2.イギリスの隆盛
A エリザベス1世
■ポイント イギリスの海洋帝国としての発展の基礎はどこにあったか、考えよう。
Aエリザベス1世 =の時代。- a バラ戦争 の結果、封建貴族が没落し国王によるb 絶対王政 が成立する。
- 大地主=c ジェントリ(郷紳) が各地域の代表として議会に進出。
→ 地域においては彼らは▲ 治安判事 として国王に協力した。 - 1530年代 d イギリスの宗教改革 で国王は教会組織の頂点に立つ。
- 16世紀後半 e エリザベス1世 (1558~1603年)
→ 新教国としての国民意識が形成される。シェークスピアの活躍など。 - 宗教改革が議会立法で達成されるたためf 議会 の重要性強まる。
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B囲い込み=エンクロージャー (第1次)の進行。- 15世紀末以来、イギリスで、毛織物市場が拡大し、牧羊飼育の需要が高まる。
→ a 領主や地主が農民の土地を囲込み、牧羊のための牧場に変えていった。 - ▲土地を失った農民はb マニュファクチュアーのもとでの賃金労働者になり都市に流入していていった。
解説
囲い込み運動は、資本主義の要素である賃金労働者層の出現という重要な社会的変革をもたらした動きとして重要である。第1次はモアが「羊が人間を食べている」と言ったように、地主が牧羊のために農民の公有地を囲い込んだことである。なお、第2次は17世紀後半から18世紀の産業革命期に展開され、商業的穀物生産のために農地が囲い込まれたこと。第1次は議会は禁令を出して抑制しようとしたが、第2次はむしろ議会が推奨し、国家的に行われた。
- ▲c トマス=モア が『ユートピア』でd” 羊が人間を食べている ”として批判した。
→ 議会はたびたび禁止令を出すが効果無く、羊毛生産はさらに増大しe 毛織物工業 が国民産業となる。 - 毛織物尭の成長 → スペインとの対立強まる → f オランダ独立戦争 を支援。
- 1560年 ▲貨幣政策 グレシャム の提議により、悪貨を良貨に改鋳して、経済の安定を図る。
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Cイギリスの海外進出 の開始。- ▲a 私拿捕船 によって、スペインの植民地やスペイン船への海賊行為を展開。
→ ホーキンズ父子などが大西洋各地で活動。 - 1577~80年 b フランシス=ドレーク :イギリス人で最初の世界周航を達成。
- 1588年 スペインのc 無敵艦隊 を破る=d アルマダ戦争 の勝利。 → 広範な制海権を獲得。
→ 積極的な海外進出の開始 → 西インド、インドに進出。 - アメリカ新大陸に進出 ▲ローリー 、1584年に入植を試みるが失敗。
→ 女王の死後、1607年 ▲e ヴァージニア植民地 を建設。 - 1600年 f 東インド会社 設立
= 喜望峰から西、マゼラン海峡までのアジア全域での貿易独占権が認められる。
→ オランダに代わり世界貿易の覇権を獲得。 (9章1節、2節参照) - 毛織物産業の成長、海外市場の拡大 → ブルジョアジーの成長 → その一方で貧富の差の拡大。
- 1601年 ▲g 救貧法 を制定。貧民の救済を図る。
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Text p.219
・17世紀前半 絶対王政の矛盾が深まり、イギリス革命の時代へ向かう。用語リストへオ.フランスの宗教内乱と絶対王政
A フランソワ1世
■ポイント 宗教戦争の実体と、絶対王政の成立基盤、背景などを理解する。
・14453年 a 百年戦争 の終結 → 中央集権化が進む。
Aフランソワ1世 ヴァロワ朝 王権強化につとめる。。
- フランス=ルネサンスの開花 ▲a コレージュ=ド=フランス の開設など。
- 1521年 神聖ローマ皇帝カール5世とb イタリア戦争 (狭義)を戦う。
- 16世紀なかば c カルヴァン派 の新教徒=d ユグノー の勢力増大。
→ 商工業者、新興貴族層にひろがる。
→ ヴァロワ王家、大貴族層はカトリックを信奉、対立深まる。 - 次のアンリ2世(妃がカトリーヌ=ド=メディシス)、d ユグノー を弾圧。
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Bユグノー戦争 フランスで起こったキリスト教新旧両派のa 宗教戦争 。16世紀後半、30年以上続く。- 幼帝シャルル9世の母后b カトリーヌ・ド・メディシス が摂政として権勢をにぎる。
