●平安時代(朱雀天皇)
Rebellion by Taira no Masakado; this is the first rebellion of the rising warrior class against the government.
組み殺したい ひでぇ伯父。
935年 新皇 平将門 藤原秀郷 押領使
桓武平氏は関東の地に根をおろして勢力を拡大。
朱雀天皇の935年、平将門は一族の所領争いから伯父の国香を殺害した。
939年には親皇と称して下総国の猿島を拠点に反乱を起こすが、国香の子の貞盛や押領使藤原秀郷らによって鎮圧された。
同時期に起こった藤原純友の乱と合わせて承平・天慶の乱ともいう。
2013愛知教育大・前期
「問8 下線部(6)10世紀前半の東国の兵乱の名称を答えよ。」
(答:平将門の乱あるいは承平天慶の乱)
2012明大・文学部
下線部(オ)坂東(関東地方)と瀬戸内海を舞台におこった承平・天慶の乱とよばれた二つの乱に関連して、坂東でおこった戦乱を描いた書物として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1『将門記』 2『純友追討記』
3『陸奥話記』4『保元物語』
(答:1)
2014早大・政経
3.下線部(3)承平天慶の乱についての説明として誤っているものはどれか。
ア 乱はいずれも藤原忠平の摂政在任中に起こった。
イ 乱を起こした藤原純友と平将門は、それぞれ国府を攻め落とした。
ウ 乱を起こした藤原純友と平将門は、いずれも任官の経験がある。
エ 乱の鎮圧には追捕使か押領使が関与した。
オ 乱を鎮圧した者の家柄はともにのちに武門の棟梁と呼ばれた。
(答:ウ ※藤原純友は従五位下伊予掾(じょう)(つまり伊予国の行政官で守(かみ)・介(すけ)に次ぐ三等官)。平将門は、滝口の武士でしかなく検非違使の佐(すけ)や尉(じょう)を望んだが任官できていない)
※ 将門の乱の始まりは935年(私闘の開始)からと939年(国司つまり国家権力の末端との闘争開始)の2説ある。
It originally started with the 'family the groom married into' uncles of the TAIRA no Masakado, and uncles of Masakado built a structure in Kanto region especially in Hitachi, Kazusa, Shimousa, and Musashi Provinces, and there was a trace that the conflict of interest between 'places where the grooms married' led to the struggle between Masakado, his uncle, and cousins.
そもそもの発端は、平将門の叔父達の「婿入り先」であって、それによって平将門の叔父達は関東、特に常陸国、上総国、下総国、武蔵国などに地盤を築いたと見られ、その「婿入り先」同士の利害対立が、平将門と叔父、従兄弟同士の抗争に結びついていった形跡がある。