中仙道板橋宿 平尾一里塚と追分

2015年02月05日 | 徒然
中仙道板橋宿は、京方から上宿、仲宿、平尾宿(下宿)にわかれていた。


「平尾」という地名については、南側の谷端川の谷と
北側の石神井川の谷に挟まれた「平たい尾根」からと思われる。

板橋宿は、江戸から発って最初の宿場で、種屋や乾物を売る店が並ぶ
瀧野川三軒家の西外れの一里塚から平尾宿が始まる。

一里塚は現在の板橋駅北側、桜通りが旧中仙道から折れてゆく丁字路の付近にあったとされる。



この辺りは板橋区板橋が滝野川銀座に食い込んでいる。

ここから始まる平尾宿は追分で川越街道を分岐する。
現在の川越街道国道254号線は、春日通りとして都心を通過し
池袋六ツ又から川越街道として西進する。


旧川越街道は宿場名をその名に遺す「平尾交番」のある交差点から
左に分かれてゆく。


明治時代には、この辺りを境に
「瀧野川平尾」と「下板橋平尾」にわかれていた。



右側の道が旧中仙道である「不動通り商店街」で、
仲宿の「仲宿商店街」へ続いてゆく。


不動通りは、如意山観明寺の不動明王に由来する。



旧川越街道は、国道17号線として200mほど進み
首都高板橋ジャンクションの中央環状線本線側へ分かれてゆく。

山手通りを過ぎると、現在の川越街道まで遊座大山、
ハッピーロードと商店街が続いてゆく。


平尾は、現代においても城北地区屈指の2つの商店街に向かう追分でもある。
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