- 1562年 摂政、新教勢力を利用しようとして信仰の自由を認めると、反発した旧教徒のギーズ公の軍隊が
新教徒を殺害。B ユグノー戦争 始まる。王家の一族ブルボン家のアンリが新教勢力の中心となる。
→ スペインは旧教徒、ドイツ・オランダ・イギリスは新教徒を支援。 - 1572年 c サンバルテルミの虐殺 旧教徒による新教徒の虐殺事件おこり、全国に広がる。
- 国家の統一を主張する声も起こる。
d ボーダン 、王権擁護と宗教的寛容を主張した。 その後も激しい内戦が続く
解説
ユグノー huguenot はフランスのカルヴァン派新教徒のこと。貴族から農民まで広がっていた。カトリーヌ=ド=メディシスはむしろユグノーを利用し、王権の安定を図ったが、危機感を持った旧教徒側が一斉に新教徒虐殺に走ったのがサンバルテルミの虐殺。このときパリだけで4千人が殺害された。この知らせを聞いてイギリスのエリザベス1世は喪に服し、スペインのフェリペ2世は初めて笑ったという。新教徒のブルボン家のアンリは難を避けて各地を転戦中、国王が暗殺されたため、王位を継承した。しかし、パリに入ることも出来なかったので、1593年、カトリックに改宗、ようやくパリに入ることが出来た。
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Cブルボン王朝 の成立。- 1589年 シャルル9世を継いだアンリ3世が暗殺され、ブルボン家のアンリが即位しa アンリ4世 となる。
→ 新教徒の国王を認めない旧教徒が反発し、内戦がさらに深刻になる。 - 1593年 a アンリ4世 、b カトリック に改宗。新旧両宗派の対立緩和に努める。
- 1598年 c ナントの勅令 を発布。
内容:d 新教徒ユグノーに信教の自由を与え、宗教戦争を終わらせ、フランス国家の統一を維持した。
→ e ユグノー の多い商工業者の活動が活発になり、商工業発展する。 = 絶対王政の基礎ができる。 - 教皇権に対してはフランス教会の独自性を主張するようになる=▲f ガリカニスム 。
- カナダへの進出開始など、絶対王政の強化に努めるも、1610年、狂信的なカトリック信者に暗殺される。
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Text p.220
Dルイ13世 フランス絶対王政が形成される。- 1610年即位 宰相a リシュリュー 貴族とユグノーのいずれも抑えて王権の強化、財政の安定に務める。
- 1614年 b 三部会 を招集。貴族やユグノー勢力を抑えるために国王が身分別代表を召集。
= 第一身分=僧侶・第二身分=貴族・第三身分=都市代表 からなるc 身分制議会 。
→ 諸身分の対立で翌年解散。 以後、d 1789年 まで開かれず。 - 1618~48年 ドイツのe 三十年戦争 に介入。
→ ハプスブルク家の皇帝権力の衰退をねらい、新教徒勢力を支援。
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Eルイ14世 1643年 5歳で即位、- 宰相a マザラン が実権を握り 王権強化を図る。貴族勢力の制限を謀る。
- 1648年 b フロンドの乱 貴族の牙城である高等法院が反乱を起こす。a マザラン が鎮圧。
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・1661年 親政開始 17世紀後半 ブルボン朝絶対王政の全盛期となる。(後出)
用語リストへカ.17世紀の危機と三十年戦争
■ポイント 三十年戦争の実態を知り、戦争の原因・経過を抑え、もたらした結果と影響を理解する。
A17世紀の危機 背景:16世紀の経済成長がとまり、凶作、不況、a 人口の停滞 などおこる。- ドイツの b 三十年戦争 (宗教戦争)
- フランスのc フロンドの乱 (貴族の反乱)
- イギリスのd ピューリタン革命 (王政を倒し一時共和政を実現)
- ロシアの e ステンカ=ラージンの反乱 (農民反乱)、
- 社会不安を反映して、このころヨーロッパでf 魔女狩り が猛威をふるった。
解説
16世紀の宗教改革後のキリスト教新旧両派の争いは17世紀にも継続し、カトリック側で新教弾圧の手段のひとつとして異端審問が強化され、多くの批判者が反教会ということで魔女に仕立てられ焼き殺された。旧教徒による魔女狩りだけでなく、新教側でも、特にカルヴァン派など厳格な信仰を要求する教団では、反対者が魔女として処刑されることも多かった。
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B三十年戦争 の始まり。- 17世紀ドイツ 大小のa 領邦 が分立、新旧両宗派の対立もあり統一がとれない。
