に活躍した洋画家を下記より選びなさい。
ア.狩野芳崖 イ.橋本雅邦
ウ.下村観山 エ.浅井忠
(答:エ)〉
1888年 狩野芳崖(61)没、『悲母観音』絶筆となる。
いやはや悲観カノン砲。
1888年『悲母観音』狩野芳崖
〈2013青山学院・文
問6、日本の洋画は、伝統美術におされ、一時衰退したが、日本初の西洋美術団体の結成などにより、次第に盛んになっていった。その団体の名称を、次の選択肢の中から選べ。
①帝国芸術院 ②明治美術会
③白馬会 ④春陽会
問7.この美術団体の設立の中心になった浅井忠の代表作品を、次の選択肢の中から選び、マークしなさい。
①南風 ②湖畔
③海の幸 ④収穫」
(答:問6②、問7④)
▲『海の幸』
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