→ ▲カトリック諸侯連盟(リガ)、プロテスタント諸侯同盟(ウニオン)を結成。 - 1618年 オーストリアの属領のb ベーメン(ボヘミア) (現在のチェコ)で反乱が起こる。
Text p.221
c ハプスブルク家 (神聖ローマ皇帝フェルディナント2世)がカトリック信仰を強要。
→ 新教諸侯が反発して反乱を起こし、新旧両派の内戦へと発展した。
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C ヨーロッパ各国の介入- 1625年 a デンマーク 王が新教徒を支援して介入、国際的な戦争となる。
→ 皇帝軍の傭兵隊長b ヴァレンシュタイン が活躍し、29年、旧教側が勝利する。
c スペイン は旧教徒・皇帝側を支援して出兵。 - 1630年 d スウェーデン 国王のe グスタフ=アドルフ王 が新教徒側に参戦。
→ 1632年 リュッツェンの戦い b ヴァレンシュタイン と戦い勝利するも、戦死する。 - 1635年 f フランス(ブルボン朝) 、新教徒を支援して参戦。
旧教国フランスが新教徒を支援した理由=g ハプスブルク家と対抗するため
解説
三十年戦争の大まかな経緯は次のようであった。
- 1618~23年 ベーメンの新教徒の反乱。神聖ローマ皇帝フェルディナンド2世によって鎮圧される。
- 1625~29年 デンマーク王クリスチャン4世が新教徒支援のため侵攻。皇帝の旧教徒側はワレンシュタイン指揮の傭兵の活躍で新教徒軍を破る。
- 1630~35年 スウェーデン王グスタフ=アドルフが新教徒側に参戦。1631年、ワレンシュタインとのリッツェンの戦いで勝ったが、彼自身は戦死。ワレンシュタインも暗殺される。
- 1635~48年 フランス(国王ルイ13世、宰相リシュリュー)が新教徒側に参戦。スペインは旧教徒支援のため出兵。1643年、ラクロワの戦い、決着付かず。1644年から交渉に入り、48年に講和成立。
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D 戦争の長期化画家カロが描いた三十年戦争の一こま。強盗たちが吊し首にされている。
- 三十年戦争のまとめ
a ドイツ内部の宗教戦争がハプスブルク帝国とフランス王国の国際的な戦争に変質した。 - ▲1625年 オランダのb グロティウス が『戦争と平和の法』を発表。
→ 自然法思想に基づき、主権国家間が戦時で守るべき国際法規の確立を主張した。国際法の理念の始まり。
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Eウェストファリア条約 締結。- 1644~48年までa ウェストファリア で講和会議が開催される。
- 1648年、E ウェストファリア条約 締結される。その主な内容は
- b アウクスブルク和議 (1555年)が再確認され、ルター派と共にカルヴァン派も公認される。
- フランスはc アルザス とメッツ、ヴェルダンなどを獲得。 → 国土を東方に拡大。
- d スウェーデン は北ドイツ沿岸の西ポンメルン、ブレーメンなどを獲得。
Text p.222
- e ブランデンブルク=プロイセン は東ポンメルンに領土獲得。
- f スイス とg オランダ(ネーデルラント) の独立が正式に認められる。
- 意義 h 近代世界最初の国際条約として重要であり、主権国家体制を確立させた。
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F 戦争後の状況- a ドイツの分裂の固定化と停滞
- 約300にのぼるb 領邦 の独立性が強化される。(立法権、外交権を認められる。)
→ そのためこの条約は、c 神聖ローマ帝国の死亡診断書 と言われる。 - 30年にわたりる戦闘でドイツ国内は荒廃、人口1600万が600万に減少し停滞する。
→ d ドイツの統一(主権国家の形成)は19世紀中頃まで遅れる。 - オーストリア=ハプスブルク家の衰退 e アルザス をフランスに奪われ領土はオーストリアのみとなる。
- f スウェーデン の大国化
北ドイツ沿岸に領土を獲得し、バルト海を内海とする「g バルト帝国 」を形成した。 → ロシアとの対立。
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・17世紀後半 ヨーロッパ国際政治の焦点は、フランスのルイ14世の積極的な領土拡張戦争に移行する。
用語リストへキ.東ヨーロッパの新しい動き
■ポイント プロイセンとロシアは、ヨーロッパの辺境にあって、どのように主権国家を形成させたか。
1.プロイセンの台頭
Aドイツ人の東方植民- 12世紀以来、エルベ川以東のスラブ人居住地区にドイツ人が入植。
- 1134年 a ブランデンブルク選帝侯国 辺境伯領として成立。
→ 15世紀 b ホーエンツォレルン家 がブランデンブルク選帝侯となる。 - 13世紀 c ドイツ騎士団領 十字軍失敗後、東方植民を行い、バルト海沿岸を占有
→ 1525年 ポーランド王国を宗主国としてd プロイセン公国 となる。
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Bユンカー の成長。- 東方植民の過程で、入植促進のために農民に有利な地位が与えられた。
→ 15~16世紀 B ユンカー と呼ばれる領主層に成長し、農民支配を強化。 - 16世紀 西ヨーロッパの商業革命 → 東ヨーロッパではa グーツヘルシャフト 経営が成立。(8章1節)
→ 西ヨーロッパへの穀物輸出のため、領主による農奴支配が強化される(b 再版農奴制 )。 - B ユンカー とは、c 土地貴族とも言われ、農民を封建的に支配し、地方の行政も行い国王を支えていた。
解説
ユンカー junker は土地貴族を言うが、ドイツに特有の存在で、東方植民以来エルベ以東で成立した、農奴を使役する直営農場(グーツヘル)を経営する層のこと。官僚や軍人と成りプロイセンの絶対王政を支えていた。ナポレオン戦争に敗れた後、上からの近代化が図られた際に、農奴は解放されたが、ユンカーは生き残り、資本主義的農場経営者に転換して⒚世紀のビスマルク時代の軍国主義を支え、さらにナチス=ドイツの支持基盤ともなった。
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Cブランデンブルク=プロイセン の成立。- 1618年 a ブランデンブルク選帝侯国 とb プロイセン公国 が同君連合となる。
→ 三十年戦争後、ウェストファリア条約で東ポンメルンを獲得。= 現在のポーランド北部のバルト海沿岸。 - 北ドイツで急速に成長し、強国となる。▲1660年 ポーランドの宗主権から独立する。
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Dプロイセン王国 首都 ベルリン 。- 1701年 スペイン継承戦争で神聖ローマ帝国皇帝側について戦い、王国に昇格。(後出)
- 18世紀 ホーエンツォレルン家のもとで君主権が強化され、ドイツ諸国の中で最有力となっていく。
A イワン雷帝
2.ロシアの再興
Aイヴァン4世(雷帝) モスクワ大公- 16世紀 a ツァーリ を称し、貴族を抑えて専制政治の基礎をかためる。
→ 貴族を次々と処刑したので、b 雷帝 と言われて恐れられた。 - 領土拡張
- 南ロシア ▲ヴォルガ川流域の カザン=ハン国 ( タタール人 の国家)・
さらにアストラハン=ハン国 を征服。
→ イスラーム教徒を支配下に入れる(現在の南ロシア)。 - c コサック の首長d イェルマーク がe シベリア に遠征。
シビル=ハン国 を征服。 → ロシアが領土に組み込む。
→ 毛皮交易を進め、太平洋岸への進出始まる。 - c コサック とは、ロシア東南部の草原地帯で牧畜・狩猟・農業を営み、戦士団を形成していた。
- 1584年の死後、内紛で混乱。▲ ボリス=ゴドゥノ フ の政権簒奪などがおこる。
解説
ツァーリはロシア皇帝の公式名称で、15世紀後半のモスクワ大公国のイヴァン3世の時に初めて使用されたが、定着したのはイヴァン4世(雷帝)の1547年からである。この称号はローマの「カエサル」がロシア語に転化したもので、ロシア帝国がローマ帝国・ビザンツ帝国を継承しているという意味をこめていた。ロシアで独特な強大化を遂げた皇帝専制体制のことをツァーリズムという。
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Bロマノフ朝 成立。- 1613年 a ミハエル=ロマノフ が混乱を収束し、新たな王朝を開く。
→ ツァーリズム(専制支配)を継承し、b 農奴制 を強化 - 1670年~71年 c ステンカ=ラージン の農民戦争を鎮圧。(後出)
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・17世紀末~18世紀 ピョートル大帝の時代に、強大になる。(後出)
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